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嫌われる勇気と承認欲求と飲み会・1

 数年前からアドラー心理学「嫌われる勇気」が僕のバイブルになって以来ずっと、承認欲求について考えていました。

アドラー心理学では、「承認欲求を否定し、他者から認め、ほめてもらう事を重視していれば、それは、他者の生き方にそった生き方になってしまう」そう書いてありました。
 

 確かに、ある人に好かれたい、認められたいそう思えば、その人が喜ぶような言動にとらわれてしまい、自分の自由や自分がどうしたいのか、主体性がおろそかになってしまいます。

 承認欲求の否定は確かに、一理あります。

 また、承認欲求が強い人は現代では、「かまってちゃん」と言われめんどくさい人という烙印を押されるでしょう。

 一方で、承認欲求が全くない、誰からも褒められなくても、認められなくても生きていける、そういった人も中には存在するのでしょうが、僕自身、承認欲求は普遍的欲求だと思っています。

 僕を含め、多くの人はSNSで承認を求め、誰かと繋がって自分の存在を認めて欲しいと思うのが人間なのではないでしょうか。

 そういった意味で、僕も承認欲求があるのは自然であって、むしろ誰かと関わりたいという欲求があるのは、健全だと思うようになりました。

○15分と二日半

11月地元のイルミネーション点灯式では、仲間がバンド演奏するといった告知があり、見学しにいきました。

 仲間のバンド演奏を応援し、その後ある人と話す事が出来ました。

 時間は15分。

 あまり深い中ではなかったのでお互いFacebookなどで知ったことをごく自然に話し、充実した後、僕はその場を去りました。

 僕にとってその人のオーラに惹かれ、なんだか胸が熱くなりました。
 

 日頃、「承認欲求」について悶々と考えていたのに、いざ人と話すとその欲求はどこかへ消え、僕の心のエネルギーが満たされた状態になりました。

 たった15分でしたが、そのエネルギーで2日半幸せに包まれました。
 

 心理学の本や自己啓発本を読み思考を深めることもいいのですが、こうして人と会って話すことがどれだけ僕の心のエネルギーを溜めるのかよくわかりました。

 それは、難しいことを考えずとも行動し、人と会って話す事の大きさを実感した出来事でした。続く

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