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runner #8

 こうして何もかも手につかない日。内側がごちゃごちゃしていて、ちゃんと畳めば倍は入るはずのタンスの中。いつもなら、こんな日はダメな日だと消化して終わる。そして退屈な1日に憂いて、この愁いが終わるのをひたすらに待つ。

 けれど、あるひとつの可能性に思い当たった。私は動かない日を軽蔑している。何故か呼吸が苦しく、側頭部をぐるりと縄で締められているような感覚に陥るこの日を軽蔑している。あれやこれやと、やりたいこと、やらねばならぬ事、その全てに手に付かないからだ。
 そんな今日という日。だがもしかして、それはただ穏やかな日なのではないだろうか。
 考えられないのだから、考えなければいい日。ただ黙っていればいい日。ひたすらに受け取れば良い日。後天的欲望の達成にはエネルギーがいる。今日は、ただ燃料不足なだけなのかもしれない。
 そんな穏やかな日。その時間をもう少し大切にして、穏やかな今日にしか出来ないことをやればいいのではないだろうか。
 それはきっと、争わないという時間だ。僕はいつも何かを追いかけ、考え、常に気を張って燃料を消費する。そうして常に枯渇している。そんな日々を送っていれば、たまにはこんな日もあるだろう。そうは考えられないだろうか。

 などと頑張って肯定してみる。この考えは、おそらく正しくて、しかし認めたくない事だ。僕の妄想のセカイの憧れ人は、24時間常にフルスロットルだから。僕もそうでなければならない。
 しかしそれは、ただの妄想なのだと、本当は理解している。強いて言うなら、憧れ人は充電とフルスロットルのバランスが上手い。だから24時間に見えるだけなのだ。僕のように、0か100かではないのだろう。1日の中で多面的レバレッジのかかる瞬間を見極めて、幾度も死力という賭けを断続的に行っていく。生死の往来を続けることで、半永続的エネルギーを放っているに過ぎない。
 もちろん憧れ人は、僕たちよりも遥かに心身への負担が激しい。だがそれ以上の回復力を誇り、時に冬眠のような時間も作っている。

 モテる人は、相手への余裕が違うと言う。緊張すれば体力を数倍使うし、全ての能力が半減する。余裕がないと、その人の魅力が正しく表発されないのだと思う。
 僕は常に緊張し、常に強ばっている。それは焦るが故、欲望が故なのだと思う。もちろんこれは、モテない僕の言い訳だ。黙ってて。


だが僕の憧れ人は、余裕の持ち方が違う。

世界に対する余裕が違う
セカイに対する余裕が違う
欲に対する余裕が違う

 彼らを効率の良い生き方とは呼ばない。効率を求めれば、彼らはもっと効率良く生きる事は出来る。非効率こそ彼らの真髄。非論理こそ彼らの願望。
 無欲たれ。それは強さになる。全てを守れ。それは全てを棄てることにある。

 その瞬間を見極めろ。その瞬間は、一日の中で幾度も訪れている。争うな。天才的なランナーが、最高の立ち姿かは分からない。両方を見極めて、全て喰らえ。己の全てを内包し、受け入れてあげれば、それで良い。今日を否定すれば、昨日は永遠に終わらない。明日を願う前に、昨日を受け入れろ。


ひどい文章だな。よほど疲れているらしい。

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