価値観を人に押し付けてはいけない理由
皆様、こんにちは。清家です。
年を重ねるに連れて、人生とは何かについて考えることが多くなります。
「人生」に対する考え方は文字通り、その「人の生き方」に繋がります。
人生とはなにか
この問いに対する正解はありません。正解がないということは、答えは自分で導かなければなりません。
私にとっての人生とは。
自分が生まれてきた理由は分からない。理由はないのかもしれない。
何のための人生なのか、人生の意義付けは自分でする必要がある。
人に迷惑をかけず、社会貢献し、自分の時間を楽しむことが人生である。
いまだに宇宙最大の謎で、なぜ人が生まれてくるのかは分かりません。
しかし、人は死ぬまで、自分の住む場所のルールや環境に従って生活していきます。
その過程で、自分の好きなことや嫌いなことが見つかり、どのように生きていきたいか漠然と考えるようになります。
自分のしたいこと、好きなことをして死ぬまで生きていくことができればいいのですが、周りの環境や社会的な構造が複雑に絡み合っている世界に住む私たちは、理想と現実の妥協点を見つけながら生活しています。
日本の幸福度ランキングは世界47位、不幸せな国と言われて久しいですが、1度切りの人生、全国民ができるだけ楽しく生きることができればと切に願います。
価値観の押し付けとは干渉である
価値観とは、その人が心から大事にしているものの考え方です。
力強く人生を歩むために、自分の価値観を持つことは非常に大事なことなのですが、自分の考え方に対する思いが強すぎるがために、他の人にも自分と同じように考えて欲しいと、押し付けがましくなることがあります。
ネガティブな言葉で言うと、老害、自己中心的、独断的、頑固者と呼ばれる人たちです。
こんな言葉で呼ばれたくはないものですが、呼ばれている本人は、自分ではなかなか気付くことができないと言うのが問題です。
他人から忠告を受けても、ほとんどの場合、本人が認めることはなく、ひどい場合は逆ギレという行為に繋がってしまいます。
では、人に価値観を押し付けないようにするためにはどのようにすればよいのでしょうか。
3つあります。
相手からアドバイスを求められるまでは口を閉じる。
他人のことには干渉しない。そして、自分のことにも干渉させない。
相手を一人の人として尊重する。
これら3つを固く守ることです。
上記2つを破る場合は、相応のリスクが生じることを理解し、覚悟ある責任感を持って臨まなければなりません。
基本的には上記スタンスを保つことで、価値観を押し付けることはなくなります。
そもそも、価値観の押し付けとは他人を干渉するということです。
価値観を押し付けられた人の行動に伴う結果の責任は誰が取るのでしょうか。それは価値観を押し付けた人ではありません。
相手を思ってのアドバイスだとしても、聞く準備ができていなければ、人が変わることはありません。
相手が他の人の価値観を受け入れる準備ができている、もしくはアドバイスを求めている場合にのみ、あなたの言葉は相手の心にまで届きます。
人生を楽しく生きるために
SNSの普及によって他人の華やかな生活が、日常的に身近に感じるものとなりました。
スマホの画面上でそんな映像を見ていくうちに「どうして私はこんな生活を送っているんだろう」と思うようになっていきます。
今、自分が幸せでないと感じている場合、下記のように考えると、人生がより良い方向に進むかもしれません。
自分の立ち位置を知るためには相対的に人と比べる必要があるが、自分が幸せになるためには、他の人と比べてはならない。
SNSは自分の一番輝く姿を見せる場所であり、華やかな画面の背景には不幸が溢れていることが多い。
自分が本当に好きなことを知り、そのために時間を費やす。
自分の人生を幸せにすると決める。
不幸せになることは切っていく。
過去も未来も関係ない。今、この瞬間に集中する。
自分が幸せであるか不幸せであるかを他の人と比べると、幸せになることは一生ありません。
なぜなら、世界は広く、自分以上に美しく、華やかで、お金を持ち、フォロワーが多く、自由に生きている人は山ほどいるからです。上には上がいるのです。
自分は幸せになると決めること。
自分を変えることができるのは自分しかいません。
皆様が幸せになりますように。
最後までお読みいただきありがとうございました。
清家 秀俊
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