日本では、なぜ、理系、文系とわかれるのだろうか

中世、宗教権力が強い時代、教会権力の天動説に対抗して地動説を唱えるのは必然的に思想化してしまう。イエズス会のジョルダーノ・ブルーノは地動説を唱え、火あぶりにされた。ガリレオは転向したが、一生監視された。
日本では、理系は「思想」「哲学」「人文」と関係ないかのような洗脳をされている。しかし、理系、文系と分けること自体、間違いである。数理経済学は一体、「理系」「文系」どちらになってしまうのだ?

日本の「自称理系」は意外と、トンデモに弱い。
それはベースの国語力が弱く、「読解力」が不足しているからだ。
近代西洋科学とは、スピノザが神の存在的証明を数学的に証明するという壮大な試みというような「思想」の上に築かれている。
そのことをわかっていない日本人は、いくら「理系」「自然科学」で偉大なる業績を発表しようが、日本人のその偉業は、近代西洋科学の歴史と「切断」された「学習」としか認識されていない。
残念なことではないか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?