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組織論に逃げ込む日本の経営者と従業員

昨日、僕が支援しているベンチャーのCEOと、その会社の中長期戦略についての話をしていて、議論の中で「Teal型組織ってご存知ですか?」と向けられました。

その時点では”Teal型組織”というものについて知りませんでしたが、たまたま今朝Facebookで自分の友人がこちらのリンクをシェアされていて、タイミング良く概要をなぞることができ、あくまでもそのレベルのインプットという前提として、自分なりの違和感も感じました。

言いたいことは、

1.  日本人は「戦略論」よりも「理想論」と「組織論」を語りがち
2. 「戦略論」とは「稼ぐロジックと手法」のこと。それが弱い
3. 「組織論」は「仕事を定義するロジックと手法」のこと。それが弱い
4. 経営者も従業員には上記に関わるあらゆる「手法」を持っていない
5. 結果として日本の経営者は「理想論」と、「組織論」の”器”に逃げる

ということかなと。

この記事も読み進めていくと、「Teal型組織が優れているのではなくあくまでもいくつかの組織タイプがある中での選択肢の一つであり、それに優先して考え、確立すべきは”稼ぐ力”であり、重要なのは”経営者の器”である」と結論付けています。

ベンチャー、大企業問わず、日本に戻ってきて企業と向き合って対話を進める中で常に意識させられるのは、「日本には”企業”も含めて、”個”の能力を最大化させるための公的な”器”は存在せず、ただ”個”のみが離散的に存在していて、それがたまたま集まっている」だけであり、ぼやっとしたミッション、ビジョンの下に分かりやすい稼ぎ出すモデルが無い中での”アジア型農耕民族的Teal型社会”なのかなと。

”個”が離散的に存在する社会では、暗黙のルールや空気を読み、察し、忖度することによって調和が保たれる一方、そこから逸脱した場合には、その存在を社会的に無視し、抹殺します。極端な例が最近メディアを賑わしている”村八分”です。ポイントは「村のルールに従わない人間は、人ではなく、その対象に対して村人は”沈黙”する」ということです。そこには”対話”は存在しません。

ですから、日本において公的な”器”の中で何かを達成しようとした場合に非常に重要になるのは、非常に逆説的になりますが上記の記事にかかれている組織形態モデルで言うところのフェーズ3「Orange型組織:アメとムチの能力主義」です。

メディアなのであえてこういう身も蓋もない書かれ方をされているのだと思いますが、戦略と組織、個の関係性から読み解くと、この欧米個人主義的な発想の方が進めやすいと思います。なぜなら、会社という公的な”器”でスケールを追いかける発想自体が、欧米、ユダヤ的な概念だからです。

解説には「科学的マネジメント・アメとムチの能力主義によるガバナンス。企業と雇用関係という契約。」と書かれていますが、この”科学的マネジメント”という部分と”契約”という部分が非常に重要で、これこそが日本における”器”と”個”の関係性を楽にする考え方です。

A. ”器”と”個”とは対等な契約を締結している
B. だからこそ”器”の戦略・戦術について科学的な対話・交渉が成される
ことが重要なのです。

果たして、自分の経営する、もしくは働く会社はA, Bを満たしていますか?
まずは、問題提起まで。

面白いので、考察はいずれまたアップします。


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