トランピズムの先行者・自民党、そして、自公政権を打倒することが理解できない野党の政治的無関心者という不要な存在

アメリカでは共和党のジョン・マケインがオバマケアへ賛成票を投じるような政治の仕組みである。それが民主主義である。しかし、日本では、自民党は党議拘束があり、野党にも党議拘束が存在する政党がある。そのような風土では、政治家個々の政治信条と党の方針が合わないから、アメリカのような政治システムにならない。
日本はすでに小選挙区制が導入されたのだから、二大政党制を志向せざるをえなくなった。もっとも、日本の場合、自民党には公明党という補助輪、立憲民主党には日本共産党という補助輪がついている。これら、補助輪付きの二大政党制にどのような意義があるのか、私にはわからない。しかし。公明党は、ジョン・マケイン的な動きを行うこともある。だが、日本共産党は、綱領が存在し、その党の綱領に自らの政治信条を合わせなければいけない。果たして、綱領の読み合わせなどする政党があるのだろうか。日本共産党ぐらいではないか。校則の読み合わせのようで、どんな意味があるのか、私には理解できない。このような綱領の読み合わせ、綱領に合わせていくという政治姿勢が、政治的無関心を実は形成する。事実、日本共産党は、関西生コン不当逮捕には無関心、冷淡である。政治家が政治的弾圧に無関心だから、国民も政治的無関心になって仕方がない。
自民党からしてそうなのだ。政権党であるから、現在、日本が直面している政治的課題は新型コロナウイルスの感染拡大をいかに防ぐかであり、日本学術会議を軍事研究に使いたいから任命拒否だとか、二階俊博と観光業界の利権がらみでGo To トラベルなどをやっている暇はないはずだ。このような自民党の姿勢そのものが、政治的無関心である。
日本では政治家が政治に無関心なのである。現在の野党の課題は、自公政権を打倒する、という明確な課題しかないのに、山尾志桜里のような政治的無関心者は、自らの改憲案に酔っていて、現在、すべきことが見えていない。そして、山本太郎も政治的無関心者の一人である。彼は、演説さえすればよいと考えているようだが、いったい、小選挙区でれいわがなぜ、勝てるのか。自民党を倒すという明確な政治的課題から逃亡している政治的無関心者である。演説だけなら、脱原発の重要性を講演して回っている小泉純一郎氏とそう違いはないではないか、ただし、山本は街頭で、小泉はホールで、という違いはある。
福島瑞穂も自公政権打倒し、政権交代を目指すなら、四の五のいわずに立憲民主党へ合流すべきである。福島瑞穂も自公政権を打倒する、という政治的課題から逃亡している政治的無関心者にほかならない。
ジョン・マケインは共和党だが、民主党大統領が提案したオバマケアに賛成を投じた。それは党が、ジョン・マケインの政治思想を拘束しないからだ。だが、日本では、党が個々の党員の政治思想や良心を党の名で拘束する。そのような風土の日本で国民へ政治的関心を持て、と上から目線でのたまうほうが、気が狂っているとしかいいようがない。
そして、政権党の自民党は利権と私腹を肥やすことしか考えていない。改憲にせよ、自民党改憲案草案につきあった小林節という学者すらうんざりするような無知ぶりなのだ。自民党の政治家の憲法についての無知ぶりさは、トランプが大統領に就任したとき、全く、合州国憲法を知らないので、特訓講義を受けたようなレベルなのだが、自民党がもうすでに「トランピズム」であり、「トランピズム」は自民党の政治的無関心な癖に権力欲は異常に強いという姿勢がトランプが模倣したとしかいいようがないのだが、トランプとバノンは自ら産んだ思想というだろうが、先行者は自民党である。政治的無関心な人物が権力欲を満足させるためだけに政治家へ転身するというのは日本政治のお家芸である。そそのような国で「選挙へ行こう」と訴えるアピールは意味があるのだろうか。

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