ロビンソン漂流記は、極限に置かれたときに生き延びるための精神を支えるメソッドが書かれてある

ロビンソン・クルーソーは、絶海の孤島でフライデーに会うまでに26年、一人で生きてきた。
自由だけはある独房囚と言える。その自由は絶海の孤島では、無駄な権利である。
フライデーは、金曜日に出会ったから、フライデーとロビンソンは名付けた。フライデーは、人喰い人種国同士の戦争で捕虜にされ、食べられる前にロビンソンは食べる者たちを射殺した。ロビンソンは、遭難した船から銃や銃弾ほか、つかえるものを島に持ち込み、節約しながら生きてきた。食事は野生の鳥肉を、火炙りにして食べる。干し葡萄が遭難した船に残っていたので、ロビンソンは干し葡萄が楽しみになった。ちなみに酒もあったので持ってきたが、飲んでいない。なぜなら、野生の動物に食われる蓋然性があるからだ。
ロビンソンは、遭難した船に聖書があったので、朝、晩、読んだ。ロビンソンは、神はあなたを見捨てない、という言葉を見つけ、生きる縁とした。
ちなみに、籠池夫妻は、拘置所内で、生長の家の初代・谷口の本を読み、生きる縁にした。
ロビンソン漂流記は、極限に置かれた人間は、何を支えに生きるか、という、アウシュビッツにも通じる文学である。
ロビンソンは、それは、遭難した船に残っていた聖書であったのだ。ロビンソンは、遭難し、絶海の孤島にまで、たどりつき、死ななかった。そして、気を取り直し、絶海の孤島で、丸木船を幾日もかけ、作り、遭難した船まで行き、できるだけ持ってきた中に聖書があった。
その聖書がロビンソンの支えとなった。
私たちは、極限に置かれたとき、何を支えにするのか。
アウシュビッツで、ガス室へ送られずに、ナチス滅亡で生き延びたユダヤ人は、二種類にわかれた。PTSDにかかった者。PTSDになっていない者。後者はレジリエンスが強いのだが、それは、アウシュビッツの中で、そのユダヤ人たちは、戦争が終われば、必ずナチスへ報復する、ヒトラーを殺す、ということを支えにして生きてきた。
人間は、極限に置かれたら、どうするか。
最終的には、精神を支える何かである。
それが、ロビンソンは聖書である。
ちなみに、ロビンソン漂流記を書いたダニエル・デフォーは、英国国教会を冷罵した論文で投獄されている。

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