世界の為に日頃の行いを良くする

私は大学に6年間通学した後に退学した訳だが、その最たる退学理由は麻雀である。
いきなり何を言うのかという話だが、
つまりはギャンブルが好きであるということを言いたい(`・∀・´)エッヘン!!
比較的天運などに任せずに、論理的にギャンブルをする方なのだが、
とは言えギャンブルとは水物であり、ツキがないと勝てないもんは勝てない。
「こんなカンチャン一発で引かされるか!」
とか
「ノーチャンス地獄単騎で待つなよ!」
とか、そういった非常にツキがない時もある。
(わからない人はすっ飛ばしてください)
そんな時、心の中では
「ツイてないなぁ」
とか
「日頃の行いが悪いからかなぁ」
なんて思ってしまう。
そんなこんなで実は都合のいい縁起担ぎや迷信などは信じるのである。
(どこが論理的だ、と。)

それでは、”日頃の行い”とは一体何なんだろうか。
最近よく聞くキーワードで
「信頼銀行」であるとか、
「信用持ち」(金持ちと比較した言葉)とか、
「貯人」(貯蓄と比較した言葉)をよく聞く。(俺だけ?)
これはどういうことかと言うとお金の価値よりも、人との信用、信頼の方が価値として有用であるということである。

例えばAさんとBさんがおり、いずれも約束の場所に遅刻してきたとしよう。
その時、Aさんは周りの人間から
「どうしたの、何かあったの」
「無理なら休んでいいよ」
と遅れてきたにも拘らず心配されていた。
Bさんの方はというと
「遅れてきたら困るんだけど!」
「遅れてくるなら、事前に連絡をしてください!」
と注意された。
この違いは一体何なのか?
遅刻してきたという一点で言えば、物理的には何も変わらない。
しかしAさんは今まで1回も遅刻をしたことのなかった人間なのである。
一方、Bさんは遅刻の常習犯である。
つまり、日頃の行いが違う訳だ。
仕事であれば場合によっては罰金というケースもあるだろう。
これは遅刻なんていう小さな出来事に関わらず、本当に困った時でも
同じ事が言えよう。
仮にお金が関わっている事でもきっと同じだと思う。


しかし今回、こんな当たり前のことを言いたい訳ではない。

”日頃の行い”というのが人の信用や信頼を蓄積するものであって、
必ずしもギャンブルに勝つためのものではないということは
お分かりいただいただろう。
しかし、この日頃の行いが悪い事により、周りの人間が迷惑を被ることを考えたことがあるだろうか。
今までの話では、
『日頃の行いが良ければ信用を得られその人本人に幸せが訪れる』
ということは想像できよう。
しかし、日頃の行いが悪かった、Bさんが世界を困らせることになるなんて、誰が想像できようか…

昔、ゼンメルヴァイスというお医者さんがいた。
このお医者さんは産科の先生だった。
このお医者さんが勤めていた病院は二つの病棟があった。
しかし、その病棟では妊産婦の死亡率に大きな開きがあった。
なぜか片方の病棟では妊産婦が死ぬことが多い。
それはなぜなんだろうかとゼンメルヴァイスは真剣に考えた。
この時、ゼンベルヴァイスは、違いを発見した!
死亡率が高い病棟では頻繁に死体の解剖が行われていたのだ。
この死体からなんらかの細菌が医者に付着し感染させているのではないか。
実は、この当時手を洗うという行為は、一般的ではなかった。
そこでゼンメルヴァイスは手洗いを推奨し、後に死亡率を下げる事に成功する訳だが…これが素直に受け入れられなかったようだ。

憶測だがゼンメルヴァイスに絶大な信用があれば直ぐに採用され
また英雄にすらなったんではなかろうか。
因みに後に、ゼンメルヴァイスは、この批判されたことをいつまでも恨みある文献にその事を書いていたという。
(ご存知と思うがトーヤの知識の9割はマンガで出来てます)

これらの話から、あくまで私の推測だが、
ゼンベルヴァイスの日頃の行いが良い、
もしくはその言葉に対して信憑性のある人物であるならば、
いち早く手洗いお医者の間で習慣化させ、死亡率を減らしされたのではないだろうか。
更に良く聞く寓話から引用すれば、オオカミ少年も日頃の行いが良ければ
ヒツジは食べられなかったのである。
まぁ、オオカミ少年の教訓は自業自得って事なんだけど、ヒツジにとっては
少年のせいで食い殺されたって事だよなぁ、と。

そんなこんなで四十五年間オオカミ少年をやってきた訳なんだが、
トーヤの言動で世界が良くなる事もあるかも知れない訳でして
しかも娘には
「日頃の行いを良くしなさいよ」
と言っている手前そろそろ行いを良くしないといけないかなぁ
なんて思ったり思わなかったりラジバンダリする訳よね。

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