掘る人 (1)

 そろそろ死のうかと思う。

 死は昔ほど大げさなことではない。

 いまや、多くの人が死ななくなったからだ。

 二百年くらい前までは誰もが型通りに死を迎えていた。寿命、不慮の事故や事件、不治の病。そして、ぼくがいま考えているようにみずからの手で人生にピリオドを打つ人も大勢いた。

 ひとつひとつの死に過剰な物語が添えられ、家族や友人はその死を嘆き悲しみ途方にくれ何日もふさぎこみ人生の儚さを知る。近しい人が死ぬという体験を通して、自分自身もやはり死にゆくものであるという現実を叩きつけられ、運命について考え奇跡を願うようになり、その答えを求め宗教や思想に走る。そして葬儀、役所への届け出や銀行でのやりとり、遺産や遺品の整理、保険の請求などの雑務に追われるうち、「死」とは手続きなのだと気づく。

 彼らにとって、死はいつか訪れる必然であり誰にでも平等に訪れるものだった。それを受け入れることで日々の生活が成り立ち、個体の死によって世代は交代し人類は進化し続けてきた。

 ところで、そんな時代はとっくに終わり、だいぶ前から人は死ななくなっている。

 医療の進歩のおかげだ。再生医療、遺伝子治療、医療用ナノボット、免疫医療、人工臓器、人工体躯など医療の技術革新は目ざましく、ほとんどの怪我や病気は根治された。

 眼球に内蔵するデバイスであるレチネット経由で日常的に身体のセンサリングが行われ、マーカーの反応やさまざまな数値が常時管理される。異常が発見されるとすぐにレチネット経由で常駐ナノボットにプログラムが送りこまれ対処が行われる。臓器のひとつひとつが健康な状態に維持され、脳機能や心的な状態も健康に維持される。難病と呼ばれる病もその兆しが現れた最初期に処置され、認知症やメンタルヘルスも予防により発病は抑制されている。

 さらに悪性遺伝子による老化システムも解明され、誰もが四十代くらいから見た目も身体機能も老いるということがなくなった。

 身体的にも精神的にも健康が保たれるおかげで、百五十歳を優に超えたぼくも現役の弁護士として日々の仕事をこなしている。人が長寿になることで、弁護士の仕事も増えているようだ。百年以上も働くのだから人はそれなりに資産を抱えるようになっているし、資産があれば法的なトラブルに事欠かない。死が二人を分かつこともなくなったので、不倫や離婚もあとを絶たない。

 ここ数年、百二十歳を超えたくらいの人を中心に自裁者が増加しているそうだ。「#もうじゅうぶんいきたから」というハッシュタグのついたサヨナラメッセージとともに、多くの人々が自らの命を絶った。

 人間の寿命ってのはよくできている。

 百二十年程度が限界寿命だとする論文も数世紀前に発表されていたからね。

 もともとは、経験とか知識とか思い出とかがある閾値に達するところで体が死ぬようにできていたのかもしれない。いまは体が死なないから、脳がもう十分だと思うようになっているのかもしれない。個体として経験できることには限界があって、それは不死が望める時代にあってもかわらないんだ。「もうじゅうぶんにいきた」と思うことは十分に死ぬ理由になる。

4 

 午後、ぼくは顧客のひとりひとりに電話をした。

 そして自分の替わりになる弁護士を紹介した。パートナーに残せる顧客は残し、無理な顧客はその道のエキスパートに譲った。

「そろそろ、引退しようかと考えているんですよ」と先方には伝えた。

「うらやましいことですよ」とひとりの顧客が言った。「あと何十年、下手すりゃ百年以上も仕事しないで暮らすことができるなんて素晴らしい」と。

 それから妻にメッセージを飛ばした。

 「ぼくは、もうじゅうぶんにいきたから」と。

 妻からの返事はなかった。

 お互いに死にたくなったときには一切干渉しないと約束していたからだが、返事くらいくれてもいいのにと思った。

 彼女は彼女で、二人で話し合いをはじめるとややこしくなると考えたんだろう。

 仕事場のアパート。ドアをノックする音。返事をしてロックを外す。

 すっかり夜は更けてしまっているが、こんなにワクワクする気持ちになるのは久しぶりだ。ドアの外には男がひとり立っていた。

グレーのコートを脱ぐと、紺色の三揃えのスーツ。中肉中背の若い男だった。もちろん見た目では三十歳以上の人間の区別はつきにくいが、彼には、四十歳にもならない若者だと確信できるものがあった。

「こんばんは。メッセージいただきました。コハマ アキトシです」そう名乗ると、彼は、ぼくの顔をじっと見つめた。「記憶を掘りたいということですが……」

「そうなんですよ。ぼくはそろそろ死のうかと思っているんですが、死ぬ前にどうしても気になることがあるんです。記憶が曖昧で。細かいところを思い出そうとしてもまったく思い出せなくて。それでお願いすることに」とぼくは彼の言葉に被せるように答えた。

「そうですか。お役にたてれば良いのですが」と男は言った。「まず、こちらの書類に目を通してください」

 そういいながら、コハマはペーパー型タブレットを差し出した。「ご利用者様覚書」というタイトル。ことさらにあらたまった感じが不気味。まあ何事も契約にはこまごまとした同意が必要だから、仕方のないことではあるが。ざっと目を通しコハマの差し出したスタイラスペンでサインをする。

「まず、記憶堀りについて簡単にご説明しましょう」コートをたたみながらコハマは言った。「記憶というのは、忘れてしまったようでも脳のなかに止まっているものです。忘却という現象は記憶デバイスのメモリを消去したのと同じ状態。データそのものはしっかりと残っているのに、その記憶にアクセスできなくなっているのです。私たちの技術は、そのデータへのアクセス経路を修復し、いまも脳のなかに鮮明に保存されている記憶をお客様の追体験として蘇らせるものなのです」

「なるほど。記憶自体は残っていると」

「そうです。脳という膨大な記憶装置のなかに埋もれててアクセスできなくなっているだけなんです。そこにアクセスできるようにすれば、どんな記憶も、まるで昨日のことのように鮮明に思い出すことができるようになります」

「まったく、大切な『思い出』に限って、断片的なイメージしか思い浮かべられなくて、果ては、どういうシーンでどういう物語だったのかっていう本質的な姿が見えなくなっていく。ここ数十年のできごとだって、妻に指摘されて、『ああ、そんなことがあったんだ』って思うようなこともたくさんある。記憶ほど頼りないものはない」

「人間の脳は、常に、実に多くのパスを失っていきます。ど忘れもそのひとつ。どうしても固有名詞が思い浮かばなかったりすると、すぐに調べるじゃないですか。あれは思い出しているんじゃなくて意識を記憶に届かせる経路を再構築しているようなもので。再構築してもしばらくされを使わなければ、また同じ固有名詞を忘れてしまう。せっかく繋がった名辞とイメージを結ぶ経路が、消えてしまうわけです。人間の記憶なんてそんなことの繰り返しですから」コハマは少ししゃべりすぎたというように一瞬黙った。そして言った。「あとは、お客様のお話を伺いながら、おいおいご説明するということにしましょうか」

 ぼくは、ずっと気がかりだった「その件」について、覚えていることを断片的に話しはじめた。



(2)に続く。


※メモ‥note初めてなんで、勝手がわかっていないかもです。よろしくお願いいたします。

※3/27 校正済


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