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『何者か』の先に、”揺らがない自分”がいる。

『自分は何者なのか』を知りたくて。『自分が何者か』を追いかけて、探し続ける。

だけど本当は、『自分が何者か』なんて、どうでもいいんじゃないのかな?なんて思ったりする。

『自分が何者か』を知って、わかったつもりになるよりも。

『自分が何者か』を知って、他の側面に気づけなくなったり、可能性を狭めてしまうよりも。

『自分が何者か』を知らずに、ただ一生懸命に今を生きている人の方がかっこいいと思う瞬間がある。

目の前にあるモノに立ち向かおうとしてる人の方がかっこいいと思う瞬間がある。


『自分が何者か』を頭で理解するよりも、感覚として受け入れていく。

そして、心の中心に揺るがない自分がいる。

心の中心に”自分”があるから、人にも優しくなれるし、人に合わせることもできる。

「ただ優しい」でも、「ただ柔軟」でもなく、心があるから、人に優しく、柔らかな対応ができる。

そして、はっきり言うべきところは、はっきり言える。

そんな大人になる事の方が、『自分が何者か』を知ることよりも大切だと思った。


※※※

『この人はスゴイ』『大人だな~』と、私が勝手に憧れているあの人も、自分を言葉で表現しようとしない。

それでも、自分のことを知っていて、一生懸命に目の前にあるモノに立ち向かっている。

彼女は優しく、誰に対しても柔らかく対応する。

だけど、ふとした瞬間、彼女の中にある芯の強さを感じる。

そんな彼女の姿を見ながら、『かっこいいな』と思う。


憧れるけど、『真似をしよう』とは思わない。

私と彼女は、考え方も生き方も違うことをよく知ってるから。

私は自分の考えや生き方に自信を持ってるから、『彼女になりたい』とは思わないのかもしれない。

でもやっぱり、彼女に憧れる。


私が憧れて、『かっこいいな』と思っている彼女は、私のことを褒めてくれる。

それが照れくさくて・・・でも、ものすごく嬉しい。

やっぱり彼女のことが大好きだなと思う。


彼女を『素敵だな』と思えば思うほど、彼女が遠い存在に感じてしまう。

彼女は、私のことなんて、たいして気にしてないと思う。

『私が彼女に勝ってるモノなんてないし、彼女に憧れてもらえるようなモノなんて持っていない』と思ってた。

いくら自分で自信を持っていても、私に憧れてくれる人がいても・・・彼女は私のさらに先を歩いてるような気がした。

※※

彼女と私には、共通の後輩がいる。

彼女に直接『尊敬してます』と言わない代わりに、後輩に彼女の素晴らしさを語る。

彼女がいかにカッコいい人なのかを語り、『私には、彼女のようにはなれない』と話す。

本当に、本当に彼女はかっこよすぎるのだ。

もちろん美人さんで、素敵な笑顔で癒してくれるんだけど・・・そんなことじゃない。

なんというか、”生き方”みたいなものが、素敵すぎる。

だけど、私は『彼女のマネをしよう』とは思わない。私も、自分の生き方が大好きで、自信があるから。

それでもやっぱり、彼女はかっこよすぎると思うんだ。


「いい加減にしてくださいよ! 二人とも同じこと言ってるんだもん!もう、こっちが照れますって~」と、後輩が笑った。

細かいニュアンスは解らないけれど・・・彼女と私は、お互いを尊敬し、自分にはない魅力を感じていたらしい。

お客様を奪い合うでもなく、お互いに『すごいな』と思いながら、『私も頑張ろう』と思える関係だとしたら、それはとても嬉しいと思った。


私が憧れていた彼女は、特別な人間なんかじゃなかった。

私と同じように悩み、考え、進んでいく。

誰かを『素敵だな』『うらやましいな』と感じる瞬間もあるけど、自分の生き方を変えるでもない。

優しく、柔らかく、暖かな心を持った、普通の女の子だった。

ただ、その心の奥に強い軸があるのかもしれない。

やっぱり、彼女は素敵な人だと思った。

※※

彼女に憧れているうちに、『自分なんて』と思ったりもした。

昔の私なら、彼女のようになるために何かを真似たかもしれない。

彼女の後を追いかけようとしたかもしれない。

だけど私は、彼女を追いかけようとはしなかった。

『彼女がすごい』と尊敬するのと同時に、自分の持っているモノを信じているからだ。彼女と私の歩む道が違うことを知ってるからだ。

『自分なんて』と、自分の方が下にいるような気持ちになっていたけれど・・・本当は、自分にも同じものがあるのかもしれない。

自分もかっこいい生き方をしてるのかもしれない。

そんな風に考えられるようになった自分は、もしかしたら、自分で思っている以上に素敵な大人になったのかもしれない。


※※

・・・そんなことを書きながら、『本当にそんな素敵な大人かな?』と照れ臭くなる。ナルシストみたいな気がして、恥ずかしくなる。

たぶん、過去の私だったら、『まさか!!』と思って、『いや、でも・・・』と自分を否定していたんだと思う。

だけど、『いい加減、認めてもいいんじゃないのかな?』と思う瞬間がある。

だから、今日は書いてみることにした。


※※※

結局、何が言いたかったんだろうな?

たぶん、『自分が何者か』を追いかけるのが大切な時期もある。

『何者か』を知るから、優しさや柔らかさの中に”強さ”が生まれ、”揺るがない自分”に出会えるんだと思う。


もし、『自分が何者か』もわからず、自信を持てなかったら、その”強さ”は薄っぺらい。

もし、『自分が何者か』もわからず、人に優しくして、人の意見を尊重し続けたら、いつのまにか、”自分”を見失ってしまう。

だから、本当の意味での”強さ”を得るためには、『自分は何者か』を追いかけるのは大切だと思う。


だけど、『自分が何者か』を追いかけても、把握しきれるもんじゃない。そんなに簡単で、小さな人間じゃないと思うんだ。

だから、ある程度『自分が何者か』を知ったら、そこから『どう生きるか』が大切なんじゃないかなって思う。

※※※

でも本当は、彼女の素晴らしさを伝えたかっただけなのかもしれない。w



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