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ライターとして東北へ取材に通った7年間で考えたこと

2019年3月1日に、初著書『復興から自立への「ものづくり」』が小学館から発売となりました。2012年から取材を続けてきた、“東日本大震災後に始まった手仕事と、その背景”をまとめた本です。この機会に、ライターとして東北に通い続けた7年を振り返ろうと思います。

「写真撮りたいのでどいてくれませんか」に感じた憤りの正体

私が初めて東北沿岸部を訪れたのは、東日本大震災から1ヶ月後のことでした。

参加したボランティアは「被災地とNPOをつないで支えるプロジェクト(つなプロ)」。数人のチームに分かれて車で避難所を周り、特別なニーズや事情のある方(日本語が喋れない方、妊娠中の方、持病や障がいを持っている方など)がいるかどうかをヒアリングし、該当する場合はNPOにつなげる、というものです。

全体では一定の成果を挙げていた活動でしたが、私のチームが訪問した牡鹿半島や女川の避難所では既にそういった人たちの元には必要な支援が届いていて、滞在した一週間の中で何かの役に立ったという実感はなく。貴重なガソリンと食料を無駄に消費しているような罪悪感と無力感を感じながら、毎日車に揺られていました。

車窓から見えるのは、1ヶ月前までここで人が暮らしていたんだ、ということが信じられなくなるような、一面の瓦礫。時折、高い建物の上に乗りあげた車や、内陸部まで流されてきた船といった、息を呑む光景が現れます。その度に車内ではパシャパシャと一斉にシャッターの音が鳴り、窓際にいた私はチームメンバーの1人から「写真撮りたいのでどいてくれませんか」と言われました。

その瞬間、私の中から湧き上がってきたのは憤りでした。

「都心から来た若者が車から一斉に撮影しているのを見たら地元の人はどう思うだろう。何も役に立ってない私たちが写真だけ撮影するなんて、まるで被災地見学ツアーじゃないか。SNSに『言葉にならない光景でした……』とか言って投稿でもするつもりかな。早い時期から被災地に来た自分に酔ってるんじゃないの?」と、憤懣やるかたない気持ちになっていたのです。

しばらくすると冷静になって、「地元の人がどう思うかは私が決めることじゃないし、役に立っていないからこそ現地の状況を記録・撮影することで少しでも役に立とうと思ったのかもしれないし、写真を見た人が寄付や支援をしようと思うかもしれないし、人の心を勝手に決めつけて判断したり自分の中の“こうすべき”を押し付けたりするのはよくないな」と反省しました。そして気づいたのです。自分が思った以上に、この風景からストレスを受けていることに。

何十年、何百年と脈々と続いてきた暮らしが、たった1日でここまで壊されてしまうこと。何の疑いもなく信じてきた「今日と地続きの明日」は決して絶対的なものではないということ。世界の不条理さや理不尽さに対する恐怖。それを直視したくなくて、無意識のうちに「こうすべき」という規範を自他に求めたくなっていたのかもしれない。自然災害に対する怒りはぶつける相手がいないから、無意識のうちに憎める誰かを探していたのかもしれない。

同じような心の動きがもし被災した人たちの中にも起こるとしたら、避難所の運営は、コミュニティを再構築し地域を立て直していくプロセスは、とても大変なものになるだろう。窓の外を流れる景色を眺めながら、そんなことを思ったのを覚えています。

ここには、人と人が一緒に物事を進めるための知恵が詰まっていると思った

だから1年後の夏に「OCICA」の作業現場を訪れたとき、その和やかな雰囲気にとてもびっくりしたんですよね。

OCICAは、牡鹿半島で水産加工の仕事をしていた女性たちがつくる、鹿角を漁網の補修糸で彩ったアクセサリー。つなプロで牡鹿エリアのリーダーをしていた友廣裕一くんが、地域を回る中で「いま必要なのは誇りや生きがいを感じられる仕事なんじゃないか」と考え、地元の人たちと一緒に始めたプロジェクトです。

当時、東北ではOCICAのようにものづくりを通した復興プロジェクトが数百誕生していました。相談したわけでもないのに同時期に似た動きが生まれたことに関心を抱いた友廣くんは、それらを記録・発信していくサイトをつくることを企画し、私にライターをしないか、と声をかけてくれたのです。ボランティアで無力感を感じて、書くことを通して東北に関われないかと思っていたから、本当に嬉しかったな。

サイトのスポンサーには高級時計メーカーのジラール・ペルゴがついてくれて、私は3か月に1度の頻度で東北に通うようになりました。

どの現場でもつくり手のみなさんの表情は明るくて、雰囲気は和気あいあいとしていて、手作りのお料理やお茶菓子を「食べて食べて」と差し出されて、「遠いところ来てくれてありがとうね」と労われて。

もちろん、話を聞くと全部が全部うまくいってるわけではなかったし、悩みや辛さや不安を吐露されることも、当初私が懸念したような人間関係のひずみが垣間見えることもあったけれど、だからこそ「すごいな」と思ったんです。こういう場が生まれていることが。

大きな悲しみに直面した人が立ち上がるための、あらゆる分断を乗り越えるための、人と人が一緒に物事を進めていくための知恵、のようなものが、ここにはたくさん詰まっていると感じました。

たとえば、自宅が全壊して避難所に入った人と、辛うじて残った2階で暮らした人。津波の被害を受けた人と、原発事故により故郷から避難せざるを得なくなった人。家族を亡くした人、仕事を失った人、家も家族も仕事も無事だったけれど人が流されるところを見てしまった人。

「被災者」なんて言葉で一括りにできないほど悲しみの質はそれぞれ異なるし、受け止め方もそれぞれ異なる。だから、話をするとお互いに傷ついてしまう。「あなたなんてまだいいじゃない、私なんて……」と思ってしまうことの辛さ。身近な人に、自分が一番受け止めてほしかった想いを否定されることの辛さ。

だからものづくりだったんだろうな、と思います。何かをつくりながらなら、言葉を介さなくても誰かと一緒にいられるから、共通の話題や目標ができるから。一人でいたくないけど会話をすると余計孤独を感じる、そういう時期に、ものづくりは人と人とをつなぎとめる役割を果たしたのでしょう。「毎日のように一緒にいたけれど、あのときのことを話せるようになったのは数年経ってからだったな」という話を、何度耳にしたことでしょう。

地域外の人がリーダーとなって地域の人と一緒にプロジェクトを進めるときも、さまざまな困難があったと聞きました。被災地の変化のスピードはすごく早いから、「これが必要だ、と感じてたくさんの人に協力を仰いだけれど、準備ができたときには必要とされていなかった」なんてことも。「せっかくあなたのために〜したのに」なんて言葉で地元の人に重荷を背負わせたくはない、ないけどこれからも同じことが続くとしたら、一体何をしたらいいんだろう?

目の前の人の気持ちを大事にして、刻々と変化していく状況を受け入れて、それでも自分や応援してくれる人をないがしろにせず、物事を前に進めていく。それはすごく難易度の高い仕事だったはずで、人が関わるものだから中々メディアには出せない内容だったりもするけれど、このときリーダーを務めた人たちが得た学びはすごく価値のあるものだったと思います。

知れば知るほど安易に書けなくなる中で、何を書くべきで何を書くべきじゃないのか

ところで私がライターとして独立したのは2010年です。だから、「人の話を聴くとは、書くとは、どういうことなのか」を、東北の取材を通して学ばせてもらったようなものなんですよね。

最初はすごく恐々と質問していた気がします。あの日のことを聞くことで、忘れたいことを思い出させてしまったり、不用意な言葉で相手を傷つけてしまうんじゃないかと思って。

でも、いくつかの現場で、「話を聞いてもらえて、嬉しくて涙が出た」「これまでの歩みを文章にしてもらえて、読んでいて泣けてきちゃった」という言葉をいただいたことで、「これでいいんだ」と思えたのです。

うまく言葉にならず頭の中をぐるぐると巡っていた気持ちを誰かに話すことで、そこから解放されて楽になれる。自分の考えや経験が別の人間のフィルターを通って形になることで、「間違っていなかったのかもしれない」と自分を認められる。そういうことが起きることもあるんだな、と。

一方で、同じ現場の方から「今まで取材を受けた後に体調を崩してしまった人もいて……」という話を聞いて、「やっぱり聞き方には気をつけないといけないし、ほかの現場で私の質問によって心を乱された人もいるかもしれない」と思ったし、話すこと、書かれることで「気持ちが固定されてしまう」危うさもあるな、と感じました。

言葉にするというのは、連続する物事の一部分を切り取るということ。本当はもっとたくさんの、表現しきれない想いがあったはずなのに、言葉にすることで、言葉にされなかったことが忘れられてしまう。同じことを何度も話すことで、そのときの情景や恐怖、怒りが冷凍保存されて、何度も蘇ってしまう。感情も人間関係も移り変わっていくことが普通なのに、文章として残っていることでそれに囚われてしまう。

「メディアに出て話すうちに、辛い思いをした被災者、とか地域を引っ張る復興リーダー、として自分を定義しちゃって、そこから抜け出せなくなっちゃう人、たくさん見たよ」と、地元の人から言われたこともあります。

人と人との関係は相互作用だから、取材する側だけが気をつければいいというものでもない。だけど、私はそれを仕事にしているから、聞くこと、書くことの弊害をちゃんと把握しておこう、私にできることとしてせめて、取材相手が行なってきたこと考えてきたことの価値を、実際より良く見せたり、逆に低く見積もったりせずに、正しく受け取って言葉にしよう、と思いました。

まあそれが一番難しいことなのですが。

難しさ、の例を挙げると、震災直後によく批判されていた「避難所にいる人全員に行き届く数がないなら物資を配らない」問題。あれも数年経ってから、地元の人が「あの状況で感じた不平等ってその後の人間関係にすごく影響したから、私は配らないという判断は正しかったと思うよ」と話すのを聞きました。

同じ状況も人によって見方は変わるし、同じ人でも時が経てば意見が変わるかもしれない。知れば知るほど、安易に文章にはできなくなる。そうした中で、いま何を書くべきで、何を書くべきじゃないんだろう。特にわかりやすい方程式や答えが見つかったわけではない、ないけど、そうやって7年間考えてきたことは、確かにライターとしての血肉になっている、気がします。誰を、何を取材するときでも必要な問いをもらったような。

今回、書籍化作業のために数年前に書いた文章を読み返しリライトする中で、そんなことを考えました。このテーマ、無限に書きたいことが出てきてしまうので、この辺にしておきましょう。

本屋で見かけた際は、手に取っていただけると幸いです。

●復興から自立への「ものづくり」(小学館)

http://www.tohoku-manufacture.jp/blog/book.html

●  トークイベント「ものづくりと心のケア」(3/31)

「ものづくりが人の心や脳、人間関係をどう回復させるのか」を、作業療法士の中山奈保子さん、つむぎやの友廣くん、「ふっくら布ぞうりの会」の工藤賀子さんと探求しよう、というものです。参加費1,000円です。

http://www.tohoku-manufacture.jp/blog/talk.html


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