観測の意味

最近、量子力学の解説を見ると解りやすくするためか?面白く話をするためか?人間が観測しないとすべてが不確定だという読み物です。ちょっとそれは極端で私ないでしょうか? 私が寝ているのに世界が不確定だと  目をさましたら、その世界が確定するのでしょうか?そんなことはありませんね、しかし、量子の世界ではたしかに正解であります。では何がちがうのでしょうか?私は私の意識がなくても、他の意識がつまり他者の目がその世界を観測しているから、この世界は確定している、と考えます。しかし、遥かに小さいスケールの世界は観測できるでしょうか?
細菌クラスはできますか?それ以下の微粒子クラスはより難しいのではないでしょうか?これらは観測できないので不確定なのでしょうか?幻覚なのですか?これらのことは観測しなくても確定したものなのだ。というのは量子論のすじがとおりませんね。こう考えたらたら、どうでしょう。ミクロの世界もただ観測されているのだと!ただ観測の意味が少々違うのだと、このあたりは今論に解説 してありますが、観測とは第三者の立場になることです。あると意識する、感じるは人間以外の生物ならあるのではないでしょうか。微生物までは観測が通用するでしょう。それ以下は何が観測するのだ?おそらく分子クラスは不確定原理が幅をきかせます。今論に開設してありますが、時間の不確定が記憶となり、タンパク質までのとんでもない分子構造を作り出す。このことは時間量の存在として、論じています。この時間量の成長が時間の不確定の波動となり、意識まで進化します。というわけで、たしかに観測があつてこそ、この世界は存在していると考えますですから冒頭のテーマは正しくもあり、かといって間違っているともいえるのですよ、

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?