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会社をつくろうと思ったきっかけ

創業ストーリーです。
もともと絵本や出版とは縁もゆかりもなく、銀行系のシンクタンクに勤務していた僕が絵本ナビを立ち上げることになったのは、大きなライフイベントを迎えたことがきっかけでした。

バックグラウンド

「自分で生みだした商品やサービスを世に問いたい」と強い意識を持ったのは大学時代で、大手流通チェーンの経営者だった父親の影響が大きくありました。

当時、父は関連事業担当役員として、コンビニや外食など複数事業の立ち上げを行っていました。なかでも米国企業との合弁で始めたレストランチェーンでは初代日本人社長をつとめ、僕が店舗視察や海外視察に同行する機会もありました。(今考えると当時学生だった自分が視察に同行して海外スタッフとコミュニケーションさせてもらえたのは極めてありがたいことでした)

実は子どもの頃は、父の仕事は「総菜や肌着を売っている店」といったイメージで、思春期男子としてはなかなか複雑で正直あまり好きになれませんでした(社会に出ると店頭の仕事の素晴らしさがわかるようになりますがそれはもう少し後のことです)。

でもこの新規事業立ち上げ時期は、ちょっと前まで世の中に存在していなかった店舗やサービスが目の前で生まれ、次々と新店が出来てテレビCMが流れ、自分の友達もお店やサービスを使い出す、という展開を舞台の袖から見ている感じで、ダイナミズムを肌で感じ、胸が高鳴ったのです。

そして、いつか自分も、自ら生みだした商品やサービスを世に問う仕事をしていきたい、という強い想いを持つに至りました。

ここで学生起業してビジネスを立ち上げて・・・だったりするとカッコいいのですが、インターネットのない時代、かつビジネスについて考えたり調べたりすればするほど、自分が何もできないことを思い知り、理想と現実のギャップに落ち込んで、悶々と日々を過ごしていました。(今の僕がこのときの自分にアドバイスできるなら、まずはとことん動いてみろ、ということになりますが、当時の自分はなかなかのダメ学生でした)

前職|総研時代

悶々とした思いを抱えながら学生時代を過ごしましたが、社会人になってコンピュータに出会ったことで、水を得た魚のごとく仕事にのめり込んでいきます。

漠然と「コンピュータの時代が来る」との予感に従って銀行系のシンクタンク(総合研究所=総研)に就職するのですが、同期入社は100名超、配属は企業情報システム部門のシステムエンジニア(SE)、新人研修で「キーボードに触ったことないのは自分だけ」という未経験者枠からのスタートでした。

ただ自分としては空回りな学生時代を経て「思い切り仕事ができる」ことが楽しくて仕方がなく、朝から夜中までシステム開発の仕事に没頭していました。
SEという仕事は(少なくとも当時は)、体力的にも精神的にも過酷で、その中でも特に過酷なプロジェクトがあったりしたのですが、僕はそんなプロジェクトで嬉々として働き、成果を出していったことで、さらに過酷なプロジェクトに呼ばれて仕事を任されていきました。20代は「自分が仕事でどこまでやれるのか、限界に挑戦する」という意識でした。

そんな激務のSEを8年間やった後に、本社の経営企画部門に抜擢され、会社の経営に携わることになります。
同期でトップ、本部で最年少でしたので、働きぶりを評価してくれた上司や先輩方には今でもとても感謝しています。

経営企画部門での仕事は、下っ端でありながらも非常に刺激的で学びが多いものでした。
経営計画策定、合併実務、取締役会運営、予算管理等、会社の経営に関わる実務を任され、四苦八苦しながらもあらゆることが勉強になりました。
会社というものがどのように、どういうロジックで動いているのか、表も裏も見て学ぶことができました。
同時に、現場でプレイヤーとしてどれだけ努力しても、会社経営(マネジメント)のことはわからない、やってみないとわからないのだ、と気付きました。

そして、「あ、今なら自分の会社を作れるかもしれない...」という思いが湧き上がってきたのでした。

この頃、イベントで楽天の三木谷社長の講演を聴く機会がありました。三木谷さんは、興銀勤務から独立して楽天を創業したことはリスクと思わなかったのかと聞かれ、「死ぬときに「ああすればよかった」と後悔することが人生最大のリスク」と述べられていて、この言葉が当時の僕に深く刺さっていました。

ライフイベント

そんなある日、会社にいるときに携帯に妻から電話が入り、子どもができたことを知ります。

結婚してからも仕事に没頭してきた自分にとって、それはそれは嬉しい知らせで小躍りしましたが、一方で電話を切った直後に「5年後10年後の我が家の姿」が鮮明に頭に浮かんだのです。
それは、『夜遅く帰宅すると、娘(勝手に女の子に決めていましたが)と妻がよそよそしい態度で、「誰のために仕事してると思っているんだ!」と怒鳴る自分に「だってパパちっとも家にいないのに何言ってるのよ!」と娘が怒る』といった、ドラマのいちシーンのような姿でした。SE時代は、毎晩深夜にタクシーで帰宅、休日出勤も当たり前。本部勤務でも先輩たちは「もう何日も家に帰ってないよ」「家出るときに子どもたちから「今度はいつ来るの?」って言われたよ」と誇らしげに話していて、このままだと確実に自分もそうなるのは明らかだったのです。

大企業に入り、仕事を頑張って成果を出せば、幸せな人生を送ることができるに違いない、と漠然と考えていたけれど、実際には仕事仕事で妻と一緒に夕食をとることもままならず、頑張れば頑張るほど幸せから遠のいていく感じがありました。今の会社で頑張っていけば安定した仕事人生が送れるだろう、でもそれは本当に幸せだろうか・・・。
「自ら生みだした商品やサービスを世に問う」ことが、自分の想いではなかったのか。
生まれてくる子どもに胸を張れる人生はどんなものだろうか。
50年後の自分が今の自分にアドバイスするなら何というだろうか・・・。

いろいろと考え、自問自答を繰り返した結果、「込み上げる情熱」「根拠のない自信」「過度の楽観主義」という『3種の神器』が自分の中で揃い、「子どもが生まれるので辞めます」と会社に辞表を出すことになります。

ビジネスプラン

さて、会社を辞めて独立起業ということにしたものの、最初から絵本ナビをやることにしていたわけではありません。
ざっくりと「B to C(個人向け)のネットサービス」という領域を定め、15のプランを作成しました。
その15番目のプランが、参加型絵本情報サイト「絵本ナビ」でした。

会社を辞めてから半年間は「自主育児休業期間」として、事業立ち上げの準備をしながら子育てしていました。
(・・・こう書くと素敵な感じですが、仕事人間だった僕は家事育児についてはまるで戦力になっておらず、しかも無職なわけなのでもう妻には感謝しかありません。ただこの時期に子育てに向き合ったことが、後の僕の活動に大きな糧となっています)

おむつ替えも沐浴もうまくできない新米パパでしたが、生後二ヶ月の娘に家にあった絵本『はらぺこあおむし』を読んで聞かせたところ、機嫌良く笑ってくれた気がしました。
言葉はわかるはずもありませんが、いつもお世話をしてくれる人が笑顔で語りかけてくる、というのは赤ちゃんにも伝わるんだ!と感激し、「これなら俺にも出来る!」と嬉しくなりました。

時間はたくさんありましたから、もっとたくさん絵本を買おう!と喜び勇んで本屋へ出かけますが、さて、何を選べばよいのかがわかりません。
表紙を見せて山積みになっている絵本が目立ちますが、これは営業力が強いだけかもしれない。棚を見ると「出版社別」で並んでいる。帯に「よい絵本」って書いてるのがよいのかな・・・うーん・・・。
ならば図書館だ、ということで絵本コーナーに行きましたが、今度は「作者のアイウエオ順」で棚に並んでいたり、「日本の絵本」「海外の絵本」・・・うーん・・・。
その日は結局、一冊も買わずに家に帰りました。

ではすでに子育てをしているママ達はどうやって絵本選びをしているのだろう?
ということで、友人知人の先輩ママに聞いてみると、ママ友から教えてもらったり、先に子育てしているお姉さんに聞いたりで、要は「クチコミ」が頼りということでした。
そこで、先輩ママたち10人にアンケート用紙を送って「我が家のお気に入り絵本5冊」をコメント入りで教えてもらいました。5冊×10人でのべ50冊の絵本が出てくることになるわけですが、当時絵本のことを何も知らなかった僕は、住んでる地域も生活水準もそれほど変わらない家庭なら、読んでいる絵本もだいたい同じに違いない、と思っていました。
ところが、アンケートが返ってくると、のべ50冊の絵本のうち重なっていたのは1冊だけで、他はバラバラ、合計49冊の絵本リストができたのです。

この「我が家のお気に入り絵本のコメント入りリスト」を協力してくれた皆さんに配ったところ、その場がとても盛り上がりました。知らない絵本がたくさんあって、コメント見ると面白そう、そしてリストをきっかけに「我が家の絵本談義」に花が咲きました。
「これを・・・我が家のお気に入り絵本をおすすめしあうことを・・・インターネットで行うサービスがあったらどうでしょう?」という僕の問いに、皆さんが「それがあったらすごく便利!」「私は絶対に使う」「みんなに喜ばれるよ」「そこから絵本が買えたらもっといいよ」等々、とてもニーズがあることがわかりました。

まあでもそういうのってもうあるんじゃない?という目でネットを調べましたが、当時はブログやSNSもない時代で、個人のママが趣味で作ったホームページか、書誌データが並んでいる初期のネット書店しかなく、まるで参考にならない状況でした。

その流れで、絵本市場ってどうなってるんだろう、と色々調べ出したのですが、出版社や書店からの「絵本が売れなくなってきている」というコメントが多く見られました。ここにいる一人の父親は買う気満々で財布を握りしめているのにどれを買えばいいかがわからない、一方で提供側は絵本が売れないと言っている。
だとすると、需要と供給にミスマッチが生まれていて、適切な情報で仲介することでもっと絵本は売れるようになるかもしれない。

我が家のお気に入り絵本について話してくれたママたちはみんな幸せオーラに満ちていてポジティブでした。僕が絵本に突き動かされたように、絵本には単なる書籍を超えた魅力があるのではないか。また、時代の流れとしては、社会で活躍していた女性も出産育児によって社会とのつながりを失いがちな状況であり、他の人たちの役に立つ情報を発信する機会ができることは歓迎されるのではないか、と思われました。

そこで、参加型絵本情報サイト「絵本ナビ」というビジネスプランを作成することにしたのです。

「絵本ナビ」をやることに

「15のビジネスプラン」がどんなものであったか、もはや僕もちゃんと覚えていません。
ただ絵本ナビ以外の14個は、「どうすれば儲かりそうか」という視点で考えたもので、絵本ナビだけは「多くの人がこれを求めていて喜んでもらえる」というものでした。

友人知人にこれらのビジネスプランについて意見を求めましたが、皆一様に「絵本ナビがよいと思う」という回答でした。(他のプランがイケてなかった、ということもありますし、「絵本ナビが一番、金柿らしい」という声もありました)

一方で、前職時代の僕を知る方々からは、複雑な反応が多くありました。それほど、これまで歩んできた道と、これから歩む道には大きな違いがありました。

それでも僕には迷いはなく、目の前にいる小さな娘が嬉しそうに絵本を見ている姿や、それを見つめる祖父母のまなざし、友人ママたちからのアドバイスなどから、この事業には「大義」があると感じられました。まだどんな形で展開していくかも決めていないうちから、『幸せな時間』というキーワードが浮かびました。そう、絵本ナビは『幸せな時間』を応援する会社にしよう、と心に決めたのでした。

こうして、株式会社絵本ナビ(の前身である、有限会社ゴールデン・サン)を設立することになります。
会社の設立は2001年10月、絵本ナビのグランドオープンは翌2002年の4月のことでした。

(どうして船で旅立ったのか、という話しでしたが、航海をはじめてからの様々なエピソードは、追々書いていければと思います)

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(2022/5/1追記)最新情報で更新しました。


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