体験は”楽しいかも”を増やす事

最近、noteのネタが娘とのディスカッションになってる事が多いので
これはこれでどうかな、と思うんだけどこれが色んな気付きがあるもので
悪いこっちゃないかな、と。

さて、本日は娘との命題のきっかけはこちら
・飛行機を使った旅の予約をするのが非常に不得意なのよねぇ
(誰かしてくれればいいのに)
との、意見に対して
『それくらいチャレンジしろよ!』
と思った事。

ん?
”チャレンジ”ってなんだ?
寧ろ、チャレンジしよう!チャレンジするまい!と思う判断はどこでするんだろ?
についてお送りいたします♪

今日時点、仕事もやめてちょっと危ない感じでハイテンションになってる
私としては、なんでもやればいいじゃん!と思ってしまうわけです。
なにで、上記の意見に対してぶっちゃけ「それくらいやれよ!」なんですが
娘もどうようにチャレンジしない事もあるなぁ、という事で考えてもらうべく
ちょっとディスカッションしようと思った訳です。

私「チャレンジって何かなぁ(何でもした方がいいよね)?」
娘「…」
私「しなくていいチャレンジとかあるのかなぁ(何でもした方がいいよね?)」
娘「…」
私「やらないと分からない事ばかりだよねぇ(何でもした方がいいよね?)」
娘「…
 あれじゃない?」
私「お!?」
娘「お父さんさぁ、こないだ建築業の仕事お誘いあったじゃん?
 あれ、断ったよね?
 それを考えたらいいんじゃない?」
私「!!!!!!」

はい、どうも答えは私の中にあるようで、しかも何でもした方が良いとは
自分自身思っていない事に気づくわけです。
そして、颯爽と自分の部屋へ戻る娘…。

私は晩酌のつまみを作るべく100g128円の米国産ステーキを鉄製のフライパンで
焼きながら、娘からの指摘を一生懸命考えるのです。
自分はなぜ仕事を断ったのか(無職なのに)?
あぁじゃないこうじゃないと、肉の焼き具合を気にしながら考えました。
した事もない事を断る・やりたくないと感じたのはなぜか?
ぶっちゃけ「興味がない」と。
興味がないとは何か?
それは、「楽しいと想像できない」事だと思いました。
では、なぜ楽しいと想像できないのか?
それは、「知らないから」だ、と。
話を聞いたこともなければ、体験したこともない。
なので、やる前から「きっと面白くない」と想像してしまったんです。

娘よ、お父さんは答えが出ましたぞ♪
と嬉々としながら、娘にご報告に行こうとした時
「では、チャレンジしたいと思うにはどうするよ?」
との疑問が浮かぶわけです。
自分も沢山チャレンジする人間になりたいのはさもありなんですが、
出来れば娘にもそういう事をして欲しいなぁ、と。

まぁ、先ほど考えたことを遡れば良い訳ですね。
って事は、知る事と体験する事がすべてのスタートになるのかな、と。
それって、どうするのか?
ベタですが、本を読んだり積極的にイベントに参加する事かな、と。
いや、待て待て!
それが「勉強」って事なんじゃないか!
無知から知になる基本的な行動こそが勉強なんだ、と改めて気付きました。

今度こそ、娘に世紀の大発見よろしくで報告すると
「そうよね、勉強って視野を広げる意味で大切よね」
ですって(笑)
数学29点に言われたくねぇ!!!!!

しかし君は気付いていまい!
その視野や体験、知見とは累乗で広がる事を。
恐らく、ひとつの体験はある程度の応用や推測により、広がりを持つと思います。
すると、体験と体験を掛け合わせるとある種のシナジー効果を生み
まさに相乗効果で広がって行くんだと思いました。


当然、「勉強」と「視野の広がり」は必要条件を満たしているわけでは
ありませんが、勉強する目的のひとつだと言えそうです。
そして、その視野が広がれば広がるほど、”楽しいかも”が広がるに違いないと思います♪

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