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自分の感覚は、それ以上の何者でもない。

「君には無理だから・・・」

「僕たち凡人には無理だから・・・」

『自分より経験が浅いから』とか、『自分の同じだから』と勝手に決めつけて、人の可能性を奪ってしまう人がいる。


誰が、私のことを『普通だ』って決めたんだろう?

誰が、『この子には特別な才能がない』って、決めたんだろう?

その言葉は、本当だろうか?


人はそれぞれ、才能を持ってるんだと思う。

その才能に気づきやすい人もいれば、そうでない人もいる。

それを判断するのは、誰だ?

その才能に気づいて、才能を伸ばしていくのは誰だ?


※※※

自分の意見を主張すれば、「若いうちは、まだわからないから、オーナーに任せておけばいい。判断するのはオーナーだ」と言われた。

「君は生意気だ」「我が強い」と言われ、『そうなのか・・・』と落ち込んだ私は、どんどん自分の中にある違和感や意見を表現しなくなった。


お客様が傷ついてるのを「おかしい」「可哀そうだ」と主張したところで、「君は2年目にしては売り上げを出している。でも、まだ〇〇君の売り上げに届いていないよね?・・・あれだけの売り上げを出し続けることは、すごいことなんだよ。 厳しい言い方かもしれないけど・・・『売り上げを出し続ければ正しい』と言われてしまうのが、大人の世界だなんだよ。君も、もっと売り上げを出してから、主張しなさい。」と言われた。

『売り上げを出さなきゃ受け入れてもらえないんだ』と思って頑張ったけれど・・・売り上げを出そうと頑張るほどに、自分の求めたいモノからは離れてしまった。

数字を出して、「先生!」と慕ってくれるお客様が増えたところで、楽しくもなかった。むしろ、私の心は虚しくて、空っぽになった。


だけど、彼らが受け入れることのなかった感覚や言葉で、私はセラピストとして生きてきたと思ってる。

彼らは、「挫折した経験があるから、続けている」「悔しかった思いがあるから続けている」と言った。

私は、好きだから続けている。

やりたいと思うから続けている。

これ以上に『楽しい』『大好きだ』と思うものに出会うことがないから、さらに『楽しい』『大好き』を求めているんだと思う。


『お客様は今、何を感じるだろう?』そればかり考えてた。

『もっと深い所では、何を感じているんだろう?』『心の奥の方では…』

お客様の身体や心に深く触れたいから、時分にも深く触れようとする。癒そうとする。

目の前にいる人のために、自分自身のために『やりたい』と思えることがあるから、成長し続ける。

※※※

彼らが教えてくれた技術は、私にたくさんの事を教えてくれた。

治療家としての“彼らの生き方”は尊敬しているし、かっこいいと思う。

だけど今は、あの時に教わった技術を『使いたい』とは思わない。


心の距離が遠くなって、根本的なもの(深い部分)に触れることもできないまま、表面上の変化だけを求めてしまうのなら、そんなものは必要ない。

勉強すれば誰でもできる技術なんかよりも、自分が”本来持っている感覚”の方が、ものすごく大切だと思う。


私は、そういうものを『誰でも持ってる』と信じてる。

だから、私の所に来て、素直に心を開いてくれる人たちは、自分の持ってるモノに気づく瞬間がある。

それか、自分が本来持ってるモノを探すために、歩む道を決める。

そんな人を見ながら、『この人はもう大丈夫だな~』という、安心感を感じる。


でも、『誰でも持ってる』と言うと、それを否定する人もいる。

もしも、私だけの持っている感覚なら、『もっともっと大切にしたい』と思う。


※※※

セラピストとして、自分の感覚を大切にしながら”自分の形”を作っていくうちに、お客様が増えた。

セラピスト仲間からも信頼してもらえるようになり、「愛弓さんのようになりたい」と言ってくれる人まで増えた。


私は、どこかのお店に所属するでもなく、自分のオリジナルのモノを表現したいと思うようになった。

表現するためには、『説明しなきゃいけない』と感じ、『自分がやっていることは何か』を探し続けた。

いくら探しても、私と同じことをしてる人なんていなかった。

だから、少しでも似てる部分がある人を探して、『自分がやってることは何か』を形にしようと思った。


結局のところ、形なんてない。答えなんてない。

私が感じてきたことを自分で表現する以外にない。

だけど、誰かの作った形を『自分の形だ』とか、『それが絶対的に正しい』と思い込んでいる人達は、それを押し付けようとした。


治療家の先生は、「君は、治療に向いてる。だから、学校に行って、資格を取ったほうが良い」と言ったし。

マッサージをしていた同僚は、「愛弓ちゃんは、身体のことに詳しいよね」「筋肉とか・・・身体のこと大好きだよね」と言った。

ヒーリングをしてる人たちは、「向いてる」と言って、「もっと勉強したほうが良い」とか、逆に「そのまま自己流でヒーリングしたほうが良い」なんて言う。

時には、マッサージしたり話してるだけなのに、「ヒーリングだ」と言って、私のやってることに気づいてくれなかった。

スピリチュアルな人や、自称霊能者の人たちも、私のことをたくさんの言葉で決めつけた。「君は高い霊能力を持ってる」とか、「チャネリングをしてるよね」とか。


・・・なんだろう?

いろんな人が、自分の形を押し付けてくる。

勝手に、”私の感覚”に名前を付けようとする。

形をつけようとする。


「100%間違ってる」とは言いきれないことばかり。だって、”私の感覚”の一部を含んでいるから。

だけど、それは「100%正しい」訳じゃない。

”私の感覚”は、それだけじゃない。

そんな小さな枠には入りきらない。

「私の感覚なのに、勝手に決めつけないで!誤解しないで!」と叫びそうになる。


例え、誰かの言うことが正しかったとして。

見えない世界のことなんて、正しいかどうかの判別もできないから・・・それがもし正しかったとして。


それが何なんだろう?

それが正しかったとしても、そんなことは私には関係ない。

私は今、”自分の感覚”を表現したくて。”自分の感覚”を素直に表現できる場所を作りたいだけなんだ。


”私の感覚”は、誰の言う何でもない。

”私の感覚”なんだ。

だから、それを表現して、自分の居場所を作る。


私の感覚は、他の何者でもないく、”私の感覚”なんだ。

それ以上でも、以下でもない。



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