時間について

観測は対象物に影響与えるか?常識的に考えたらあたえるとは思えないだろう。しかし量子論ではそれが基本である。観測すれば波動は収束して量子化する。もっと基本で学問の基礎でそれが常識となっている。つまり観測は影響与えるのだ。それなのにその発想は他の学問に通じない。光は反射して目にはいてくる。受け身なのだ。脳はその受け身の情報を映像化して仕立てあげるのだ。影響うける立場ではあるが、あたえる立場ではないのだ。どこがおかしいんだろう。実はまだそのあたりのことは物理学でもはっきり説明できないのだ。それゆえ、そうなっている、でそれ以上前にすすんでいないのだ。もうその論争が半世紀以上続いている。今論はそれをテーマにして考案した理論です。もう一度問う。観測と何か?あれからすこし時間を費やしたが、結論を出したのでそれを、述べたいと思います。もう書いたがこの世界は(人間界の観測世界)時間が重なり合ってできています。空間でも物質でもありません。時間とは適切な用語ではありません。しかしわかりやすくイメージしやすく。お話するためにあえて、語弊恐れず使いました。時間は私達人間スケールで初めてでてくる、概念です。これも一瞬が(不確定な時間誤差)重なってその空間距離ができるのです、なぜなら、時間は記憶するからです。その時間誤差が重なってあるレベルの時間誤差ができるのです。それがこの世界です。この観測レベルはたくさんのスケール観測によって素粒子から原子、分子、有機体
微生物(ウイルス、細菌、単細胞生物、生物)今論にこのあたりは掲載)その波長はだんだん不確定の波長が大きくなる。
上図のように一波長が不確定の時間で重ね合わせで物質が成長する仕組みです。この素粒子レベルが重なって(時間が重なる)エネルギーを作成して、つまり質量であります。(E=mc^2)それは記禄による場の創造です。この記録は時間そのもののもつ性質です。記録よりか記憶が正解かもしれないこの辺りは正確な言葉が難しい、どう表現しても誤解されるのでないか、しかしわかりやすく説明するのにはイメージ化のためしかたない。今論には書いたが意識の式C=ーiΔtまだ若干自信がもてないが、この説明は大変なページ数が必要だ。まあご了承いていただく、大変な哲学になっちゃうよ。
まあ結論だけお話すると、存在とは不確定な時間の収束したものそれが在るということです。上の図で不確定な波長が収束して何かの存在を作り出すとしたらそれが観測なのです。つまり観測とは時間を収束することなのです。その収束に時間はありません。ですから意識とは不確定な時間を止めることなのです。正確には不確定な時間を、意識は収束することなのです。意識するとは観測することです。こうして、意識の時間量の波動(人間レベルの不確定なの波動)で観測するのです。金属は金属ぽく光って見えます。岩石はごつごつにぶく見えます。電子が金属にまとわってみることはできません。我々の観測スケールではそれが限界なのです。これは意識波長が大きいからですこの意識波動ではこの世界が反映されるのです。(注意してほしいのはこの波動は時間の波動です。。位置と時間ではありません))

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