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みんなのパン(落選作品)童話

 小さな街に、貧しい兄弟が住んでいました。

 兄はユリ、弟の名前をアテネといいました。

 両親は、身体が弱く、2人を残して、早くに亡くなってしまいました。

 隣に住んでいたパン屋の主人が、

「家は広くない、冬は寒く夏は暑いが、倉庫に住まないかい」

と、哀れみの心から声をかけてくれました。

 兄弟は、住む処を追われ、困っていたので、甘えることにしました。

 2人の兄弟たちは、両親から

「親切にしてくれたら、恩を返さなくてはいけないよ。大切にしなくては、いけないよ」

と、口すっぱく言われていました。

 ユリは、根が優しく真面目な子でした。お礼にとパン屋で、お手伝いをしていました。

 アテネは、4つとまだ小さく、臆病者で泣き虫だったため、いつも両親を思い出しては、倉庫の端っこで泣いてばかりいました。

 2年余り過ぎた年、街路地がほほを染め始めた頃、アテネは5つになりました。その頃から、アテネの心の中に父親が、言い聞かせていた言葉が、繰り返し浮かんでいました。

「いいかい、アテネよく聞きなさい。私たちは、まだ5つと、3つのお前たちを残して、長い旅に出るかもしれない。ユリは、とても頼りになる兄だけれど、心が弱いんだ。ユリの力になってあげなさい。アテネは、まだ小さくて、色々なことが、分からないと思う。だけどな、5つ。5つになったら、少しでもいい、強くなりなさい。それまでは、泣いても、甘えてもいい。泣いた数だけ、強く生きなさい。甘えた分だけ、優しくなりなさい。アテネ、お前にならできる」

 アテネは、約束した、5つになったのです。

 泣いた数を、甘えた数を数えました。両手足を使っても、数えきれないほど、泣き、甘えていたことに気がつきました。

「お父さんとの約束を、守らなくては」

 日に日に、その思いは強くなっていきました。いつも眉毛をㇵの字にしていた、アテネの眉毛は、きりりとしています。

 一方、兄のユリはパン屋の材料運びを、1年半も続けていたので、心が少し弱っていました。それでも、義理堅いユリは、弱音も愚痴も吐かずに、働き続けました。

 パン屋の主人は、ユリの働きに一目置いていました。

 金風が吹く夜のこと、倉庫にパン屋の主人が、訪ねて来ました。

「ユリ、お前の働きは素晴らしい。このパン屋をずっと続けていきたいが、私も年を取ってきた。独り身の私には、跡継ぎがいない。そこでだ、学校に行って勉強して、このパン屋の跡を継いではくれないだろうか」

 ユリは驚いて、首を横に振りました。

「ぼくには、パン屋の仕事があります。学校へ行くお金なんて一銭もありません」

「ユリは今まで、私からお金をもらったことが、あるかい。ただの一度だってないじゃないか。今まで働いた分、私が出すから、お金の心配なんてするな」

「でも、働き手が……」

 ユリが言いかけた時、じっと見ていたアテネが、口を開きました。

「兄さんは、賢くて、立派な人だ。だから学校へ行くべきだ。仕事は、ぼくがやる」

 聞いた2人は、目をまん丸くしました。

 あの泣き虫で甘え面だったアテネは、そこにはいませんでした。

 パン屋の主人は、力強く見つめる目を信じ、言いました。

「小さなアテネには、とても辛く厳しい仕事だけど、できるかい」

 アテネは、黙って見つめ返しました。

 ユリは、竹のように、とてつもない早さで、真っすぐ強く成長したアテネを見て、父親を思い出しました。アテネをぎゅっと抱きしめて言いました。

「アテネ、父さんに似てきたね。もう子ども扱いなんて、できない。パン屋のためにも、学校に行くよ。そして一生懸命勉学に励むよ。アテネといつか、主人に最高の恩返しができるように、2人で力を合わせて頑張ろう」

 アテネは、ユリを優しく抱き返しました。

 銀世界へ季節が移り変わろうとする中、アテネはユリから仕事を教わりました。

 仕事は、アテネが思った以上に、大変なものでした。でも、この大変な仕事をしているユリの傍ら、ずっと甘えていた自分を想像すると、不思議と力が湧いてくるのでした。

『泣いた分だけ強く、甘えた分だけ優しく』

 アテネの心には、いつもその言葉が、浮かんでいたのでした。

 ついに本格的な冬がやってきました。

 アテネの手はマメとあかぎれで、真っ赤です。その手を見て、アテネは、誇らしくなり、頑張る気持ちが一段と強くなりました。

 ユリは、生き物たちが躍動する季節に備え、テーブルに向かうことが増えました。

 パン屋の主人が、筆記用具から教科書まで揃えてくれました。それだけではなく、今まで灯りがなかった部屋へ、夜遅くまで勉強するユリのために、ろうそくもくれたのです。

 兄弟は、パン屋の主人のことをもっと助けてあげられるよう、頑張ろうと、それぞれのやるべきことに、力を注ぎました。

 草木が芽吹き、新しい年度が始まりました。

 ユリが、学校へ通うようになると、アテネは、早起きをし、まだ外路地が照らされている時間に、パン屋に毎日通いました。

 ユリに教えられた、材料運びの仕事だけではなく、パン屋の掃除までしていたのです。おかげで、パン屋の主人は、少しだけ自分の時間ができました。その時間を使って、新しいパンの構想を練りました。

「アテネの成長には、本当に驚いた。あんなに泣き虫だった子が、短期間で立派になって」

 パン屋の主人は、まるで本当の息子の成長を喜ぶようでした。

「そうだ。アテネに宿題を与えよう。新しいパンの案を考えてくるように伝えよう」

 掃除をしているアテネの元に行き、さっそく言いつけました。

 そんな力があるか、分からないアテネは悩みましたが、親切にしてくれているパン屋の主人の頼みならばと、心よく引き受けました。

 仕事が終わり、勉強をしているユリに、その話をしました。

 ユリは口を開いて、しばらく固まっていました。すぐ笑顔になり、言いました。

「きっと、いいのを作れるよ。アテネなら」

 ユリに言われて、自信がつきました。

 アテネは、その日から仕事から帰ると、ユリと並んで、テーブルにかぶりつきました。

 パン屋の主人からもらった、ノートに色々なパンの形や具材、名前を描いては、首をひねりました。

 その様子を、勉強をしながら、ユリは盗み見していました。アテネに気づかれないくらい小さな、ため息をつくのでした。

 ユリは、働きながら自分だったら、どんなパンを作るか、考えていました。勉強の合間に、ノートに新しいパンを描いていたのです。

 ユリは学校で、様々なことを学びました。

 言葉や計算、社会や歴史。その中でも好きだったのは、絵を描く時間でした。

 自分でも驚いたことに、先生や友だちに認められるほど、絵の才能があったのです。

 授業で描く風景の中には、いつもパンが描かれていました。絵が飾られると、すぐにユリのものだと、みんなが分かりました。

 それほどに、ユリはパンが好きだったのです。いつかパン屋の主人に認められ、新しいパンを考案するのが、夢でもありました。

 パン屋の主人は、ユリにお店のことを任せたいあまり、国語や計算の勉強に、力を注ぐように、言い伝えていました。

 勉強をしている横で、アテネがパンのことをああでもない、こうでもないと、考えていることが、うらやましくてしかたありません。

 ユリはその内、アテネに嫉妬するように、なっていました。

 少し気に入らないことがあると、今まで湧かなかった怒りが、生まれていました。

 ユリは、次第にギスギスとし、アテネにあたるようになっていました。

 アテネは、徐々に変わっていくユリの、心配をしていました。

『ユリったらどうしたんだろう。あんなに優しかったユリが、変わってしまった。学校で何かあったのかな』

 怒られるたびに、心の中で考えました。

ユリは、常に何か考えているようでした。

 春が別れを告げようとし始めた頃、パン屋の主人の家に、兄弟が呼ばれました。

「ユリは、学校で大変優秀だそうじゃないか。アテネの仕事ぶりは、感心している。パン屋の未来は明るいぞ。今日呼んだのは、これからのことなんだ。ユリに、ゆくゆくはこのパン屋の仕入れから、お金の管理をしてもらおうと、思っている」

 ユリは、一瞬眉をひそめましたが、直ぐに作り笑顔を浮かべ、こくりと頭を動かしました。

 アテネは、その表情を見逃しませんでした。

 ユリに話しかけようとした時、パン屋の主人が続けて、言いました。

「アテネには、パン作りをしてもらうよ。明日から、厨房に立つんだ。掃除を終えて、材料を運び終わったら、厨房に来なさい」

 パンを作ることに、いまいちピンときませんでしたが、元気よく返事をしました。

「分かりました。ぼく頑張ります」

 パン屋の主人との話が終わると、兄弟は倉庫へ帰りました。時間が遅かったので、2人は直ぐに床につきました。

 寝ているアテネの顔を見て、悔しさと憎らしさが心の中で、黒く渦を巻きました。

「アテネさえいなければ」

 ユリは、そう言って口を手で覆いました。

 今、自分が無意識にとても怖いことを言っていることに、息を飲みました。

自分に、ため息をつき、アテネに背を向け、目をギュッとつぶり、布団にもぐりました。

 次の日の朝、アテネはいつも通りに、パン屋へ、向かいました。そんなアテネの背中を見ながら、ユリは唇を噛みしめました。

「良い兄でいなくては。良い跡継ぎにならなくては。良い成績を取らなくては」

 呪文のように何度も呟き、重たい足取りで学校へ向かいました。

 学校でのユリは、前と同じように笑い、優しく賢い子でした。

 学校に行っている間は、パン屋のことも、アテネのことも忘れられたのです。

 本格的な夏が来ました。

 太陽が容赦なく、日を照らしてきます。

 そんな太陽に負けないくらい、アテネは、仕事にまいしんしていました。

 ユリは、相変わらず自分の気持ちを抑えて、生活を送っていました。

 周りから、気づかれまいと平静を装っていましたが、アテネは、ユリが何か隠しごとをしていることに気が付いていました。

 それがなにかは、分かりませんでした。ただ、自分に対してだけ、当たりが強くなっていることは、間違いないと、ふんでいました。

 ユリの通う学校に、夏休みが来ました。

 たくさんの宿題を抱え、子どもたちが、しばしの別れを告げ、それぞれの家へ帰っていきました。

 夏休みの間、ユリは宿題をしつつ、パン屋の主人から、色々なことを教わりました。

 パン屋の裏方の仕事が、楽しいと思ったことは、一度もありません。それでも、恩返しのためだと、自分に言い聞かせ、熱心にパン屋の勉強もしました。

 パン屋の勉強をしている一方で、アテネは、パンをこねたり、焼いたりしています。

 ユリには、眩しく見え、アテネに対する感情が、ますます、どす黒くなっていきました。

「良い兄であれ」

 この言葉の呪いで、アテネに辛く当たっても、本音を言うことができないでいました。

 そのことが、さらにユリを苦しめました。

 夏休みが終わり、新学期が始まりました。

 ユリは、たくさんの終わった宿題を抱え、学校へ向かいました。

 学校へ着くと、真っ黒になった友だちたちが、声をかけてきました。

「夏休みまでパン屋の仕事、お疲れさま。宿題も終わったのかよ。おれなんて、遊びすぎて、終わらなかった」

「おれも」

 口々に友だちが言うのを聞いて、耳をふさぎたくなりました。

 遊ぶこともできず、パンを作ることもできず、独り取り残された気分でした。

『この気持ち誰にも分かるまい』

 友だちたちと、表情とはちぐはぐな、重い足取りで教室へ向かいました。

 学校に通い始めて、初めての秋です。

 授業は、少し難しくなってきましたが、相変わらず、優秀な成績を収めていました。

 新学期のテストの順位で、初めて1番を取りました。それだけではありません。

「秋と言えば、芸術。今度、優秀な作品は、展覧会に出品します」

 先生が言っていた、この展覧会にユリの絵が、選ばれたのです。

 ユリは、勉強で1番を取ったことより、嬉しくて、久しぶりに心の中の雲が、サッと離れていきました。

「ご主人に言って、一緒に見に行こうかな。楽しみだな」

 弾む足取りで、倉庫へ帰りました。バッグを置いて、駆け足でパン屋へ向かいました。

 窓から中を覗くと、アテネが顔に粉を付け、パンをこねているところでした。

 パン屋の主人は、嬉しそうに見つめています。

 ユリは急に足を止め、倉庫へ帰りました。その後ろ姿を、アテネが見ていました。

「ご主人に言っても、きっと来てくれない。今は、アテネに教えることで、頭がいっぱいなんだ。ぼくだって、パンを作りたい。新しいパンの案だってたくさん描いたのに」

 そう言ってユリは、今は使われていない、小麦粉の麻袋を見つめました。

「アテネさえいなければ」

 いつか発した言葉が、また口からこぼれました。その言葉に、身震いをしました。

「この言葉は、墓場まで持って行かなくては」

 ピシャリとほっぺを叩いて、学校でもらった、展覧会の紙をくしゃくしゃにして、ゴミ箱へ捨てました。

「いいんだこれで。これでいい。良い兄であり、恩を返さなくちゃいけない」

 呪いの言葉を、呟いてベッドに横になりました。

 どのくらい経ったのか、ユリは、気が付いたら寝ていました。アテネが、晩御飯の用意をする匂いで、目が覚めました。

「目が覚めたんだね。ずいぶんグッスリと寝ていたね。久々の学校で疲れたのかな。晩御飯ができるから、テーブルに座って待ってて」

 ユリは黙って、晩御飯を作るアテネの背中を見つめました。

「あの、泣き虫で甘えん坊だった、アテネがこんなに立派になったのか。……、頼もしいじゃないか」

 ふぅと、肩の力が抜けた気がしました。

「ユリ、なんか言ったかい」

「ううん。なんにも。今日の晩御飯はなに」

「豆の煮ものだよ」

 久しぶりに、アテネに優しく接した気がしました。

 アテネがユリを見て、微笑みました。ユリも応えるかのように、ニコリと笑いました。

 晩御飯を食べながら、アテネがユリに言いました。

「ユリ、ごめん。明日パンの案を考えるために、ちょっと街に出たいんだ。明日、明後日休みだよね。代わりに店の手伝いをしてくれないかな」

 ユリは黙って、頷きました。

「ありがとう。実は明後日、パンの案を見せることになっててね。よかったらユリも、明後日、パン屋に来てみてくれないかな」

 最大限の作り笑顔で、ユリは応えました。

 次の日、ユリはアテネの代わりに店の仕事をしました。久しぶりだったので、材料の入った、麻袋が、重いことを忘れていました。

「ぼくが勉強をしている間、アテネはこの仕事を毎日していたんだよな。パンを作る資格が十分にある。パン作りのことは、諦めよう。ぼくは、アテネを支えられるようになろう」

 ユリの中にたまった、黒い物が、荷物を移す度に、抜けていきました。

 アテネは結局夜遅くまで、パン屋に来ませんでした。

「ありがとう。おかげで、色々分かったことがあるんだ。明日、絶対パン屋に来てね」

 ユリは、おずおずと返事をしました。

「うん、必ず行くよ」

 翌朝、厨房に、パン屋の主人やパートの人たち、そしてアテネとユリがそろいました。

「さぁ、アテネ。パンの案を言ってごらん」

 パン屋の主人が、ハキハキと言いました。

 アテネは、後ろに隠していた紙をみんなに見せました。

 そこには『みんなのパン』と書かれ、下に手をつないでいるように見えるパンが、描かれていました。価格も設定されていて、とても安い値段が提示されていました。

 ユリはそれを見て、ハッとしました。

「ぼくのパン」

 いっせいに、みんながユリを見ました。

「そう、これはユリが、考えたパン。材料費まで、抑えられているから、子どもでも、誰でも手軽に買えるんです」

 パン屋の主人は目をまん丸くしました。

「アテネの案じゃなくて、ユリの案だって」

「ご主人。ユリはぼくより、ずっとパン屋のことが、好きなんです。昨日展覧会を見に行って、確信しました。ユリの絵には、必ずパンが描かれているって、言っている人がいたんです。帰って来て、いつもユリが見つめていた、麻袋の中を見たら、パンの案であふれていたんです。とても、細かく。パンを作るのは、ぼくよりユリの方が向いています。だから、来年ぼく、学校に行きたいんです。勉強して、ユリを支えられるようになりたい」

 パン屋の主人は、少し考えて、アテネから紙を受けとりました。

「確かに、とても考えられている。正直に言いなさい。ユリは、パンを作りたいのかい」

 ユリは、後ろに一歩引き、顔を上げ、真剣な眼差しで、パン屋の主人を見つめました。

 パン屋の主人は、とびっきり大きな声で言いました。

「ユリ、今日からパン作り二代目は、お前だ」

 ユリは、信じられないことが起きていることに、戸惑いながら、深くゆっくり頭を縦に振りました。それから、アテネを見ました。

 アテネは、ニッコリ微笑んで言いました。

「甘えた分、優しくありなさい。甘えさせてくれて、ありがとう。もう、我慢しなくていいからね。『みんパン』完成するといいね」

 ユリは涙を流しながら、アテネに飛びつきました。

「良い兄じゃなくてごめんね」

「ぼくにとっては、世界一の兄さ」

 十数年後、パン屋の主人は、引退し、お店を兄弟に任せることにしました。

 『みんパン』は、お店の看板メニューと、なりました。

小さい子からお年寄りまで、少ない金貨を握って、幸せそうに、パン屋に来るのでした。

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