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ミシュラン三つ星レストランへの挑戦 vol.14

東京・白金のフレンチレストラン「ラ クレリエール」のオーナーシェフ、柴田が日々、何を考えているかを綴ります。

第三章 「料理長」を見据えて

vol.1からご覧いただく場合、あるいは章ごとにご覧いただく場合はコチラからどうぞ
 → 第一章 レストランのシェフになる
 → 第二章 プロの世界へ

14.シェフの壁

動かなくなった厨房

岩田シェフと一緒に石井シェフから引き継いだモナリザ丸の内店の厨房を、今度は一人で引っ張っていく・・・。ダブルシェフではありましたが既にシェフとして働いていたので、責任の重さは感じつつも特別に難しいこととは思っていませんでした。ところが、スーシェフの時はスムーズに動いていた厨房が、いざシェフとして動かし始めたら全く思うように動きません。料理も、自分が思い描いたとおりに出来上がらない。イラついて怒鳴り、ひどい時は若いスタッフのコックコートを破ったこともありました。

「若いシェフほど新人と自分の力の違いが分からない。」修業時代に聞いたこの言葉を肝に銘じていたはずなのに、僕自身がその穴に落ちていました。自分の料理を下のスタッフたちが理解できないのは、彼らの勉強が足りないせいだと決めつけ、そして怒る。それまで自分の力不足を人一倍の努力と勉強で乗り越えてきたという自負がある分、わからない=努力不足に思えて余計にイラついたところもあったと思います。「お前ら、やる気あるのか!」と怒鳴る僕の声を聞いた河野シェフに、「朝早くから店にちゃんと来ている時点でやる気はある。やる気があるのに出来ないのは上司に原因がある。」と諭されたこともありました。「スーシェフを上手く使え」というアドバイスに対しても、頭では理解しながらも上手く実践できない日々が続きます。自分もスーシェフだったのですから分かりそうなものですが、自分が動くのと人を動かすのは全然違うのだと身に沁みました。

料理の説得力

このような状況に陥ったのに様々な要因があったと思いますが、いま考えると「僕の料理に説得力がなかった」ことが最大の原因だったと思います。
単独シェフとなって、僕の中には「フランスで学んだことやランベリーでの経験を表現したい!」という想いがありました。でも下のスタッフたちにとって、それは馴染みのない、知らないフランス料理です。人は「知らない→嫌い」となりがちですから、「オレがやっているんだから美味しい」「オレがやれと言っているんだからやれ」と言われたところで、彼らも「はい、そうですか」とはなりません。しかも、分からないから尋ねれば、勉強が足りないと怒られる。実は足りないのは僕の方で、相手に理解させるだけのロジックやマインドが欠けていた。そのことに気づかず、ダメ出しばかりしていました。
それに料理自体の完成度も、今から思えば十分とは言えませんでした。味もそれなりに美味しいし、盛り付けも悪くない。でも「知らない」という気持ちを超えさせ、理屈抜きで圧倒する力がない。
つまりは、説得力がなかったのです。

「シェフ柴田の料理」とは?

シェフが変わればメニューも変わります。モナリザという枠は守りつつ、「シェフ柴田の料理」を出さなくてはなりません。しかしシェフとしての経験が乏しいと、どうしても「どこかの真似」の部分が多くなります。モナリザの枠を意識して河野シェフの料理をベースにすれば「見たことある」と言われ、石井シェフの料理から考えれば「これ、石井シェフの料理だよね」と言われてしまいます。もちろん、そのままコピーしている訳ではありません。僕なりにアレンジしていても真似の域を出られていないということです。モナリザでは7年強働いていたけれど、実際に使える引出しは河野シェフや石井シェフから直接影響を受けていない3年分ほどだけ・・・。
それでは新しいものを取り入れようとエルブジのギミックを使ったりもしましたが、目新しさに驚くのは最初だけ。スタッフの顔には「本当に美味しいのか?」という表情が浮かびます。フランスやランベリーでの経験を前面に出せば、知らないものへの拒否反応と「これはモナリザの料理と言えるのか?」という戸惑いが伝わってきます。
スタッフの「この料理で大丈夫なのか?」という心の声に耳を塞ぎ、上手くまわらない厨房で僕は自分にしか分からない「オレの料理」を作り続けていました。

店に行けない・・・

当時、丸の内店は開店8年目、常連のお客様も数多くいらっしゃいました。そんな方々から「前の方が美味しかった」等の厳しい声も届くようになり、当然、僕の耳にも入ってきました。厨房もフロアもお客様も自分側の味方ではない。僕は、毎日1人vs80人の対決を昼・夜2回やっているような気持ちでした。
そしてシェフに就任して半年ほど経った頃、突然、僕は店に行けなくなりました。

その日は、いつも通り自宅を出て地下鉄で店に向かいました。しかし、乗り換えの駅に着いたのに、どうしても降りることができない。そのまま終点まで行ってしまい、慌てて折り返しに乗ってもまた降りられず、反対の終点まで行ってしまう。何度も何度も繰り返すうちにとうとう夜になり、家に帰りました。
翌日は家から出ず、店を休みました。そして3日目、店のスタッフからの電話で河野シェフと常連のお客様との話を聞いたのでした。

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このnoteを初めて読んでくださった方へ
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はじめに初めまして。ラ クレリエールの柴田です。
白金でフレンチレストランのオーナーシェフをしています。
2020年のコロナ自粛の間、レストランのあり方や自分が今後進むべき道など色々と考えました。その中で「ミシュランで三つ星を獲得すること」を一つの指標として強く意識するようになりました。
そして、どのようにすれば三つ星を獲得できるのか、三つ星にふさわしいと皆様から認めていただけるのか、日々、考えたことや行動したことを記録に残そうと考えました。
ご興味を持っていただけたら幸いです。

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