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バズに深い意味はない、という話

いきなりですが(写真の場合)「バズ」というのは突き詰めると「奥深さ」が拡散のモチベーションにはなっていないと思うのです。昨今のSNSの状況を注意深く見ると、爆発的に広がるのはそれとは反対の「瞬間的に、気分的にシェア(共感)したくなる写真」という傾向があるのが分かってきました。いろんなジャンルがあるので一概にはまとめられませんが、今の言葉を借りるなら「エモい」写真が多いですよね。

ほかには、ネタ系や面白系なんかもものすごく広がります。写真自体の良さというよりも、そこに写る「出来事」がたくさんの共感を呼ぶんですよね。ただ、そうなるともはや写真家の領域ではなくなってきます。

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「プロ」の写真が往々にしてSNSでそれほど広がらないのはそういう理由があるのかもしれません(もちろんそうでない人もいます)。多くの場合、仕事柄どうしても写真が一見して難しかったりとっつきにくかったりして広がりにくいからかもしれません。

一方で写真を始めたばかりの人がある日突然バズることもありますよね。最近だと東京の大雪の写真がたくさん拡散されていました。そのほとんどが写真家による写真ではなかったと思います。もしかしたらみなさんも一度くらいバズの当事者になった経験があるかもしれませんね。

というように、これからは誰もがバズれる時代なのだと思います。それくらい身近で当たり前のことになっていくはずです。時代は、特別な誰かよりも「誰もが主人公になり拡散の共犯関係を結ぶ」ことを求めています。(そういえば、スターウォーズの『最後のジェダイ』もそのようなことを示唆する内容でしたね)

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さて、ここで浮かび上がってくるのは、写真自体のクオリティの高さが必ずしも共感(バズ)を呼ぶとは限らない、ということです。もちろん何をもって「クオリティが高い」というかは議論しなければいけませんが、先述の通り写真を始めたばかりの人でもそれなりの写真であれば、もしくはそこに写る出来事がおもしろければ、バズるというのは象徴的ではないでしょうか。

必死に写真を撮っている人なら「こっちはちゃんと撮ってるのに、なんでそんな写真が・・・」と思ってしまうかもしれません。しかし、心配することはありません。バズとは、神輿をかついで楽しく騒ぐお祭りみたいなものなんだと思います。多くはみんなで盛り上がった方が楽しいからという刹那的なものに見えます。もしかしたら乗っかっているものの良さを知らずにかついでいる人もなかにはいるかもしれません。

だから、バズ自体には深い意味はないし、そこには写真の本質はないはずです。ある意味では無情な消費なのですから。(でももしかつがれたらのっかりましょう。笑)

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とはいえ、写真は仕事であれ、趣味であれ、見てもらってなんぼですよね。少なくとも世に発表する人なら、やり方の程度の差はあっても誰でも見て欲しいと思っているはずです。だからたくさんの人に広がるのはよいことだし、わたしたちは「見て欲しい」という気持ちに正直でいてよいのです。

今は誰しも多かれ少なかれ見てもらいたい気持ちと消費されてしまうこととのジレンマを抱えながらやっている過渡期にいるのだと思います。近い未来にバズることがもっと普通になり特別なことではなくなったとき、ようやくわたしたちの心にも平静が訪れるのかもしれません。

いや、それはないか...

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