シルヴィア介入

 日曜の公園。塾に出かける前の数人の子どもたちがサッカーボールを追いかけて遊んでいる。いつも通りの風景。子どもたちの「中身」が違うだけで、見た目は一緒。そう思ってみていると、今目の前の風景、ボールの弾んでいく先も子どもたちの動きも、いつか眺めた情景と変わらない気がしてくる。それぞれの国の言葉を話ながら無邪気にボールを追いかけている手前では、犬を連れた四十代の男と女がコート姿で遊歩道を歩いていて、ベンチでは、寝むたそうな顔で桜の樹を眺めながらインテリジェンスペーパーで小説を読んでいる老人がいる。並んだアルファベットが物語っているのはラブロマンスか。子どもも犬も夫婦も老人もジョギングしている女性も、すべてが、いまここにいる彼ら彼女らである必然性のない「誰か」である気がしてくる。桜の樹も、そこいらじゅうに生えてる雑草も。ブランコや鉄棒や砂場がそうであるように、ずっと変わらずそこにある定番のもののように見えてくる。表層的には、二十年前の少年たちと、目の前の子どもたちは一緒である。少なくとも、ここから眺めている限り、世界では同じような凡庸なシーンが繰り返されるだけだ。

     *

 クラノカンジュウロウは社会学を学ぶ学生で、ほとんどの時間を実体の活動以外に、貸し脳を利用したアプリケーション開発会社のアルバイトに費やしていた。ケニアとマラウィに本社を置く多国籍IT企業の子会社。十五分ごとにレチネット(網膜端末)に送られてくる要件を用意された映像に置き換える仕事だ。長いときは20時間近くもの間、公共クラウド上の情報を検索し続けることもあったから貸し脳のタスクとしては楽ではなかった。

 実体の活動と並行して、延々と映像処理を繰り返し指図通りにオブジェクトに置き換えて返信する。端末から送られてくる情報が生活視界の半分を占め、インプラント脳の片隅にいつも「素材」がちらついている。そんな状態で何ヶ月も過ごしていると、生活視界に映っている風景のどこまでが実体でどこからがデータなのかその境目がだんだん曖昧になってくる。いつも半分「夢」を見ているような状態のまま、大学に行き来し授業に出席しサークルに顔を出す。そんな毎日を繰り返した。

 会社から送られてくるのは、さまざまな人間の営みの映像だった。生まれたての子どもから、年老いて息を引きとっていく老人の観ている風景まで、世界中のさまざまな都市が映っていた。人、産業、医療、金融、自然、建造物、道路や線路、都市、戦争、宇宙……。

 いま、実体の彼は夕方の公園を眺めている。

 子どもの声だけが甲高く響く静寂。老人たち。青い空を真白い飛行機雲が一筋、斜に走っていくのを眺めているカップル。帰宅を促す町内放送が流れ、子どもを呼ぶ母親たちの声が響く。いろいろな国の言葉で。いろいろな国の風景のなかで。本当にすべてが終わったのだろうか、腕時計を覗きこむと約束の時間は過ぎていた。

「誰が、こんな世界を望んだんだろうか」クラノが声を出して呟く。

     *

 スクワッターたちの指導者、ジャン・グエン・マットウの声が嗄れた声が聞こえた気がした。

 そう、それは、いったい誰の望みだったのか。

 クラノはその答えを探すのは不可能だと結論した。複雑すぎたのだ。パターンとして整理するには複雑すぎる現象の構成がインプラントの処理能力を最大限に引き出したところで解決できないものになってしまっている。

 毛糸の玉だ。

 彼はこんな状況に出会うたびに、こんぐらがって解けなくなってしまった毛糸の玉を思い浮かべる。

 この日の夕方には、常識的にイメージしているような意味での世界の人口は確実に半分に減る。この場所、この惑星から文字通り消えてなくなる予定なのだ。そして明日の朝が来たらもう半分は減っている。クラノ自身だってこの世界にいるかどうかわからない。それがワンブロックごとに起きるのか、それとももっと大きな規模、市区町村や県、国という規模が起きていくのかもわからない。もしかしたら、地球上のすべての生物(というか、個体の情報)に対して、一瞬で起こるのかもしれない。

 あちら側。

 身体の拘束から自由になった世界。

 それを「死」というイメージで思念するつもりは恐らく誰にもないだろう。あちら側の肉体にもその記憶は刻まれている筈だ。そして、クラノ自身とまったく同じように生き、まったく同じように考え、愛する。この肉体の消滅と同時に、生まれ変わる自分自身をイメージするのは容易ではなかった。主観的にはそれは連続しない。死そのもの。

     *

「とうとう今日からシルヴィアが世界に介入するらしいよ」

 ハノイ工科大学でナノ材料化学を専攻する学生であるトクイカズオが得意気に語る。そんなことはこの教室にいる誰もが知っている。確定した未来だ。それをこれ見よがしに大声で喋っている。隣にはガールフレンド代わりの典型的なフエ地方の美人を象ったボットが笑顔で佇んでいる。

 トクイはソレの肩を撫でながら続ける。

「まず、厚生局から公共クラウドに対して、シルヴィアの検閲に対するパーミッションを与えるらしいよ。パーミッションっていったって自由に恣意的な行動を保証する『ライセンス』みたいなものだけどね。知らないうちに勝手なことをされるよりはマシだわな」。

 子羊に誉あれ。

     *

 貸し脳に送られてくる要件の数が急増している。

 夕方からのシルヴィアの介入を前にして生活アクションが指数関数的に増加しているのだ。自動処理の処理量が生界を超えると、クラノの実体活動に支障をきたすことになる。クラノは、処理最大化のために合法クロポトを処方されているがどのタイミングで使うのが良いか彼には判断できない。

 あと二時間。二時間後からシルヴィアの介入が開始するという噂だ。

 クラノは自分の行なっているタスクが、シルヴィア介入に関係するものだと薄々気づいていたのかも知れない。

 自脳とインプラントによる処理量をはるかに凌駕するタスクが雪崩れ込んでくる感覚に耐えきれなくなり、彼はその場にしゃがみこむ。

 実体としてのクラノは、そこから深い昏睡状態に落ちていた。

 脳が焼き切れる直前の超過負荷のタスク処理を持続しながら。

 恐らく、現在、彼と同じようなタスク処理をしている人間は数億人に登るだろう。大脳とインプラントの無稼働領域を活用したアルバイト程度の貸し脳処理だったが、いまこのアルバイトをしているほとんどの人々の脳は、クラノ同様に昏睡状態の中でフル稼働しデータ処理を進めているに違いない。

     *

 サイゴンシティ旧一区、ファングーラオ通り。デタムとの交差点。クロポトジャンキーたちとスクワッター(不労認定者)が路上に集結し、シルヴィア介入に反対するデモを行なっている。人々は、通りを行く車を燃やし周囲のバイクでバリケードを作り九月二十三日公園から先を封鎖していた。

 テト前の電飾がレロイ通りをきらびやかに飾りブラスバンドによる伝統音楽が流れ、かろうじて日常を持続しようとしている公園では、ココナッツ(神経麻薬)売りたちが観光客に声をかけ続けている。

 デモ隊はバイクにまたがり叫び声を挙げ赤い国旗をちぎれんばかりに振り回している。

 欧米人観光客はデタムの安宿からその様子を伺っていたが、デモ隊の数人が自分自身にガソリンをかけ火を放ち始めたあたりから、宿の窓を締め外の騒ぎが終息することを祈り続けていた。

 自らの腹を裂き内臓を取り出してあたりにぶちまける者、パートナー同士互いの性器をナイフで切りつけ溢れる血液を喰らい合っている者、バーベキュー店やカラオケ店の入ったビルから絶叫しながら数人で飛び降りる者、どこから手に入れたのか解らない拳銃を股間に当てロシアンルーレットを始める者たち……。

 数十人、数百人という者たちが「あちら側」を拒み誇り高き死を選択している。

 世界の記憶に自らの死を焼き付けようとするかのような大量の自殺者。

 夜が更けるに連れて、さらに多くのスクワッターたちが集まり、今回の世界の決定に対する抵抗をし続けた。日が変わる頃、到着した治安警察が、デモ隊に対して一斉射撃を開始するまで続けられた。

 目を潰した男が現場から逃げた。

 生き残ったデモ隊の人々は、彼に習うように、目、耳、鼻、腕、足、頭を傷つけ始める。自らの身体に危害を加えることで、シルヴィアの選択から抜けられるという噂が公共クラウドを駆け巡っていた。

 それでも、世界の約半数は、すでに実体としての活動を行なっていなかった。

     *

 サイゴンリバー沿いのロータリーに建てられている英雄像に取り付いた数匹の虫が、一部始終を記録していた。

 その映像を、全国のスニッピーたちが数千数万とコピーし公共クラウドに流している。実体はどれだけ残ったのだろうか。

     *

 クラノの意識が戻る。

 彼は、貸し脳の処理が一旦は終わったことを知っている。

 一晩のうちに最初の計画は終了している。

 自分は、実体なのだろうか、仮想化された者なのだろうか。

 それを確認する術はない。

 これは意外な結末だ。そして意外さを奇跡と称するならば、それは奇跡だ。

 生体脳をはるかに凌駕する数量の神経素子が、限界値に限りなく近づくだけの処理速度で仮想化脳のネットワークを複雑化したとき、自分自身の意識や自我は、仮想化した自己にも引き継がれるのかも知れない。

 彼の生活視界の像、そのさわりとしていままでと違うのは、触れることもできない間近な距離感のうちに三十億の意識が感じられることだ。

 そして、それが、永遠に持続するということも、昨日までとは違う点だ。(了)


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