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逃避の散歩 96.雨の新宿区12駅ラリー(その1:新宿三丁目~牛込神楽坂)

野暮用を済ませ、地下鉄新宿三丁目駅C4口がある新宿三丁目東交差点の前にいる。

あいにくの雨天だが以前から考えていた新宿区内にある鉄道駅のラリーをしていこうと思う。

記憶が正しければ、新宿区内の駅は新宿と四ツ谷、都営荒川線の早稲田停留所と面影橋、計2駅以外駅前の出入口が登場していないはずだ。この新宿三丁目駅を含め、これまでに登場していない駅は21ある。今回はそのうち12駅を歩いて行く。ルートは以下の通り。

新宿三丁目駅→東新宿駅→都営大江戸線若松河田駅→東京メトロ早稲田駅→都営大江戸線牛込柳町駅→東京メトロ神楽坂駅→都営大江戸線牛込神楽坂駅→東京メトロ九段下駅→都営新宿線曙橋駅→東京メトロ四谷三丁目駅→JR信濃町駅→東京メトロ新宿御苑前駅

スタート地点は一番北側にあるE1口。そこまでは目の前のC4口から地下道をを通っていく。階段を下り切ると、左に都営新宿線の改札口があるが、逆の通路を進んで階段を上り、都道305号・明治通りの新宿三丁目交差点の真下に出る。

来た方向から見て右前にある伊勢丹の入口の横にE1~E4口への案内板と下り階段があるのでそこに入ると、途端に人通りが減り歩きやすくなる。途中で下り坂になるところで靖国通りの下を通過。奥まで進み、突き当りを左折して階段を上る。

よく新宿の地下道がわかりにくいというが、覚えてうまく利用すれば、新宿二丁目から新宿中央公園前まで傘を差さずに歩けるし、地上の大きな交差点で信号待ちする必要もなくなる。現に、この上にある新宿三丁目と新宿五丁目交差点の人混みと信号待ちを回避できている。

7分かけて新宿三丁目駅E1口に出た。ここは花園神社の裏手に位置する。ここから改めて計測開始する。まずは明治通りに出て北上。

この辺りは以前、上野まで歩いたとき(25回)にも通過しているので、説明は省いていいだろう。坂を下って新宿六丁目交差点の横断歩道を渡るとすぐ上り坂になり、新宿七丁目交差点を二段階右折して都道305号・抜弁天通りを入ってすぐのところに次の駅の出入口がある。

7分経過、都営大江戸線と東京メトロ副都心線が停まる東新宿駅A2口前を通過。このまま通りを東へ進む。

少し下りになって、次の信号の先で通りが上り坂になったところで現在歩いている北側の歩道が通りから外れた切り返し用の側道に入る。だが、道から外れているわけではなく、途中で横断用のトンネル前で歩行者用の上り坂があるので、再び合流する。

坂の上は大きな三叉路の抜弁天交差点。進行方向から見ると正面と右に分岐し、右へ行くと靖国通りに合流するので、もちろん進むのは正面の道だ。交差点を越えると緩やかな下り坂になる。この坂は団子坂という。

警視庁第八機動隊と区立余丁町小学校の前を通過した信号のところで部分開通した環状四号線が合流する。この先はさっき通過した抜弁天交差点から右へ延びている道と合流している。この道は昨年通ったときはまだ完成していなかった。あとでいつ完成したか調べよう。

この交差点から上り坂になり、右前方にある次の駅舎の前に近づいているのがわかる。

15分経過、都営大江戸線若松河田駅川田口前を通過。続けて若松口前も通過する。この若松口前にある河田町・東京女子医大北交差点から東京女子医大通りが延びている。かつて、この通り沿いの並びにはフジテレビの社屋があった。現在はマンションに建て替えられている。

若松町交差点で信号待ちをする。この交差点で左右を交わるのは、都道433号・大久保通り。飯田橋駅前にある飯田橋交差点が始点で、JR大久保駅と新大久保駅を通過して杉並区高円寺南にある環状七号線の大久保通り入口交差点が終点になる。一部は桃園川(47回)と並行しながら延びている。

横断歩道を渡ってこの通りを横切り、正面奥の坂を下る。坂の名は夏目坂通り。名の由来は坂の途上に夏目漱石の生家があり、彼の父がつけたという。

次の信号で左に曲がり、また次の信号で右へ少しだけ蛇行しながら坂を下ると早稲田通りに出る。それと同時に立ち止まった交差点には、その名称どおりの駅の出入口がある。

26分経過、東京メトロ早稲田駅2番口前を通過。いまいる場所から向かいの酒屋の隣に漱石生誕の地であることを知らせる記念碑が建てられている。そして、この交差点から北側に延びている坂道を下るとやはり以前上野まで歩いた時(25回)に通過した早大通りに合流する。

だが、次の駅は南東にあるので、まずはこのまま早稲田通りを進む。上り坂になり、最初の信号で右前に延びる道がある。

さっき夏目坂を通ったついでに漱石繋がりで、漱石山房通りと名付けられているこの道を通り抜けて外苑東通りに出よう。

この通りは、最初は緩やかな上り坂になっているが、早稲田公園の前を越えたところで下り坂に、そして区立早稲田小学校の前に来たところで左へ緩やかに曲がる上り坂になる。

早稲田小学校からの坂を上り切って32分経過し、また下りになり始めたところで区立漱石山房記念館の前を通過する。その名の通り、漱石が晩年過ごした通称「漱石山房」の跡地に建てられたものらしい。この横には入口に銅像(トップ画像参照)が設置された漱石公園がある。

開館して間もないころに行ったことがあるが、実はここで展示されている本物の遺品や資料は長襦袢一着と書簡がわずかにあるだけだ。ちなみに、遺族が持っていた漱石の遺品を多く所蔵しているのは、神奈川県横浜市の港が見える丘公園内にある神奈川近代文学館だ。

昔聞いた話だが、新宿区が遺族から漱石の遺品を借りて、紛失したことがあったそうだ。

坂を下るとすぐ短い上り坂になり、外苑東通りに出る。以前、ここから北にある弁天橋交差点から南の市川柳町交差点までの間は道幅が狭い区間だったために以前から拡幅工事がずっと続いていたが、先を見渡すとだいぶ完成してきたようだ。右折して少し進んだところで草間彌生美術館前を通過。

さらにそのまま緩い上り坂になっている道を進み、大久保通りと交わる市谷柳町交差点に向かう。その交差点手前の角で右折し、坂を上りつつ最初の十字路を左折。

40分経過、都営大江戸線牛込柳町駅東口前を通過。実は、この手前でエレベーター口を通過している。ここから再び大久保通りに出て市谷柳町交差点を越え、上り坂を進む。

坂を上り切って平坦な道となり、43分経過したところで市谷小学校前交差点を越え、すぐ次の信号のところで左折。区立牛込第一中学校の校門が見えたらその前を右折。牛込中央通りに出て信号を渡り、かつては教育専門出版の大手だった旺文社の前を通る。

区立あさひ児童遊園を目印にその手前の角を左折して最初の十字路を右折。左にカーブしながら道なりに進んで北上すると、神楽坂通りに出る。右折してすぐ、次の駅の出入口が見えてきた。

蛇足だが、逆に左折をして西へ進むと牛込天神町交差点で早稲田通りと合流し、そこから北へ江戸川橋通りが延びている。山吹町交差点で早大通り、そして江戸川橋交差点で新目白通りと合流する。早大通りから江戸川橋のあたりは新宿から上野まで歩いたときに辿った道だ。

52分経過、東京メトロ神楽坂駅1a口前を通過。このまま神楽坂通りを下り、横断歩道がある十字路を右折し、朝日坂を上る。進行方向から見て右側に圓福寺という寺が見えてきたら、その先の角を左折して坂を下る。

もうお気づきとは思うが、新宿区は起伏が激しい。最近は起伏の少ない場所を歩くことが多かったので、久々に歩いてみると結構楽しい。

坂の途中で袖摺坂という階段坂が見える。少し先を見渡すと牛込神楽坂駅A2口が見えるが、そっちへは行かない。袖摺坂を下りて再び大久保通りに出て横断歩道を二段階右折するので、余計な信号待ちをすることになるからだ。

よって、右側に見える角を曲がって通りに出て、さっき通過した牛込柳町駅方面へ進むともう一つの出入口が見えてきた。

58分経過、都営大江戸線牛込神楽坂駅A1口前を通過。

そして先の牛込北町交差点で信号待ちをする。この交差点は牛込中央通りと交わっていて、この裏手がさっき通過した旺文社だ。信号が変わったので左折して、さっき横切った牛込中央通りを南下する。

上り坂を進み、最初の春日小学校入口交差点で平坦になる。そこから2つ信号を越えると左に折れ、長い坂を下っていく。

(その2:市ケ谷~新宿御苑前)へ続く。