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夢なんて、好きなだけ語ればいい。

昨日見た、夢のこと。

将来叶えたい、夢のこと。

『こんなことあったらいいよね♪』って、夢みたいな夢の話。


私は、夢を語ることって、とっても大事なことだと思ってる。


誰かが言った。「夢を語るのは、時間の無駄だ」と。

でも私は、夢を語らないように…自分の気持ちを抑え込むのは苦しいと思った。

確実なこと。

確かなこと。

成功の可能性が高いこと。

現実的なこと。

そういうのだけじゃ、私には窮屈だなって思った。たぶん、夢を語るのが好きなんだと思う。

そして、ちょっと不思議な夢の話を聞くのも好きだ。


別に、『世の中の人全員が夢を語らなきゃいけない』と思ってるわけでも、『どんな人間にも、夢を語ることはいいことだ! みんなで夢を語ろう』と広めていきたいわけでもない。

自分の感覚を、誰かに押し付けたいわけじゃないんだ。

ただ、私にとって夢を語ることは大事なことで、自由なことなんだと思う。

だから私は、自分の夢を語ったり、人の夢を楽しめるような、そんな関係がいいなって思う。そんだけ。

昨日見た夢を語ること。

昨日見た夢を語ること。

そこには、何の意味もないように見えることもある。実際に、何の意味もないこともある。

それでも、見た夢を思いだして言葉にする時、そこには、自分でも気づいていない思いがあるのかもしれないなって思う。


例えば、30歳を目前にしたある日、小学生1~2年の頃のいじめっ子が夢に出てきた。

いじめられていたことも、その子の感情も、自分の感情も、大人たちの反応も…いろんなことを思い出していたし、もう意味はないんだと思ってた。自分の中で、心の整理はついてるつもりだった。

それでも、彼女はそこにいたんだ。私の夢の中に。


「ねぇ、あの時、どうして私をいじめたの?」と彼女に聞いた。

彼女はきょとんとして、「いじめてないよ」と言う。

私の中で、何かがプツンと音を立ててはじけた。

私は叫びながら、彼女にとびかかる。彼女の胸ぐらをつかんで、泣きそうになりながら、言葉になりきらない言葉を叫んだ。

「私は、あんなに~で~で~な思いをしたのに…」

叫びながら、彼女のキョトンとした顔を見て、感情的になってる自分がばかばかしくなった。

吐き出そうとした言葉の代わりに、ため息にもならない息をはきだした。

手を放し、彼女と離れながら…目を覚ました。


『いじめられてる』と感じていたのは、私だけだったのだ。

たぶん彼女は『いじめてる』なんて自覚はなくて、ただ思ったことを言っただけなんだ。やってほしいことを言っただけなんだ。やりたいことをやっただけなんだ。周囲も巻き込んで。


彼女も苦しかったんだと思う。

彼女は孤独だったんだと思う。

彼女は寂しかったんだと思う。

『いじめてる』なんて自覚することもなく、自分の孤独感を…心に空いた穴を埋めるために、私にぶつけてるんだろうなと。幼いながらに感じてた。

だから、彼女をいじめっ子だと思うことができなかった。彼女を悪者だと思うことができなかった。

彼女は悪者ではなく、かわいそうな子なんだと思ってた。


それでも私は、苦しかった。悲しかった。恐かった。

自分の感情にを見ないフリした。そして忘れた。


だからきっと、夢を見た。

大人になった私は、彼女とのことを思い出し、頭では理解してた。幼い自分が、そんな風に考えていたことに気づいた。

それでも、幼かった私の感情は、そのまま残ってたんだと思う。

あの夢を見た時、心の中にあった思いが爆発して…目が覚めたら胸がスッキリしてた。

それに、どんな意味・価値があるのかを言葉でうまく説明することはできないし、しなくていいと思う。

ただ、あの夢には、私にとって大きな意味があった。


夢を見たって、うまく思い出せないこともある。一人じゃ、その意味に気づけない時もある。

だから、昨日m多夢を語る時間も大事だなって。

私はそう思う。

将来叶えたい夢を語ること。

『あれになりたい』『これもいいな』と、将来叶えたい夢を語ること。

『こんなことあったらいいよね♪』って、夢みたいな夢の話をすること。

「時間の無駄だ」って切り捨てる人もいるけど、私は、とても大事な時間だと思う。


『夢を語ったら、叶えなきゃいけない』と思ってる人は、『もっと現実的に~しないといけない』とかいろんなことを考えるかもしれない。

それを間違いだなんて思わないし。夢ばかり語っていて、現実的に動かないまま人生が終わってしまったら、そこに意味があったのかなんてわからないのかもしれない。

だから、間違いだなんて思わない。


『でも、夢ってもっと簡単に語っていいんじゃないかな?』なんて生意気に思ってしまう。

私たちは、いつから夢を語れなくなったんだろう?

大人になるにつれて、現実を知って…夢を語れなくなっていった。


でも、子供の頃は、もっと夢を語ってたよね?

いつの夢を追い続ける人もいる。でも、夢がころころ変わっていく人もいる。

『電車になりたい』とか『セーラームーンになりたい』とか…叶いそうもない非現実的な夢を語ってる。

いろんな夢を語ってるうちに、どんどん夢は変わっていって、自分なりの形になっていく。

だんだん、夢と現実が混ざって、将来の道のりが見えてきたりする。


ばかばかしい、叶いそうもない夢を語ってもいいんだ。

夢を語ったからって、ぜんぶ叶えなきゃいけないわけじゃない。


『あれはどうだろう?』『これは?』

『こんなこともできたら楽しいよね~』

好きなだけ夢を語って、夢を膨らませばいいと思う。

その中で、自分が本気で『これをやってみたいな』って思えるものに手を出していけばいいと思う。


それにね、『こんなにたくさんの夢を叶えられないよ』って思ったところで、途中で何が起こるかなんてわからない。

だから、自分で『無理だ』って思いこんだりしないで、もっと自由に想像していいと思う。自分の可能性を狭める必要なんてないんだよね。

今はさ、昔とは違うんだよね。

ネットも普及したし、これから機械ができることももっともっと増えていくかもしれない。

『無理だ』と思い込んでいたものを、どんな形で叶えられるかなんてわからない。

実際に、自分の形を作り出して、不思議な仕事をしてる人だってたくさんいる。


夢を語ることって、悪いことじゃないと思うんだよね。

非現実的に見えることだって、いつ現実的になるかもわからない。


ちょっとしたことだけど…

私が今、こうしてパソコンで文章を書いてることだって、数年前の私にとっては非現実的なことだったんだ。私にとっては、異世界のことだったんだ。


「現実的じゃない」とバカにする人がいるなら、その人の前で夢を語る必要はない。

ただ私は、夢を語り合える人と一緒に過ごしたいと思う。

そういう関係が好きだなって。


そうやって夢を語り合ってるうちに、不思議な体験をした人、『絶対無理だ』『現実的じゃない』と思い込んでいた夢を叶えていく人たちをたくさん見てきた。

私はやっぱり、『夢を語るって、大事なことだよね』って思うんだ。


夢を語ったからって、『失敗したら恥ずかしい』とか『ちゃんと叶えなきゃ、バカにされる』なんて思う必要はない。全部を叶えなくてもいいんだ。

ただ、自分の中で膨らませた夢の、ほんの1部でも叶えばいいかなって。それくらい気楽な気持ちでいいと思う。

ただ、夢を語り合って、本気で応援しあえる関係って素敵だなって。

昨日見た夢に、ちゃんとした意味がなくてもい。

将来の夢が非現実的でもいい。

語った夢を、ぜんぶ叶える必要もない。


それでも、『時間の無駄だ』なんて思わず、ちゃんと聞いてあげられる関係がいいなって思う。

誰かの夢を、自分の夢のように応援できる人でいたいし。

誰かの夢を、『これいいね』『楽しそうだよね』って、一緒に広げていける人でありたい。


そういう、一見どうでもよく見える時間を大事にできる関係を大事にしていきたい。

そんなことを思った。


このnoteやブログでも、たまに夢を語ってる。

別に『全員に読んで、共感してほしい』と思ってるわけじゃない。

ただ、夢を語り合ったり、本気で応援しあえる関係を望むのなら…そういう人たちともっと出会っていきたいと思うなら…

誰かに否定されることを恐れず、もっと夢を語っていきたいなって思った。

もしかすると…『昨日見た夢を語りたいな』『もっと自由に夢を語りたいな』って思った私のひとりごとかもしれないな。


自分の世界を表現していきたい。












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