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バッハ「マタイ受難曲」を聴いて

これほど衝撃を受けたクラシック曲はない。キングクリムゾンの「宮殿」、イエスの「危機」、ジェネシスの「フォックストロット」、ELPの「展覧会の絵」、ピンクフロイドの「原子心母」を聞き漁った20代の時。曲の背景を調べるのに必死だった。
たまたまユーチューブ見ていたら約3時間にも及ぶ投稿があったので興味深くなりなんとなく見た。バッハといえばリッチーブラックモアも敬愛する「音楽の父」である。この「マタイ受難曲」はバッハの最高峰との評価があった。ますます興味を持った。私はキリスト教信者ではないが物語が持つ偉大さに敬服せざるを得ない。

バッハ《マタイ受難曲》はバッハの最高傑作と言われる名曲です。とても壮大で演奏によっては3時間を超えることもあります。今回は、その重厚であり、おごそかであり、また静謐(せいひつ)でもあるそんな魅力を放つ、バッハ《マタイ受難曲》の解説とおすすめ名盤を紹介です。(https://www.alpacablog.jp/entry/bach-matthaus-passionより)

何年か前にメルギブソン主演の『パッション』という映画を見た。残酷がテーマの映画だった。ひどく醜い映画であった。

【逮捕】第1番(1)〜第43番(52)
|十字架の予言|
第1番(1)【合唱】来たれ娘たちよ、われとともに嘆け
第2番(2)【レ】十字架を予言
第3番(3)【コ】その罪はなんですか?
|香油を注ぐベタニアのマリア|
第4番(4〜5)【レ+合唱】大祭司のたくらみ
第4番(6〜8)【レ+合唱】香油を注ぐベタニアのマリア
第5番(9)【レ・ア】あふれる涙
第6番(10)【アリア】罪と後悔
|ユダの裏切り|
第7番(11)【レ】銀貨30枚にてイエスを売る
第8番(12)【アリア】その子は蛇となった
第9番(13〜15)【レ】裏切りの予言
|最後の晩餐|
第10番(16)【コ】つぐないと報い
第11番(17)【レ】裏切る者とは誰のこと
第12番(18)【レ・ア】弟子たちへの愛
第13番(19)【アリア】私の心を捧げます
第14番(20)【レ】「つまづき」の予言
第15番(21)【コ】私を認めてください
第16番(22)【レ】私はつまづきません
第17番(23)【コ】私を、あなどらないでください
|ゲッセマネの祈り|
第18番(24)【レ】目を覚ましていなさい
第19番(25)【レ・ア】さいなまれた心は震える
第20番(26)【アリア】イエスのそばで目覚めていよう
第21番(27)【レ】この苦杯を私から去らせてください
第22番(28)【レ・ア】死の苦杯を飲み干そう
第23番(29)【アリア】私も救い主の続いて飲もう
第24番(30)【レ】一時も私とともに起きていられないのか
第25番(31)【コ】神は見捨てられることはない
|イエスの逮捕|
第26番(32)【レ】3度目の祈り
第27番a(33)【二重唱アリア】放せ、止めよ、縛るな
第27番b(33)【合唱】燃えさかる奈落を開け、おお地獄よ
第28番(34)【レ】剣を取るものは剣により滅びる
第29番(35)【コ】おお人よ、お前の罪の大きさを嘆け
第30番(36)【アリア】今や私のイエスは去った
第31番(37)【レ】死罪の証拠、見つからず
第32番(38)【コ】世の中は私を不当に裁いた
第33番(39)【レ】イエスの沈黙
第34番(40)【レ・ア】あわれみに満ちた、彼の御心が
第35番(41)【アリア】忍耐だ
第36番(42〜43)【レ&合唱】お前は救い主、神の子なのか
第37番(44)【コ】あなたは全く罪人ではない
|ペテロのつまづき|
第38番(45〜46)【レ&合唱】ペテロ、3度の否定
第39番(47)【アリア】あわれんでください、私の神よ
第40番(48)【コ】今はあなたから離れても
|ユダの自死|
第41番(49〜50)【レ&合唱】ユダの後悔と死
第42番(51)【アリア】私のイエスを私に返せ
【裁判】第43番(52)〜第54番(63)
|判決下る|
第43番(52)【レ】おまえはユダヤ人の王なのか
第44番(53)【コ】天を治める方に
第45番(54)【レ】バラバの赦免
第46番(55)【コ】なんと驚くべき刑罰
第47番(56)【レ】彼はどんな悪事を?
第48番(57)【レ・ア】彼は良いことをしてくださった
第49番(58)【アリア】愛ゆえに
|仕打ち|
第50番(59)【レ】私は責任を負わない
第51番(60)【レ・ア】刑吏よ、止めろ!
第52番(61)【アリア】涙が私の頬に流れ落ちなくても
第53番(62)【レ】いばらの冠をイエスの頭に載せ
第54番(63)【コ】おお、御頭は血と傷と
【処刑】第55番(64)〜第68番(78)
|ゴルゴダへと向かうイエス|
第55番(64)【レ】イエスの十字架を背負わせ
第56番(65)【レ・ア】十字架を強いられ
第57番(66)【アリア】来たれ、甘い十字架
|十字架とイエス|
第58番(67〜68)【レ】ゴルゴダの丘で
第59番(69)【レ・ア】呪われしゴルゴダよ!
第60番(60)【アリア】イエスが手を広げて
|イエスの死|
第61番(71)【レ】闇が全地を覆い
第62番(72)【コ】いつか私が死ぬときも
第63番(73)【レ】地が揺れ、岩が割れ
第64番(74)【レ・ア】イエスが十字架を果たされた
第65番(75)【アリア】私の心よ、自ら清めよ
第66番(76)【レ】よみがえりの予言
|嘆きと悲しみ|
第67番(77)【レ・ア】私のイエスよ、お休みください
第68番(78)【合唱】私たちは涙に暮れ

アリア(叙情的、旋律的な特徴の強い独唱曲)
レチタティーヴォ(クラシック音楽の歌唱様式の一種で、話すような独唱)
重唱(声楽で二つ以上の声部を各部それぞれ一人の歌手が受け持って歌うこと)(以上https://www.alpacablog.jp/entry/bach-matthaus-passionより)

すごく壮大なオペラだった。
これを理解するにはキリスト教の「受難」についての理解が必要だと思った。いろいろな情報を得て下記にまとめた。

新約聖書にはマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの福音書がある。福音書とはイエスキリストの言行(福音)をその死まで述べる新約聖書中の4文書である。マタイ福音書、マルコの福音書、ルカの福音書、ヨハネの福音書。つまりイエスの様々な物語をそれぞれ描いているのである。イエスの誕生に始まり様々なイエスの奇跡に触れられている。そして最後の晩餐からイエスの逮捕、受難、復活まで描かれている。受難曲は主に最後の晩餐あたりから十字架にかけられるまでを描写している。マタイ福音書の第26章第27章が採用されているので「マタイ受難曲」なのである。
もちろん「ヨハネ受難曲」もあり、

ルカ受難曲も

マルコ受難曲もある。

 どうして イエスは逮捕されて 十字架にかけられたのか。
イエスはユダヤ人であり 当時のユダヤ人はローマの支配下にあった。 当時のユダヤ教は サドカイ派とファリサイ派という2つの大きな勢力に分かれていた。
 そんな中 数々の奇跡を起こし 民衆から救世主と呼ばれるようになったのがイエス。 イエスの影響がさらに大きくなったことで 2大勢力は大きな 危機感を抱く。 謀議を凝らして イエスを罠に陥れて殺してしまおう。 祭司長や長老たちが イエスを陥れるチャンスを伺っていた。
 そこで重要な役割を担ったのが イエスの12人の弟子の人であったユダ。  ユダは太子町のところに行き「 どれくらい金貨をくれますか。 あの男を皆さんに密告しましょう。」と言う。
 最後の晩餐において 「お前たちの一人が私を密告するだろう。」と予言する。 その後、 ユダが武装した人々を引き連れて イエスのもとにやってくる。 その結果 イエスは捕えられ 弟子たちは逃げてしまう。
 ここまでが 第1部である。
 捕らえられたイエスは 、長老や 祭司の前に連れてこられる。 祭司長たちはイエスを殺そうとして 証拠を出さそうとするが、決定的な証拠が見つからない。 不実な証人たちが次から次へと現れてイエスに不利な証言をする。
 大司祭がイエス・キリストに向かって「お前は神の子か?キリストなのか」 と質問すると、イエスは「その通りだ」と答える。
 大司祭 は「この男は 今、 神を冒涜した。 これ以上の証拠が必要だろうか」と 言い、 民衆 もその通りだと賛同し 大騒ぎする。
 その後、 イエスは ピトロという人物のもとについて来られる。
 ピラトはユダヤ人を治めていたローマ総督。
 ユダヤ人はキリストを死刑にする権限がなかったため 、ここで ローマ総督であるローマ人のピラトが登場した。 ピラトは規則に則り イエスを調べるが 、そこに罪を認めることはできなかった。裁判の場で祭司長や 長老に告発されるが 、イエスは一言も弁明しなかった。
 ローマ人 ピラトはユダヤ人の反乱を恐れていた。
 ユダヤ人の反乱を恐れた 恐れたピラトは祭りの日に、 囚人を解放するという制度を利用する。 殺人犯 バラバとイエスキリストのどちらかを処刑にしてどちらかを解放してはどうかと持ちかけた。 長老たちに扇動された民衆はバラバを解放して イエスを処刑にせよと 声高に叫ぶ。 ピラトは民衆を抑えることができず、「 この人の死は自分の責任ではない」と言って 鞭打ちと磔の刑を命じる。
 このようにして イエスは鞭でうたれながら 十字架を背負って ゴルゴダの丘を上り、 そこで 十字架に架けられてなくなる。
 福音史家( エヴァンゲリスト)は 聖書のテキストを 歌い上げる 役で、物語の進行を担っている。 レチタティーヴォ・セッコと言って 通奏低音の伴奏に乗って、 聖書の歌詞が朗読されるのが特徴。
 バッハは 聖書の中でのイエスの台詞を イエス役に歌わせることで、その存在感を際立たせる。 バッハはイエスの台詞には 弦楽器の伴奏を加えている。 イエスが歌う時にはそこに光が差すような 効果がある。
 福音史家は テノール。 イエスはバスにて歌われる。
 バッハはオーケストラと合唱を2つのグループに分けた。
 この2つのグループを利用して、 対話が実現する。
 第1グループが問いかけを発すると、 第2グループが答えが帰ってくる。 2つのグループを左右に配置すると、対話の効果が 音響効果として現れる。 ここには民衆や 弟子たちの役があてがわれた。
 民衆がイエスと 「磔にしろ」と叫ぶシーン。
 民衆の暴動 寸前の心情をうまく表現している。
 また受難曲では 聖書のテキストの間に、コラールと呼ばれる 賛美歌が歌われる。 プロテスタントの賛美歌 である。
 コラールによって 聴衆は今起こった物語を受け止めて 心に反映させる時間が与えられている。
 聖書とテキストとコラールに加えて アリアが挿入されている。ピカンダーというものが セリフを書いている。 アリア の歌詞は 聖書に登場する特定の人物や のセリフや心情を表しているわけではない。物語を見ている「 誰か」の心情が歌われている。
 そこで歌われる 心情とは会い 後悔・ 涙・ 悔い改めと実に様々である。
 冒頭の合唱曲では十字架を背負う イエスを見て嘆き悲しむ 民衆の心が 歌われている。 映画のように クライマックスから始まるのである。

 第39曲。【神よ、私を憐れんでください】
 イエスは捕まる前に、 ペトロに向かって「お前は今夜、 鶏が鳴く前に三度私を知らないと言うだろう」と予言する。ペトロは驚いて、 「そんなことはありません」 と否定する。 ペトロもイエスが捕らえられてから、他の弟子たちと同様に 逃亡する。
 すると1人の人物がペトロを見つけて、「この人もイエスと一緒にいました」 と言い出す。 慌てたペトロは、「 私はそんな人を知りません 」と強く否定する。
 人がどんどん集まり、 3回 否定したところで鶏が鳴く。
 これは 「ペトロの否認」と呼ばれているシーン。キリストの 予言を思い出した ペトロは激しく動揺しなく 号泣する。「 神よ、 私の涙故に憐れんでください。」
 弱さの告白 人間の弱さを表した 心情を 表現しシーンである。

 もし、自分がこの「受難」の場面に遭遇したらどういう感情をいだくだろうか。登場人物ひとりひとりの心に注力した。人間の感情は怒り、悲しみ、喜び、笑いなどが刹那流転する。社会においては裏切り、後悔、愛、欲望、疑念、創造、破壊等が蔓延り場面に応じて感情は変化しゆく。バッハはその人間の心の動きを曲に描写したと思う。
 キリストは人類の罪を一人で背負って刑を受けた救世主とされる。その罪を背負って助けた人類に殺されるのである。愛せし弟子に裏切られるのである。なんという皮肉か。



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