星屑ロンリネス

 下杉達哉は独り、居酒屋のカウンターに座り瓶ビールをグラスに注いだ。
 個人経営の小さい店のカウンターには、五つの席が据え付けてあり、二つのボックス席も含め、席は殆ど埋まっていた。
 ビールの空いた後、達哉は日本酒を冷で頼み、マスターお勧めのサバの煮込みに箸をつけた。美味いねどうも。脂、のっているね。
 読みかけの文庫を取り出しページを開くが小説の世界に嵌まり込めずにいると、テレビのモニターが目に入った。甲子園開幕のニュースが流れている。

 もうそんな時期か。達哉は独り言ちる。

 今から二十年以上前。達哉が高校に入ったばかりの頃、双子の弟、和哉が交通事故で亡くなった。小学生の頃から野球を続けていた和哉は、高校に入学と同時に頭角を現し、将来を期待されている中での事故だった。
 隣に住む同級生の朝倉マナミとは幼馴染だったが、二人共マナミに好意を寄せており、いわばライバル関係だった。
 和哉が亡くなった後、達哉は和哉の意思を継ぎ、写真部を辞めて野球部に入部した。
 マナミには、甲子園に連れて行くからな! と約束はしたものの、どんなに続けてもスタメンどころかベンチにも入れてもらえず、三年生の時には地区予選の一回戦敗退を、応援席で見学した。当然マナミにも告白は出来ずじまい。落ちた涙も見ないふり。
 冷酒はすでに三合目。マナミは本当に可愛くて愛くるしかった。達哉たち兄弟の天使だった。と達哉は当時の恋心を振り返る。
 テレビのニュースは、先日この近所で起こった殺人事件の話題に切り替わっていた。
 音声が聞こえないので内容は不明瞭だが、妻が亭主と同居の両親を刺殺して逃げているらしい。指名手配写真が公開されているが、確かになんの躊躇もなく人を殺してしまいそうな醜悪な顔をしている。
 ほんまめっちゃ恐ろしい人間がいるもんやな。身内殺したらあかんわ。達哉は大阪弁で独り言ち、会計を済ませ店を出た。

 ほろ酔い加減で路地を歩く。
 八月の風は夜になっても、サラリーマンのため息を束ねたようにぬるっとしている。
 すると、ベースボールキャップを目深に被り大きなマスクをかけた一人の中年女性が、こちらに向かって足早に歩いてきた。
 達哉にぶつかりそうになるが、すんでのところで身をかわし、ぶつからずにはすんだ。「こら、ばばあ、ちゃんと前見て歩けやっ」
するとその中年女性、あんたの方こそどこ見てんのよ! とマスクを外す。その顔には見覚えがあった。さっきニュースで公開されていた、殺人事件の犯人の顔にそっくりだった。いや、間違いない。きっと本人だ。
 呼吸を止めて一秒。達哉は真剣な目を向け、そこから何も聞けなくなった。
 ヤバい。殺されるかも知らん……。
 するとその中年女性が口を開いた。
「あれ? もしかして、たっちゃん?」
 ええ、誰だ? こんな醜悪なおばさん知らんわ。達哉は記憶の抽斗をひっくり返す。
「私よ、マナミ。幼馴染の」
「ええ?! マ、マナミ?! マジか! 太ったな! 全然わからなかったよ」
「失礼ね! たっちゃんだって随分禿げたじゃないの! あはは。本当久しぶりね」
 見つめ合う二人。星屑ロンリネス。そこに通りかかった警邏中の制服警官と目が合う。達哉はマナミの手を取った。
「お巡りさーん! 犯人はここでーす!」

  了

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