掘る人 (3)


 コハマは携帯型のデスクを組み立てその上にいろいろな道具を広げていた。

 インテリジェンスペーパー、小型のタブレットがいくつか、数種類のペン型デバイスの並ぶトレー、吸盤のついた電極。そして金属製の棒やスプーンのようなもの。それらが生前と並べられた光景は、マガジンで見かけた拷問道具や昔の歯医者の治療台を思わせ、なんとも言い難い不安とちょっとした恐怖を感じさせた。

 彼は、メインのタブレットをぼくの健康管理用のデバイスにつなぎ、いくつかアプリケーションを起動させた。基礎的な身体データの収集だそうだ。それから電極をぼくの頭にとりつけたり、いくつかのデバイスを腕、足首、胸などに取りつけたりしながら説明を続けた。

「『記憶堀り』の技術はとてもシンプルなものです。

 まず、脳内にあるターゲット記憶の位置を確定するため、電極を頭に取りつけ脳の様子をモニターします。これ自体は、二十一世紀後半に認知症の診断や治療のために開発された技術ですから新しいものではありません。このソフトにより脳に残っている記憶のすべてを三次元でマッピングすることができます」

「頭のなかを立体映像化するってことですかね」

「まあ、そんなとこです。可視化されたデータは記憶の種類や年代によって色分けされていて、断片化の度合いも確認することができます。断片化というのは文字どおりの意味でひとまとまりの記憶が脳のなかで分散されて断片的にあちこちに格納されている状態です。長い間、読み出していない記憶や、何度も再記憶が繰り返されるような大事な記憶の場合、断片化されることが多いようです」

「はあ」

「物事を思い出す際、ひとつひとつのシーンは思い浮かぶけれどひとまとまりのストーリーとして全体を把握できないときがありますよね。あれは脳のなかでその記憶の断片化の度合いが大きい場合に起こるんです」

「なるほど。余計に脳に負荷がかかるってことですかね」

「ですので、私たち記憶堀りは、最初に脳に記憶されている情報のデフラグメンテーションを行います。それは、脳の記憶域のあちこちに分断されている記憶をひとまとめにすることで、より目的の記憶を検索しやすくする処置ですね。処理は三分程度で終わります。おそらくこの処置だけで、記憶へのアクセスはだいぶ効率化されます」

「それって、痛い?」

「活動している脳領域は一度停止させますから痛さとか感じませんよ。もともと脳は痛覚を感じない臓器ですから。脳の活動を停止させるのは、空いている領域に記憶をいったん移すからです。いったんひとつひとつの記憶のまとまりを集めて、それをまた順序よくならべていくわけです」

「脳を停止させるって……」

「あ、脳死に近い状態にするんです。一時的に」

「脳死って、それ可逆的なんですか?」

「もちろんです。もとどおりに。デフラグメンテーションしているから前よりずっと調子よくなりますよ。ご安心ください。再起動の後に、美しく整理整頓された記憶のなかから、必要なものを検索し、あなたの現在の意識の上に登る経路を作るんです。人工的にニューロンのつながりを再生しますので、一定の時間、それらの記憶を思い出すことができるようになります。一度思い出した記憶は、比較的若い脳の部分に再保存されますので、鮮明な像として残り続けます」

 なるほど、コハマの言うように記憶が再生されるならば、どうしても思い出せないあの空白の記憶にアクセスできるのならば、ほんとうにぼくには思い残す事はなくる。

10

 ぼくたち二人は、別々の部屋で話を聞かれた。

 任意の事情聴取というやつだ。

 リカコは女性刑事に連れられ、ぼくは男の刑事から話を聞かれた。

 ぼくを担当したヤマザキという刑事が終始知りたがっていたのはふたつ。

 シンイチの研究内容について何か聞いたことはないかということと、シンイチについて何か秘密めいたことをリカコから聞いたことはあるかということだった。まるで、シンイチがターゲットでアリコは巻き添えで殺されたと思える感じだった。

 おそらくそうなんだろう。

 人殺しってのは、ほとんどが金銭トラブルか愛憎が動機だという。それは大昔も、その頃も、それから百三十年過ぎたいまも変わらない。でもシェアハウスで起きたこの事件は、そんな単純なものではないはずだった。連続殺人鬼による犯行ならば、ぼくやリカコが殺されなかったのは本当に幸運な偶然ということになる。愛憎ならばシンイチとともにアリコが殺されて、クリコとクゲの姿が消えた意味がわからない。

「シンイチくんとはさ、いろいろあったらしいじゃない」とヤマザキと名乗る刑事がいう。「べつに、トラブルになったわけではありませんよ。ぼくの彼女の元彼だというだけで」

「微妙なんだよねぇ。彼女と一緒に暮しているシェアハウスの住人に元彼がいるとか、おじさん、かんがえられないんだよね。シンイチくんが出ていくか、君らが出ていくほうが自然じゃね?」

「単に引っ越すお金がなかっただけですから。ぼくもリカコも事件に関係ないっすよ」

「いや、そうなんだよね。そうなんだろうけどね。住人の関係はしっかりと聞いておいたほうがいいからさ。時間とってすまないんだけどね」

「はあ」

 そんな感じだったと思う。

 リカコの聴取は少し面倒で長時間にわたったようだ。

 最初の日は、「大変だったわね」とか「あの光景は忘れられないと思うけど一緒に乗り越えましょうね」など心配しくれて、リカコにとって力強かったのだと思う。

 それから、殺されたシンイチとの関係について根掘り葉掘り聞かれたという。

 担当は、コトリという名の女性警部補。どういう風に出会ったのか、どんなところを好きになったのか、最初のデートはどこに行ったのか、どのくらいの頻度で会っていたのか、何を話したのか、同じシェアハウスに越してきたのはいつごろか、セックスはシンイチとぼくとのどちらが良いか、など。

 そして、シンイチは彼の研究について何かいっていなかったか。

 シンイチから何か預かったものかないか。

 ぼくの知らないことだらけだ。

 大家の計らいで、ぼくたちは家具付きの小さな一軒家に引っ越していた。

 シェアハウスには規制線が張られていたしあのリビングがそのままになっている家で暮らせるわけがなかった。インテリジェンスペーパーの束とタブレット、レチネットのアドオンデバイスなど学生生活に必要なものと、生活を維持するための着替えや貴重品だけ持って引っ越した。

 聴取は何日か続いた。

 ぼくはリカコがつらい思いをしていないかどうか心配だった。

 帰ってきてぼくの顔を見るとリカコは泣きそうな顔になっていた。グラス一杯の水を一気に飲んでから警察でどんなことを聞かれたかを延々と話しはじめた。聴取でもさんざんしゃべってきただろうに彼女の言葉はとどまるところを知らなかった。

 警察の捜査は進んでいるのかどうかわからなかったが、どういうわけか当初からぼくとリカコに犯行の疑いがかかることはなかった。

 とにかくシンイチについての情報を欲しがっていたのだ。

 一週間程度過ぎたあたりで、ヤマザキ刑事はぼくに質問することはなくなったと言ってきた。

「事件の真相がわかったんですか?」とぼくは聞いた。

「いやいや、まだまだだよ」とヤマザキ刑事は言った。「いっとくけど、この事件は、君が想像しているようなお花畑とはまったく違うから。君らの生活なんてまったく関係ない、絶望的にどうしようもないところで起きたことだからな」と。

「それから、君の彼女、リカコちゃんにはまだ聴くことがあるだろうな。彼女は、知りすぎている」

 その夕方、やはり泣きそうな顔で警察署から帰ってきたリカコは、いつものようにグラス一杯の水を一気に飲み干すと、一枚の記憶素子をぼくに差しだした。「これ、絶対になくさないでね。なにがあっても大切に保管して」と言いながら。


(4)に続く


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