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「護衛艦『いずも』をドローンで撮影した」とされる映像によって示された本邦の安全保障における「新たなリスク」

はじめに

2024年3月29日に、Webサイト「X」において、海上自衛隊 横須賀基地に停泊する護衛艦「いずも」をドローンから撮影したとされる映像が公開されました。また、この映像は2024年3月26日に、Webサイト「bilibili」で公開されたようながら、現在では視聴できなくなっています。

Webサイト「X」では、この映像をもとに「自衛隊施設のドローン対策」について活発な議論が交わされています。一方で、この映像の信憑性に疑問を抱く声も見受けられます。しかし、この映像は、真偽に関係なく「本邦の安全保障(とりわけハイブリット戦)における新たなリスク」を示したと評価できます。
※「ハイブリッド戦」とは、アメリカ陸軍野戦教範(Field Manual)をはじめ様々な定義が存在するものの、本稿では本邦の防衛省が『防衛白書』で使用する「軍事と非軍事の境界を意図的に曖昧にした現状変更の手法」との定義に依るものとします。

余談ながら、以下の事情から、ここ1年ほどSNSでの発信は、発信者情報開示請求をはじめ裁判手続の話題が中心となってしまいました。しかし、専攻が戦争学であるように、私にとって本来の興味関心分野は「防衛・安全保障」であり、こういった話題こそが私の「本業」です。

重要防護施設に対するドローンを使用した攻撃のリスク

今回の映像が本物であった場合、最初に懸念するべきは、言うまでもなく「重要防護施設に対するドローンを使用した攻撃のリスク」です。
たとえば2015年4月22日に、元航空自衛官が中国製ドローンに放射性物質を搭載し、内閣総理大臣官邸に落下させました。この犯人は、この事件に先立って、内閣総理大臣官邸のほかにも、ドローンを原子力発電所に侵入させたり、その様子をWebで公開したりしていました。内閣総理大臣官邸や国会議事堂のほか、自衛隊施設や原子力発電所をはじめとする「重要防護施設」に対するドローンを使用した攻撃のリスクは、この事件で約10年前に示されていました。

自衛隊施設周辺におけるドローン飛行への法規制の現状と課題

この事件を機に、航空法が改正されたとともに、小型機等飛行禁止法(またはドローン規制法)と通称される法律が制定されました。
横須賀基地をはじめ各地の自衛隊・在日米軍施設の上空は、事前の届け出がない限り、ドローンを飛ばせません。また、DJIをはじめ主要メーカーは、これらの法令で規制されている空域を自由に飛ばせない措置を講じています。

もし今回の映像が本物であった場合、これらの規制を「お構いなし」にドローンを飛ばした人物が存在することになります。今回は護衛艦「いずも」を上空から撮影したに過ぎないにせよ、有事(または有事の準備段階やグレーゾーン事態)において、たとえばドローンに爆発物のほか、CBRN(化学・生物・放射性物質・核)に該当する物質(たとえば有害な化学・放射性物質や細菌・ウイルス)を搭載した攻撃のリスクも想定できます。換言すると、今回の映像によって「工作員やテロリストのように、明確な敵意や害意を持った相手に対して、一連の規制があまり役に立たないと示された」と言えるでしょう。
加えて、たとえば野次馬やYouTuberのような人たちがドローンを飛ばしてしまうことで余計な混乱が生じたり、このドローンが意図せず事故を起こして自衛隊の武器や装備を破壊してしまったりする可能性も否定できません。平時なら武器や装備を修理すれば済むにせよ(もちろん、負担の所在を含めて「修理費用」の問題は存在しますが)、これから武器や装備を使うかもしれない有事において、たとえ「うっかり」であっても武器や装備を壊されるのは大きな痛手です。すると、基地警備におけるドローン対策は明確に「急務」です。

安易にドローンを撃墜するリスクと、対応コストの非対称性

しかし、たとえば横須賀基地は市街地に隣接しており、コラテラル・ダメージ(付随する被害)を考えると、易々とドローンを撃墜するのも憚られます。ましてCBRN攻撃だと、下手にドローンを撃墜すれば、却って大きな被害を招きかねません。ドローン対策において、「撃墜」は必ずしも現実的と限りません。
ドローン対策には、「捕獲」や「電波妨害」といった選択肢もあります。しかし、ドローンの捕獲には専用の機材(たとえばドローンを捕獲するドローン)が必要であり、対応コストの上昇は避けて通れません。

また、操縦や誘導・測位に使用される電波の妨害でも、捕獲と同様に、専用の機材によるコスト上昇の問題が生じます。それに、たとえばGPSやINS(慣性航法装置)で自律飛行できるドローンだと、操縦に使用される電波を妨害したところで効果を発揮しません。
その上、これらの電波妨害は市民生活に与える影響も大きく、たとえば操縦に使用される電波を妨害すれば付近の携帯電話やWi-Fiに、誘導・測位に使用されるGPSの電波を妨害すれば付近の自動車や航空機の運転や操縦に、それぞれ影響が生じる可能性もあります。また、電波法との兼ね合いから、総務省との調整も必要とされています。
本当に「やむを得ない場合」は仕方ないにせよ、やはりに電波妨害も積極的に使用できる手段と言えません。

さらに、ドローンを使用した攻撃は、必ずしも「有事」に起きると限りません。むしろ、有事になれば警備体制は強化されるし、ある程度のコラテラル・ダメージも政治や世論が許容せざるを得ないでしょう。そもそも、有事なら艦艇や部隊は基地に留まっておらず、出撃していると考えられます。わざわざ艦艇や部隊が留守にしている基地を攻撃するのも費用対効果が低く、すると、むしろ有事に至る前の準備段階やグレーゾーン事態といった「平時」に近いフェーズこそ、ドローンを使用した攻撃のリスクを考えなければならない、とも言えます。かつて本邦が真珠湾を攻撃したように、自衛隊施設に対する「奇襲」の可能性も考えなければなりません。
それに、上述の内閣総理大臣官邸における事件の遙か前に、オウム真理教が農薬を散布するラジコンヘリコプターでサリンを噴霧しようと試みたこともありました。平時においても、テロ攻撃の蓋然性は依然として存在します。武力攻撃事態や存立危機事態に関係なくとも、ドローンを使用した攻撃は想定しなければなりません。
すると、平時であっても常にドローンに対する警戒が必要になる以上、ドローンの探知や識別に使用する設備(レーダーやセンサーほか)への投資も必要です。

しかし、たとえば原子力発電所や空港といった施設なら、収益から警備費用を生みだしてくれる一方で、何ら収益を生まない自衛隊施設は、現実的に掛けられる警備費用の限界もあります。それに、限られた防衛予算から警備費用を支払う以上、その警備費用を正面装備(装甲戦闘車両、艦艇、航空機ほか)に充てたいという都合もあるでしょう。ドローンを使用した攻撃のリスクが顕在化したとしても、防衛予算は有限ですから、最優先と言い難いドローン対策に割り当てられる費用は必ずしも高くないと考えざるを得ません。
その上、確実に危険物を搭載している(見るからに危険な)ドローンに対処するなら格別、必ずしも危険物を搭載していると限らない数十万円のドローンに、たとえば数千万円のミサイルを撃ち込むのは、あまりにもコストの非対称性が大きすぎます。これではドローンに対して真面目に対策するほど警備費用は嵩むのですから、今度は「何の脅威でもないドローンを飛ばして対応させ、警備費用の負担を増大させる」という「ピンポンダッシュ」さながらの嫌がらせ・攻撃の手法もあり得るようになってしまいます。
加えて、どんなに自衛隊施設を厳重に防護したとしても、自衛隊施設を出発したあとに通るルートで襲撃されてしまったら、せっかくの防護も意味がありません。陸上部隊なら高速道路や港湾を、艦艇なら想定される航路(横須賀基地なら浦賀水道)といったポイントで「待ち伏せ」があり得るでしょう(艦艇が相手なら、海岸から飛ばすのみならず、たとえばプレジャーボートからドローンを飛ばすことも考えられます)。ここまで来ると、もはや従来から存在するゲリラ・特殊部隊による攻撃のリスクに経空脅威が加わったと考えるべきかもしれません。

今後に向けた対応の展望

ドローンを使用した攻撃のリスクに対処しようにも、特に平時は法的な課題も存在するでしょう(有事であれば自衛隊法95条から同法95条の4の規定を根拠に対応できると考えられます)。
たとえば野次馬やYouTuberが撮影を目的にドローンを飛ばしている場合のように、「攻撃を目的としたドローンと、そうでないドローンの判別が困難なケース」も想定できます。ドローンも誰かの「財物」であり、私有財産に対する損害は最小限に留める必要があります。本来は前者の(攻撃を目的とした)ドローンのみ撃墜しなければならないところ、いかなる事態でも迅速かつ正確に判断して、緊急避難や正当防衛を確信しながら撃墜できるとも限りません。ともすれば無関係のドローンにも迅速に対応できるように、平時であってもドローンに対応する自衛官・警察官の法的責任を免除するとか、国家による補償を予め定めた立法措置が必要でしょう。

このように、ドローンを使用した攻撃のリスクへの対応は急務ながら、予算や法律の制約を考える必要があります。

ドローンほか民生品を使用した攻撃の可能性につれて高まるヘイトに伴う「安全保障政策と外交の失敗のリスク」

しかし、本稿において指摘したいのは、従前から展開されていた「ドローンを使用した攻撃のリスク」や「法律や予算の課題」ではありません。外国人に対するヘイトスピーチやヘイトクライムによる「守るべき国益の逸失」や、相手国に好都合なナラティブを許すリスクこそ、懸念しなければなりません。

今回の映像がWebサイト「bilibili」に掲載された経緯と、Webサイト「bilibili」が主に中国で人気となっている事情を踏まえると、今回の映像を公開したのは中国人でしょう。また、今回の映像が本物だとして、おそらくドローンを使用して撮影したのは自衛隊や艦船が好きな「マニア」でしょう。しかし、ドローンを使用して自衛隊の施設や武器・装備を攻撃するのは、たとえば外国の工作員やゲリラ・特殊部隊や、オウム真理教のようなテロリストといった存在が考えられます。
すると、ドローンのような民生品を使用した攻撃のリスクが高まると、有事に前後して特定の国籍や人種・民族の在日外国人を「外国の手先」であると、または特定の思想信条の持ち主や特定の宗教を信仰する人たちを「テロリスト」であると安易に断定したヘイトスピーチや、ともすればヘイトクライムが起きる可能性を懸念しなければなりません。

ヘイトスピーチやヘイトクライムによる「守るべき国益の逸失」

かつて関東大震災の直後には、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」とするデマによって、多くの朝鮮人が殺害されました。誰のせいでもない自然災害でも理不尽に濡れ衣を着せられた人たちが大勢いるのですから、人為的に引き起こされる有事において、人々の不安や疑心暗鬼によって産み出された「ヘイト」が特定の集団に向けられることは創造に難くありません。
先の大戦でも、米国では日系アメリカ人が強制収容所に入れられた歴史があります。その上、実際に、尖閣諸島を巡って日本と中国の関係が悪化したときには、日本でヘイトスピーチが、中国で反日デモがそれぞれ活発になりました。有事において、敵対する国家にルーツを持つ人たちが槍玉に挙げられるのは、残念ながら歴史的にも証明されています。

このようなヘイトスピーチやヘイトクライムは、倫理的・道徳的な観点はもちろん、「守るべき国益の逸失」という視点からも危惧しなければなりません。
本邦は、第2次安倍政権で「国家安全保障戦略」を策定し、第2次岸田政権で改定しました。「国家安全保障戦略」では「国益」が以下のように定義されています。

1 我が国の主権と独立を維持し、領域を保全し、国民の生命・身体・財産の安全を確保する。そして、我が国の豊かな文化と伝統を継承しつつ、自由と民主主義を基調とする我が国の平和と安全を維持し、その存立を全うする。また、我が国と国民は、世界で尊敬され、好意的に受け入れられる国家・国民であり続ける。
2 経済成長を通じて我が国と国民の更なる繁栄を実現する。そのことにより、我が国の平和と安全をより強固なものとする。そして、我が国の経済的な繁栄を主体的に達成しつつ、開かれ安定した国際経済秩序を維持・強化し、我が国と他国が共存共栄できる国際的な環境を実現する。
3 自由、民主主義、基本的人権の尊重、法の支配といった普遍的価値や国際法に基づく国際秩序を維持・擁護する。特に、我が国が位置するインド太平洋地域において、自由で開かれた国際秩序を維持・発展させる。

2022年12月16日 国家安全保障・閣議決定『国家安全保障戦略について』より抜粋

端的に言ってしまえば、本邦の「国益」とは、(1)国家と国民の平和と安全(2)国家と国民のさらなる繁栄(3)普遍的価値やルールに基づく国際秩序から構成されます。
また、「我が国の安全保障に関する基本的な原則」として「自由、民主主義、基本的人権の尊重、法の支配といった普遍的価値を維持・擁護する形で、安全保障政策を遂行する。そして、戦後最も厳しく複雑な安全保障環境の中においても、世界的に最も成熟し安定した先進民主主義国の一つとして、普遍的価値・原則の維持・擁護を各国と協力する形で実現することに取り組み、国際社会が目指すべき範を示す。」と、「結語」として「希望の世界か、困難と不信の世界かの分岐点に立ち、戦後最も厳しく複雑な安全保障環境の下にあっても、安定した民主主義、確立した法の支配、成熟した経済、豊かな文化を擁する我が国は、普遍的価値に基づく政策を掲げ、国際秩序の強化に向けた取組を確固たる覚悟を持って主導していく。」とも、それぞれ明記されています。

また、講学上、安全保障は以下のように定義されます。

「客観的には獲得した価値に対する脅威の不在、主観的には獲得した価値が攻撃される恐怖の不在」
‘security, in an objective sense, measures the absence of threats to acquired values, in a subjective sense, the absence of fear that such values will be attacked.’

Wolfers, Arnold. '"National Security" as an Ambiguous Symbol.'
Political Science Quarterly (The Academy of Political Science) 67, no. 4 (1952): 481-502.

この「獲得した価値」とは、本邦においては上述の「国益」であり、この国益への脅威ないし恐怖の不在が「安全保障」です。換言すると、(1)国家と国民の平和と安全(2)国家と国民のさらなる繁栄(3)普遍的価値やルールに基づく国際秩序からなる「3つの国益」を守ってこそ本邦の「安全保障」です。
普遍的価値には「自由、民主主義、基本的人権の尊重、法の支配」が含まれるとされているところ、上述のヘイトスピーチやヘイトスピーチは、言うまでもなく、これらの普遍的価値と相反します。「国家や国民を守れ!」と排外主義や差別主義に走った人たちによって、国益が損なわれる残念な結果を招きかねません。これでは、いったい何のために安全保障政策を展開しているのか分かりません。単なる「本末転倒」です。

ヘイトスピーチやヘイトクライムによって喪失する「同盟国・同志国からの支援・支持」

さらに、このようなヘイトスピーチやヘイトクライムによって、本邦が同盟国・同志国からの支援・支持を失う可能性も考えなければなりません。
たとえばイスラエルによるガザ地区における攻撃や虐殺が国際的な非難を招き、イスラエルと近い関係にあったはずの米国や英国すらもイスラエル政府を批判したり、関係に溝が開いたりしつつあります。現時点でも米国や英国はイスラエルへの支援を継続しているにせよ、トーンダウンや世論の反発は否めないし、いつまで支持が続くのかも分かりません。

もし有事において、本邦で在日外国人に対するヘイトスピーチやヘイトクライムが起きれば、本邦が同盟国・同志国の政府や世論からの支持や支援を喪失する可能性も考えられます。少なくとも支援や支持を失うリスクは高まるし、そのリスクが本邦の政策や戦略の判断の「足を引っ張る」蓋然性は存在します。同盟国・同志国による支持や支援の確実性を高め、本邦の政策や戦略の判断における自由度を高める(選択肢の幅を広げる)にあたって、ヘイトスピーチやヘイトクライムは「足かせ」と言わざるを得ません。

加えて、本邦の「国家安全保障戦略」は、「国益」において「インド太平洋地域において、自由で開かれた国際秩序を維持・発展させる」と述べていることからも伺えるように、第2次安倍政権で提唱された「自由で開かれたインド太平洋」(FOIP)」とも連携しています。この「自由で開かれたインド太平洋」は、麻生政権で提唱された「自由と繁栄の弧」にルーツを持ち、少なくとも建前上は普遍的価値(自由、民主主義、基本的人権の尊重、法の支配)に重きを置いた「価値観外交」です。

この崇高な「普遍的価値」のもと各国に結集を呼び掛けた本邦は「自由で開かれたインド太平洋」(FOIP)の「要」です。この本邦において、普遍的価値を著しく毀損するヘイトスピーチやヘイトクライムが横行すれば、「自由で開かれたインド太平洋」(FOIP)は「旗印」とでも言うべき根本的な建前を失い、せっかくの連携や連帯が容易に崩壊しかねません。本邦の心ない人たちの言動によって、この「自由で開かれたインド太平洋」(FOIP)の理想が霧散しかねません。

台湾有事を念頭に置いた場合の「中国人に対するヘイト」のリスク

しかも、本邦において広く懸念される有事の1つは中国による「台湾有事」であり、この事態にあっては「中国人へのヘイトスピーチやヘイトクライム」の懸念が残ります。しかし、中国人に対する攻撃(または口撃)のつもりが台湾や東南アジア諸国の人たちを傷つけ、日本と台湾や東南アジア諸国との連携を損なう結果も考えなければなりません。
初歩的な前提として、中国本土に存在する中華人民共和国も、台湾に存在する中華民国も、両方が「中国」(China)を自称しており、お互いに領有権を主張し合っています。中国と台湾は民族的・文化的に距離が近く、たとえば「親族が中国本土と台湾に別れて暮らしている」ようなケースもあり得ます。
その上、本邦にとって「生命線」であるシーレーンはインド洋や南シナ海、フィリピン海を経由しており、マラッカ海峡やバシー海峡は本邦の「チョークポイント」です。しかし、これらの航路に面した東南アジア諸国には、大勢の中国系の住民(いわゆる「華僑」「華人」)がいます。もちろん、東南アジア諸国にも、中国本土に家族や親族のいる人たちは大勢いるでしょう。
すると、台湾有事において、中国の人たちへのヘイトスピーチやヘイトクライムがいつの間にか台湾や東南アジア諸国の人たちを傷つける結果も考えられます。それに、個人間のトラブルだけでなく、外交問題に発展したり、これらの人々からの支持や協力を失ったりする外交上のリスクもあります。本邦は台湾有事で攻撃を受ける台湾や、協力してくれる余地の大きな東南アジア諸国と連帯しなければならないのに、これでは本末転倒です。「台湾を侵略し、東南アジアを脅かす中国を許せない」とする感情が台湾や東南アジアの人たちを怒らせたり、これらの人々と本邦の絆を傷つけたりする由々しきリスクを考えると、やはりヘイトスピーチやヘイトクライムは本邦の国益を大きく損ないます。

そして、ヘイトスピーチやヘイトクライムは、相手国に都合の良いナラティブを許しかねません。
たとえばロシアはウクライナに侵略するに当たって、「ウクライナでロシア系住民の生活が脅かされている」「ウクライナの政権はネオナチで、弾圧されているロシア系住民を守らなければならない」といった大義や口実を掲げました。もちろん、これらの大義や口実はロシアにとって好都合な「ナラティブ」であり、侵略を正当化する理由にはなりません。
しかし、もし本邦において、特定の国籍や人種・民族の在日外国人に対するヘイトスピーチやヘイトクライムが活発になれば、このロシアの大義や口実のようなナラティブを裏付けかねません。このようなナラティブによって侵略まではされずとも、相手国が本邦を国際社会で吊し上げたり、本邦への不支持や制裁を各国に求めたりするリスクは考えられます。とりわけ、本邦が対峙する中国は、安全保障理事会の常任理事国であるとともに、世界各国に強い影響力を持つ「外交大国」です。ALPS処理水の海洋放出を巡っても本邦と中国の「外交戦」が繰り広げられたのは記憶に新しいし、有事ともなれば活発に外交工作を展開してくるのは確実です。

つまり、相手国に都合の良いナラティブを許さないためには、本邦は政府のレベルだけではなく個人のレベルにおいても、道徳的・倫理的に「正しい」振る舞いを続ける必要があり、さもなければ本邦が国際社会からの支持や協力を取り付けられないリスクが生じます。

以上のとおり、ドローンのように民生品を使用した攻撃のリスクは、ヘイトスピーチやヘイトクライムの可能性を通じて、本邦の「守るべき国益の逸失」「同盟国・同志国との連携の喪失」「相手国に都合の良いナラティブ」といったリスクをも高めると言えます。
すると、本邦の安全保障においては、ドローンを使用した攻撃のリスクへの対応のみならず、ヘイトスピーチやヘイトクライムを許さない姿勢や努力も必要であると結論づけられます。

今回の映像が偽物であった場合の「偽物の画像・映像を使用したプロパガンダ・認知戦のリスク」

一方で、そもそも今回の映像は「真偽が裏付けられていない」点にも留意する必要があります。

今回の映像には、複数の違和感や疑問点を指摘する多くの声もあります。たとえば「歩いている人や走っている車が見当たらない」「波と旗の向き(つまり風向き)が違う」「風が強そうなのにドローンが揺れていない」「影や塗装に違和感がある」といった指摘が挙げられます。
しかし、いずれも「傍証」の域を出ず、確証をもって今回の映像を否定できる根拠たり得ません。たまたま人や車の少ないタイミングだったとか、海面と甲板で風向きが違ったとか、重量があって安定して飛行できるドローンだったとか、カメラのスタビライザーや映像の編集でドローンの揺れを補正できたとか、映像の圧縮で荒く見えているに過ぎないとか、通常あり得る程度の事情で説明が可能なレベルの違和感であり、およそ今回の映像を「AIや合成によるフェイク」と断定するには立証が足りないように見受けられます。

それに、今回の映像で活発に議論を交わしているのは多くが日本に暮らしていると思料される一方で、自衛隊の活動によって守られる日本人が今回の映像を「AIや合成によるフェイクであって欲しい」と思うのは自然な感情だし、この「フェイクであって欲しい」とする感情による認知や思考の「バイアス」も考慮する必要があります。
今回の映像を「フェイクである」と現時点で断言するのは早計に思えます。

しかし、もし今回の映像が偽物であったなら、上述の「本物であった場合」とは異なるリスクが示されたと評価できます。

今回の映像に惑わされる専門家やマニア

今回の映像はまったく以て「派手」と言えるものではなく、一般人の興味関心を惹くにはインパクトが弱いでしょう。おそらく軍事や防衛に知識のない人はスルーするか、そもそも目に留まらないと考えるのが自然です。
すると、今回の映像を観ながらSNSで議論を交わしていたのは、専門家からマニアやオタクまで、普段から軍事や防衛に興味関心を抱いていたり、それなりに知識があったり、日頃から小まめにニュースをチェックしていたりする人たちでしょう。しかし、少なくとも平均以上の知識や興味関心を抱く人たちですら、この映像の真偽に悩んでいたし、この映像が偽物だったなら「フェイクに惑わされていた」と言えます。

たとえば映画で使用されるようなVFXやCGの技術は、数年前から目を見張るものがあります。たとえば映画『永遠の0』で航空母艦『赤城』をモデリングしたり、映画『シン・ゴジラ』で自衛隊が市街地で戦闘するシーンを作成したりと、偽物の映像を作成する技術は日に日に進化しています。その上、昨今は「生成AI」や「ディープフェイク」といった技術によって、このような「偽物の映像」を作成するハードルは格段に下がっているでしょう。

関東大震災では「朝鮮人が井戸に毒を入れた」とするデマによって多くの朝鮮人が殺されたほか、熊本地震でも外国で撮影された画像とともに「動物園からライオンが脱走した」との偽情報が拡散されました。画像や映像のない「噂話」であっても人々を殺人事件に駆り立てるのですから、インパクトのある「偽物の映像」によって人々を騙すハードルはかなり低いと言わざるを得ません。

すると、今回の映像が偽物であった場合、偽物の画像・映像によるプロパガンダや認知戦のリスクが示されたと指摘できます。
まして、今回の映像のように、ある程度の知識や興味関心を持つ人たちすらも当惑させるクオリティの高い画像・映像なら、客観的な検証も困難です。プロパガンダや認知戦は本邦と対立する国家によって主導されるでしょうから、映画に使われるような高い技術が用いられたとしても、およそ不思議ではありません。

偽物の画像・映像を使用したプロパガンダや認知戦の可能性

たとえば政府施設や自衛隊施設が攻撃や偵察を受けている画像・映像によって世論に厭戦感情を喚起したり、政治家や自衛官による不祥事の画像・映像によって政府の支持率を下げたりする工作が考えられます。

実際に、本邦でも、生成AI技術を使用したとみられる政治家やアナウンサーの画像・映像が出回ったケースがありました。たとえば内閣総理大臣が卑猥な発言をする映像は、非現実的な内容から「フェイクである」と判断しやすい一方で、アナウンサーが投資を呼び掛ける映像は信じ込んでしまう人がいても無理はないように見受けられます。

なお、内閣総理大臣が卑猥な発言をする映像は、無料のツールを使って約1時間で作成されたようです。もし精巧に作り込まれていたり、もっと現実的な内容だったら、騙されていた人が続出したとしても不思議ではありません。

これらの画像・映像によって、たとえ「なんとなく」であっても、政府や自衛隊に対する国民や世論を毀損できれば、プロパガンダや認知戦は一定の効果を発揮したと言えます。
言うまでもなく、このようなプロパガンダや認知戦が国際社会に対して向けられるリスクもあります。たとえば「日本国内で撮影された画像・映像」として偽物の画像・映像が出回る可能性はあるし、たとえばハリウッド映画に登場する「違和感だらけの日本」のように、日本人なら気づける違和感であっても外国人は気にも留めずに信じ込んでしまうような場合もあり得るでしょう。

また、「負の感情は拡散しやすい」点も見過ごせません。これは新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行に伴うSNSの動向からも明らかです。
たとえば企業や店舗で嫌な目に遭ったときにクレームの電話を入れる人は多いけれど、素敵な対応をされたときに感謝の電話を入れる人は少ないでしょう。同様に、SNSでも「こんな酷い目に遭った!」と被害を訴える投稿記事は、「こんな素敵な体験をした」とする投稿記事よりも多く見掛けるし、広く拡散されているように見受けられます。とりわけ怒りの感情は正義感を伴って攻撃的かつセンセーショナルな表現を伴いがちで、拡散されやすいのは容易に想像できます。
すると、たとえばSNSにおいて、政府や自衛隊を不当に貶める虚偽の画像・映像ほど拡散される可能性を考えなければなりません。

さらに、たとえば「フェイクニュースは真実よりも速く、かつ広く拡散される」という研究もあります。その上、別の研究では「フェイクニュースによる誤った認識を改めるのは難しい」と示されています。すると、フェイクニュースに踊らされる人は多く、訂正する情報に触れる人は少ない上に、デマ(偽・誤情報)に踊らされた人たちが認識を改めるハードルは高いと言えます。政府や自衛隊を不当に貶める虚偽の画像・映像が拡散されたり、虚偽の画像・映像に基づく認識が固定化されたりする蓋然性を指摘できます。

しかも、このようなプロパガンダや認知戦がSNSを活用して繰り広げられた場合、人数で勝る勢力に有利という点も考慮しなければなりません。たとえばテレビや新聞を通じた情報発信なら、編集や校閲といったフィルターが存在するし、たとえば日本語で情報を発信するのは日本のメディアでしょう。だから、相手国が本邦に対するプロパガンダや認知戦を仕掛けるには、本邦のテレビ局や新聞社、通信社に対する工作が不可欠です。
しかし、個人が容易に情報を発信できるとともに、拡散された回数や高く評価された回数が情報の信憑性に直結するSNSは、多くの人々を動員できる勢力に有利な媒体です。つまり、人海戦術を活用できる勢力が偽物の画像・映像を大量に発信したり、情報の信憑性を向上したりする工作は、既存のメディアに比べて格段にハードルが下がったと考えられます。想定される台湾有事で本邦が対峙する中国は、単に人口が多いだけでなく、政府機関や党組織・人民解放軍の規模も大きく、このような工作に投入できる人員の規模も遙かに大きいでしょう。

そして、偽物の画像・映像によって惑わされる人が生じるだけでなく、確認や検証、訂正といった作業にコストを掛けさせた時点で、偽物の画像・映像は一定の目的を果たしたとも評価できます。虚偽の画像・映像が「虚偽」と示されるには、必然的に確認や検証の作業を経なければなりません。虚偽の画像・映像は、この確認や検証の作業を強いた時点で、本邦の国家や国民にコストを強いたと言えます。
その上、虚偽の画像・映像によって大勢が惑わされた場合、訂正するためのコストも発生します。たとえば新聞の紙面やニュース番組の尺は有限であるところ、これらの公共財を割かなければ情報の訂正は不可能です。本来であれば有事において政府や国民の危機管理に視する情報や、そうでなくとも人々の生活を豊かにするための情報を伝えられたリソースを、虚偽の画像・映像の訂正に割り当てさせることで、ある程度の出費を強いられる構図です。迷惑この上ありません。

おわりに

現時点では今回の映像を明確に「偽物」と断定する根拠は存在しません。いずれの指摘も「傍証」の範疇に留まるし、議論を交わす人たちの「希望的観測」によるバイアスも拭いきれません。いま今回の映像を「偽物」と断定するのは早計です。しかし、それでも「偽物であった場合に示されたリスク」は考えなければなりません。

また、もし今回の映像が本物だとしても、それはそれで今回の映像は別のリスクを示したに過ぎません。言うまでもなくドローンを使用した攻撃のリスクは顕在化したし、ドローンのような民生品を使用した攻撃のリスクにつれて「ヘイトスピーチやヘイトクライムによって普遍的価値を毀損する可能性」も高まります。

さらに、たとえば「ドローンを飛ばして撮影した映像をもとに、AIや合成でフェイク映像を作成した」ようなパターンであれば、本稿で論じた「本物であった場合のリスク」と「偽物であった場合のリスク」の両方が示されたといえます。

しかも、SNSで交わされている議論には、「防衛省・自衛隊が広報のために撮影した映像が流出した」可能性を指摘する声もあります。これはこれで、たとえば防衛省・自衛隊や取引先企業からの情報漏洩・流出や、防衛省・自衛隊や取引先企業に対するサイバー攻撃といった可能性を考えなければなりません。

いずれにしても、今回の映像を前に、ヒステリックな言論や応酬は慎むべきであり、あくまで冷静な議論が求められることは明白です。さもなければ、本邦が安全保障で守るべき価値を自ら毀損する結果になりかねません。
今回の映像が最も強く示したのは「安全保障の議論を交わす人たちこそ、安全保障で守るべき価値を強く意識して念頭に置く必要性」かもしれません。

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