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「中津トバズ」のこと

 一番 平たく言えば、私・飛岳水脈のボーカル時の名義です。

 しかし原則的に「ヴァーチャル・シンガーソングライター」として扱っています。最初にそう扱うことを決めた頃は、多分 VTuber はまだ居なかったんじゃないかな。こんなにも説明が不要な概念になってくれて何よりです。

 この度、中津トバズの「再スタート」と銘打って、
両A面シングル『そら・かぜ』をリリースしました。

 フルでお聴きいただくには、私のYouTubeチャンネルのメンバーシップ・プラン、【疑似サブスク】に加入して下さいませ。よそでは配信しません。
設定可能な最低額の、月額90円です。

注:曲動画は、プラン【メガドレイン】の方に既に加入くださっている方もアクセスできます。新たに【疑似サブスク】の方にも加入いただく必要は、一切ございません。

「この際ついでに音楽理論系の動画も観るか」と思って下さる方には、メガドレをお勧めします。

 私は、中学生の頃から歌モノばかり作っていました。それでも大学を卒業して暫くする頃まで、歌モノを作りながらも「絶対に自分では歌わない」と心に決めていました。

 私は自分の耳がコンプレックスであった上に、自分の声がコンプレックスでした。誰とも喋りたくないとかじゃないんですけど、歌についてです。

 なんと言えば良いのか、「男らしい声」が出ません。かと言って、女声が出るわけでもないし、不思議なことに「中性的」な声色でもないと自認しています。少年声とも全然違います。何故だか褒めてもらえることはしばしばで有難いことなのですが、何なのでしょうこの声は。いや普通に。

 しかし、何十曲…と言えるくらいは溜め込んでいるのに、大学卒業までに他人に歌ってもらうことのできた機会は、たったの4回で4曲です。
いつもいつも、ボーカルの代わりにチープなアルトサックスばかり。

 私の行動圏内に、「投稿頻度のパない歌い手」のような人物は、とうとう現れませんでした。

 私の活動名「飛岳水脈」とは、「誰も気づかない山奥で、滾々と流れ出続ける湧き水」の意です。「山奥」とは私の脳内のことで、湧き水は曲です。

 「頭の中に鮮明にある音楽のイメージを、いつまで経ってもイメージ通りにアウトプットする術を持たないで居た者」の名でした。

 私が「自分の曲を自分で歌う」ようになるまでの経過を綴る際の、決まり文句があります。

中島みゆきで育ち、」

「倉橋ヨエコに憧れて、」

「日食なつこに背中を蹴り飛ばされた」

(niconicoでの私をご存じの方からすると、日食なつこ氏には、本当に感謝しきれないだけの感謝……謝辞があります。)

 しかし、先の日食なつこ『跳躍』のエネルギーを以てしても、あるいは例の替え歌動画で、予想もしない「歌を/声を褒めてくれるコメント」の後押しを以てしても、私が歌を自分で歌えるようになるには、あと少し足りませんでした。

 『中津トバズ』は、私が内的に処理しきれなかったコンプレックス。肉体から切り離した自己嫌悪です。

尾をよく自分でうっかり踏んづけてしまいます。

――曲制作の過程で、幾度となく繰り返し聴かなければならないボーカル。その作業に支障を来すほどに嫌いだった自分の声を、わずかにでも愛せるようになるためにデザインした、声色の擬人(キャラクター)化。
 この声が「私の声」でさえなかったならば。
 そんな望みを叶えるために生まれた外面。

ボカロの紹介文か?

 私の異常特性として「ロールプレイが極度に苦手」というのがあります。
 現実の私よりもイケメンでもそうでなくても、とにかく全部イヤなので、「容姿の評価不能性」を付与するために人外となります。

 「苦手」というのは「不得意」だけじゃなくて、生理的に受け付けないんですね。簡単に言うと発狂しそうになります。
 大学の教職入門の講義にて、「生徒役と先生役のロールプレイ」を行うと明かされた瞬間・教室を抜け出して、単位と教師の道を捨てました。

葛藤など0.001秒も無く、即決です。蛇を見た蛙と同じです。

 今作『そら』と『かぜ』は、これまでで一番「中津トバズの声色」に向き合って作ることができ、また、作り上げることができた2作です。

 「他人として向き合う」目的のために、色々と細々した設定付けがあるのですが、『そら』の方は私が作曲で作詞が彼、『かぜ』の方は彼が作詞作曲です。編曲が私、という体にしてます。

 中津トバズは、基本的に「正式な音楽教育を何も受けていない」いわゆる才能型のソングライターで、異様に声域が低いが「なんとなく相応に低く聞こえない」不思議な声色をしています。

 作る曲は「突出して奇抜でもないがありがちでもない」もの、書く歌詞は「曲ごとのテーマに寄り添えるバランス型の語彙を持ち、言葉遣いは温厚だが最奥は確かに野心的」「自分の経験や感情を歌詞にはせず、想像で書ききる、ある種のサイコさ」「カタカナのワードをぶっ込む美学」などを特徴として据えています。ペンネームからもうそんな感じの風体ですね。

 過去作では、『衛星を呑む狼※』『彩雲』『座標のずれた街』など、非常に彼っぽい歌詞です。

※↑は過去に歌ってもらったことがある事情で、個人的なややこしい理由で迷惑かけないために、作詞も「飛岳水脈」名義にしています。

 私・飛岳水脈 自身の私情を挟んだ『梔子』や『桜ソング』は、歌詞の作風と出来は彼でも、自分名義にしています。

 太刀魚カフェ作品も、迷惑かけないように自分名義で声出ししています。

 最終的に私は、どのようにしてこの声色を肯定的に捉えるようにしたか。

 この声色には、「似合う曲」がありません。
 声の似ている既存の歌手を、一人も知らないからです。
「似合う」が定義不能です。

 だから、「似合わない曲」も存在しない歌手です。

 「似合う」は、私が形成していくのです。

 「中津トバズ」は、私の再プロデュースにより、再スタートします。

 New Single『そら・かぜ』を、お知り合いの方にお勧めしたり、SNS等でシェアしてくださると幸いです。

おまけ(カバー)

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