見出し画像

人の外見を揶揄して笑いに変えて消費する人とは付き合うことをやめましょう - 偏差の地獄に生きる日本人 -

日本人は人の外見や生い立ちを揶揄して笑いに変えることが多い、と思う。日々付き合っている方との間でも、テレビ番組を見ていてもそう感じることが多い。自分が当事者になることもあるし、他人がそうであることももちろんある。

人に対して面と向かって「デブ」と揶揄する国

他にあるでしょうか?

僕が比較的よく知っているのは中国のことですが、中国人も人が標準よりも太っている場合にはニックネームをつけることがあります。「胖子」、「小胖子」などがそれです。しかし、その意味合いは「おデブちゃん」、「小太りさん」というようなもので、揶揄したり馬鹿にしたりするニュアンスはありません。むしろ、愛情や愛着が伴う場合もあり、伴侶や家族に使われることが多いことからも察することができます。

日本では現実世界でも画面の向こう側でも、人の外見や身体的特徴だけでなく、彼・彼女たちが持っている性格、卒業した学校、就職先、場合によっては家族ですら“ネタ”としてあげつらい、揶揄し、しかもその背景や原因を掘り下げることなく文字通り”消費“していく場面に出くわすことが非常に多い。毎日、どこかでそういった冷笑的な態度に接することになります。

中国人がニックネームをつけるのはあくまでも”呼称”として相手と自分を識別するためであり、それ自体に特に意味を持たせない一方、その呼称を始まりから使うことにより、相手の特徴を掘り下げていきます。一方の日本人は、それは“呼称”ではなく“意味”であり、相手が自らが標準と信じるものに対して偏りを持った存在であることと“定義”することにより、自分(たち)の立ち位置に安心するのです。

簡単な話で、日本人はコンプレックスと不安を常に心の中に持っており、常に他人を”定義“していかなければ、心理的安全を手に入れることができない、と信じ込んでいるのです。

普通でいたいがために他人にレッテルを貼る

のです。そこに相手の気持ちへの配慮は存在しません。相手に好奇心を示し、相手のことを深く知れば知るほど自分というものが不安定な存在になると、信じているからです。

中国ではそんなこと言ってられませんし、他人のことを知らずに、しかも揶揄してしまえば、後は奪うか奪われるか、大陸はそういったリスクに常に晒されているのです。

中国人は他人を識別した上で自分を語ります。
日本人は他人を語り自分のようなものを知るのです。

皆さんの周りにもいるのではないでしょうか?自分の外見や身体的・性格的特徴、歴史を馬鹿にしてくる人間。自分が置かれた状況も知らず、彼・彼女たちにとって優れていると思っている方法を一方的に勧めてくる人間。

気にする必要はないのです。彼・彼女たちが抱える本質的な不安が、自らの口から言葉として出てきているだけなのですから。

そういう人々と付き合うのをやめましょう。
自分のことを楽しそうに話す人と友達になりましょう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?