見出し画像

厦門へ旅行に行って一銭も使わなかった / 華人的な人間関係の強度とは

今回、厦門(アモイ)に行ったのは、AMEXのコーポレートカードのポイントを交換プログラムでANAに付け替えたからとか、奥さんをどこにも連れて行ってないからいつも「殺す」とかブータレられていて、かっこいいところ見せたいなあだとか、まあ暇だったからとか、くるりも唄っているように、だいたい100個くらい理由があるわけですが、要約すると、中国のあの据えた匂いを久々に嗅ぎにいきたいな、と思ったことが大きいのです。

そして、もう一つ。厦門には(元)義理の妹が住んでいるということもありました。僕の奥さんの弟の(元)奥さんね。ひとりひとりの個性や置かれた環境は違うのは前提だけど、彼女は(元)奥さんという立場で、春節には何事も無かったかのように(元)旦那の実家で(元)家族と仲良くやってるの。

果たして、今回旅行先を厦門にしたことについて、僕の奥さんから彼女に連絡すると、現地で会おう!ということに。奥さんも嬉しそう。僕としてもそれは嬉しい。

4泊5日でコロンス島も含めて色々歩いてきた。

厦門高崎空港は旧日本軍が建設した空港で、コロンス島には旧日本領事館の建物がそのままの形で保存されていたり、中国で最初の割譲地ということもあって、欧米列強が入り込んだ結果として、中国なのにキリスト教の教会が堂々とあって、活動しているような様子だったり、台湾や香港やシンガポールなんかの成り立ちに深く関わっている福建人にも関わらず、非常に穏やかで、道を歩いていても車側から譲られたりしてね。

まあ、満喫しました。住んでも良いな、くらい(笑)。

で、結果として彼女とはほぼ毎日会うことになった訳です。奥さんはどう思っていたかは分からないけど、僕は少し意外でした。平日が多かったし、週末でも彼女の仕事は休みがあまり無い部類だったので、そんなに時間も作ることができないだろうと。

そして、僕らの渡航費とホテル代以外、彼女が全て支払った。トータルで5,000元(現レートで85,000円くらい)くらいになったと思う。

彼女の月給は正に5,000元。春節で(元)実家に帰っていた関係もあって、現存する貯金は3,000元(50,000円ほど)。月給1ヶ月分を、一般的にお金に厳しいとされる香港人老板(社長)に頭を下げて前借りして、僕らのために使ってくれたことになる。

一方で、僕らも自由にお店とか遊びたいところとか選べなくなる。彼女に気を遣うからね。高い店とか行ってみたいけど、そこは選択肢から外す。だから、彼女に「僕らが払うから、たまには…」的なことを言うけど聞く耳は持たない。僕らがお金を払うような状況が彼女と一緒にいる時に発生することは、彼女としては何よりも許せない状況ということ。

本当のところはどうだろう。

欧米列強の末席に名を連ねてコロンス島の一部に領事館を置き、軍の空港を作った日本人に対してどう思っているのか、(元)嫁が(元)旦那の実家に帰り彼の家族と過ごすことに対して、それぞれの気持ちが本当のところどうなのか、道を歩いてる時に譲ってくれる車は僕らのことを思いやってではなく、習近平政権で徹底された監視カメラによる交通管理と罰金・罰則を恐れてのことなのか。そして、彼女が僕らに時間の許す限り、懐の許す限り、その限度を越えたところで、僕らに実利ベースで価値を提供してくれたのが、何によるものなのか。最終的には僕には分からない。恐らく僕の奥さんにも。

うちの奥さんとそれこそ大阪のおばちゃんみたいに財布の出し合いになった時(そして、それは少なからず見られる光景で)、「今までさんざんお金を出してもらっこともあるし、今度、息子(僕にとっての甥っ子)が高校生になって日本に旅行に行く時に返してくれれば」と、そのたびに言っていた彼女。何を僕らに見ているのか。結局のところ、分かんない。

でもね、少なくとも僕はこう思う。

「沈 浩然(シェン・ハオラン:彼女の息子)が、日本に旅行に来たときには一切彼に彼自身のお金を使わせるのはやめよう。それが僕の1ヶ月の稼ぎと同等であったとしても、仮にそれを越えたとしても…」。

日本人は相手に気を遣うことを、引き算で考える。まあ、空気を読んで、遠慮する訳です。「今回はちょっと引き取って考えます」とか、割と近いと思っていた関係なのに「割り勘前提で…」くらいならまだともかく、本音を言わずに口開けて、相手の財布とか忍耐的な何かが開くのをジリジリ待ってますみたいな、口が悪いけど、ケチくさい世界観ね。

大陸、もとい華人はそこを足し算でグイグイ来る。とりあえず、押して、物理的な、実利的な接触、ぶつかり合いを通じて、互いの短期的な利益をある部分で少し損なったとしても、それでもギブするものの圧倒的な量を相手にぶつける。そして、そこからお互いの物語を作っていくことを自然にやる。

そこには根底で人を信じていないからこそ、人を信じ続ける努力をすることに対する民族の歴史的な積み重ねによる知恵が経験として備わっている。

僕は日本で生まれ育って、日本のそれを持ち得ているので、驚きもある。そして、暑苦しさを感じてホントに疲れるんだよ(笑)。でもね、気持ち良い。気持ちを物量でぶつけてくるので、分かりやすい。

みんなはどういう世界で生きてるの?

そしてどういう世界で生きたいの?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?