神社本庁と天皇が大日本帝国をアジア侵略へ向かわせた心の拠り所である

地域の神社は、もともとは、天皇とは関係なく、五穀豊穣を地域で祈り、祭りをしていた。だから、男根信仰の神社があったりすることもある。おかしなことに江戸時代は檀家制度でどこかの仏教に属さなければいけなかった。庶民は、本願寺、つまり、親鸞です。武家は禅。天皇は法華です。江戸時代は、仏教に属しながら、地域の神社も守られていた。宗教の違いは意識されておらず、その地域の習俗となっていた。明治に入り、廃仏毀釈が起きて、神社本庁に組織された地域神社は天皇に結び付けられるようになった。とはいえ、もともと、天照大神信仰の神社は地域にあった。
急激な帝国主義化を進めるため、日本は天皇を頂点とした絶対君主制を選んだ。重商主義の頃のスペインやポルトガル、イタリア、イギリスのような国で、西洋諸国が大航海時代がから
世界を侵略してきた、その後追いとして、琉球、台湾、朝鮮半島を侵略した。満洲まで建設し、アヘンで戦争資金を作った。そのアヘンで戦争資金を作った一人に安倍の祖父・岸信介かがいる。天皇と神社は、侵略主義を臣民に正当化するための装置である。

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