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教室のアリ 第29話 「5月11日」① 〈父と子の絆、天才の努力〉

オレはアリだ。長年、教室の隅にいる。クラスは5年2組で名前はコタロー。仲間は頭のいいポンタと食いしん坊のまるお

 朝早く野球に出発するかもしれないから、オレたち3匹はダイキくんのリュックで寝た。グラブは良いベッドだった。
「コロッケの周りの茶色いところって本当に美味しいんだね」こいつ、夜中に食べに行ったのか…オレはまるおの言葉にビックリを通り越して、少し呆れた。
「ダイキ、自転車で行くぞー」パパの声がする。ダイキくんはママが作ったサンドウィッチを頬張りながら(おそらくそのあと歯磨きはしない)着替えて、リュックを背負い、帽子をかぶって自転車に乗った。昨日の雨は止んだ。5月にしては元気な太陽と、5月らしい風の中、ダイキくんとパパはこぎ出した。
「昨日の素振りはいい感じ?自分のスイングが出来てる?」パパは少し早口で聞いた。
「インコースはいい感じ、外は少し力が入らない」多分、パパが聞きたいことは違うんだろうとオレは思った。
「『雨の中、よく振っていた』ってママが言ってたよ。あと…」パパがそこまで言った時、強い風が吹いた。2人は帽子を抑えるのに必死だった。しばらくして、「パパ、大丈夫だよ。クマモトは覚えたから。ミヤザキとオオイタ、クマモトが難しい。ヒラヤマ先生が『4年生でやったトドウフケンを覚えないと、5年生で困るから』ってプリントをくれたんだ。僕、結構得意だよ。ホッカイドウは日本ハム、昔はオータニがいた。トウキョウにはキョジンとヤクルト。ヒョウゴにはハンシンコウシエン!高校生になったら僕はそこで野球がしたいんだ!」パパはサングラスをしていたけど多分目はニコニコしていただろう。そして言った。
「クマモトにはマエダっていう天才がいたんだ。ヒロシマの選手だよ」
「マエケン?」
「違うよ。左打ちで凄く打つし、肩も強い、足も速かったんだけど…」
「速かったんだけど?」
「アキレス腱を切っちゃって…でも、絶対に諦めなくて、2000本以上ヒットを打ったんだ!だからダイキも…」また強い風が吹いた。必死に帽子を押さえているとグラウンドに着いた。
「ダイキ!今日もかっ飛ばそうぜ!さぁ、いこう!」眉毛の太い友達が叫んだ。
「よっしゃー、声出していこう!あきらめずにいこう!」ダイキくんはリュックの中から勢いよくグラブを取り出すと(オレたちは必死にリュックの内側にしがみつい難を逃れた)、グラウンドに飛び出していった。
「人間には夢があるんだね」ポンタが言った。そして続けた。
「ボクたちは、エサを集めて食べる、それだけだ。それでいい。それでもいい。それでいいのか?」たまにポンタは難しいことを言う。そう思った。
「もっと大きくなったら、野球ができるかな?もっと食べれば大きくなれるかな?」まるおは、まるおだった。河川敷には5月にしては元気な太陽と5月らしい強い風。オレは遠くから川を眺めた。社会の授業によると、川は海につながっている。オレは海が見たい。そう思った。野球の練習が始まった。

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