バズに深い意味はない、という話

みなさん、こんにちは。写真のお仕事でご飯食べたりしている写真家の濱田英明 @hamadahideaki です。2018年はこっちでもちゃんと発信していこうといろいろ企んでいて、今日はその助走として「バズ」について書いてみました。バズって何? 食べられるの? っていう方には申し訳ないのですが・・・みなさまひとつよろしくお願いします。

いきなりですが、写真の場合、バズというのは突き詰めると奥深さが拡散のモチベーションにはなっていないというふうに考えています。昨今のSNSの状況を注意深く見ると、爆発的に広がるのは「瞬間的に気分的にシェア(共感)したくなる写真」という傾向があるのが分かってきます。いろんなジャンルがあるので一概にはまとめられませんが、今ふうに言うと「エモい」写真が多いですよね。バズの方程式みたいなのもあるのですが、長くなるのでそれはまた別の話。

ほかには、ネタ系や面白系なんかもものすごく広がります。きっとそこに写る「出来事」がたくさんの共感を呼ぶのですよね。ただ、そうなるともはや写真家の領域ではなくなってきます。ネタとしてやっている人はそんなに多くありません。

プロの写真が往々にしてSNSでそれほど広がらないのはそういう理由もあると思います。もちろんプロでもばんばんバズっている人はいますが、多くの場合は仕事柄、写真が一見して難しかったりとっつきにくかったりして広がりにくいからです。(ちなみに誰かの顔がはっきりと見えるポートレートも広がりにくいです)

一方で写真を始めたばかりの人がある日突然バズることもありますよね。最近だと東京の大雪の写真がたくさん拡散されていました。そのほとんどが写真家による写真ではなかったと思います。もしかしたらみなさんも一度くらいバズの当事者になった経験があるかもしれませんね。

というように、これからは誰もがバズれる時代なのだと思います。それくらい身近で当たり前のことになってきています。時代は、特別な誰かよりも「誰もが主人公になり拡散の共犯関係を結ぶ」ことを求めています。(そういえば、スターウォーズの『最後のジェダイ』もそのようなことを示唆する内容でしたね)

さて、ここで浮かび上がってくるのは、写真自体のクオリティの高さが必ずしも共感(バズ)を呼ぶとは限らない、ということです。そこに必ずしも相関関係はない、というと報われない感じがしてちょっぴり悲しくもありますが、とくにいまのツイッターはそういう状態になっています。

もちろん何をもって「クオリティが高い」というかは議論の余地がありますが、先述の通り写真を始めたばかりの人でもそれなりの写真であれば、もしくはそこに写る出来事がおもしろければ、バズってしまうというのは象徴的ではないかと思います。といっても、一夜にして数万RTを得たとして、どんな人であれ継続していくのはとても難しいのも確かです。

必死に写真を撮っている人なら「こっちはちゃんと撮ってるのに、なんでそんな写真が・・・」と思ってしまうかもしれません。正直に言うと、以前はぼくもそういう気持ちがちょっとありました。(そうやって羨む時期はすぎましたが。笑) 

しかし、心配することはありません。バズとは、神輿をかついで楽しく騒ぐお祭りみたいなものなのです。多くはみんなで盛り上がった方が楽しいからという刹那的なものなのです。もしかしたら乗っかっているものの良さを知らずにかついでいる人もなかにはいるかもしれません。だから、バズ自体には深い意味はないし、そこには写真の本質はないのです。ある意味では無情な消費なのですから。(でももしかつがれたらのっかりましょう。笑)

とはいえ、写真は仕事であれ趣味であれ見てもらってなんぼですよね。少なくとも世に発表する人なら、やり方の程度の差はあっても誰でも見て欲しいと思ってやっているはずです。だからたくさんの人に広がるのは基本的にはよいことだし、我々は「見て欲しい」という気持ちに正直でいてよいのです。

写真を撮ったらシェアするのが当たり前となり一連の流れはますますシームレスになりました。そしてチャンスは誰にでもあるという素晴らしい状況が生まれたのです。我々はなんて素敵な時代に生きているのでしょう!

今は誰しも多かれ少なかれ見てもらいたい気持ちと消費されてしまうこととのジレンマを抱えながらやっている過渡期にいるのだと思います。近い未来にバズることがもっと普通になり特別なことではなくなったとき、ようやく我々の心にも平静が訪れるのかもしれません。いや、それはないかな。笑


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Hideaki Hamada

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