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ミシュラン三つ星レストランへの挑戦 vol.12

東京・白金のフレンチレストラン「ラ クレリエール」のオーナーシェフ、柴田が日々、何を考えているかを綴ります。

第三章 「料理長」を見据えて

vol.1からご覧いただく場合、あるいは章ごとにご覧いただく場合はコチラからどうぞ
 → 第一章 レストランのシェフになる
 → 第二章 プロの世界へ

12.焦点を絞って学びとる

岸本シェフから学んだ食材を見る眼と発想

ランベリーの岸本シェフは、職人気質で自分の感情に正直な方でした。市場で良い素材と出会うと嬉しくてパーッとテンションが上がって買わずにはいられなくなるし、腹が立てばたとえ厨房が止まっても猛烈に怒る。そして何より素材の見極めが凄かったですね。

魚の大きさや形、脂ののり方から最適な調理法を判断し、料理の完成形を描くという考え方は、クラシックなフランス料理をやってきた僕には発想の大転換でした。そして、その素材の魅力を最大限に出すための、強い旨味をあえて入れない調理法。例えば蕪のスープだったら、蕪の旨味をフランス料理という枠を外さずフルに出すために、フォンブランは入れず、水とほんの少しのバターで仕上げます。和食に近い感覚ですね。今では珍しくない手法ですが、当時は驚きでした。
そして、ちゃんと美味しい。ただ目新しいことや和食の真似事をしている訳ではなく、フランス料理人として堅実に培ってきた高い技術力に裏打ちされている。それは、たまに岸本シェフがオランデーズやベシャメルなどの王道ソースを作った時などに如実に分かりました。

だから今まで自分がやってきたことに「違う!」と言われても、次から次に分からないことが出てきても、拒否反応は全くありませんでした。逆に「次は何が来る?」というワクワク感が強かったです。

その後、厨房スタッフが変わったりしてハードワークが重なり、体調を崩して1年ほどで退職しました。次の店に移るまでホテルで3カ月ほどアルバイトをしていたのですが、実はその間に岸本シェフと一緒に築地に行ったりしていました。1時間くらいかけて市場を巡り、食材を見ながら買う理由や買わない理由、旬の話を聞き、市場の歩き方を教わりました。
岸本シェフが厨房の中と外で教えてくれたことは、今のクレリエールと僕の料理を支える大きな柱の一つになっていると思います。

ホテルのバイトで得られたこと

帰国したら学びたいと思っていたもう一つは「内蔵料理」でした。将来独立したらビストロ料理を作ることがあるかもしれないし、フランス料理を全体的に出来た方が良い。そのためにはブーダンやパテ、ソーセージは必須だと思ったのです。
ランベリーの次を考えていた時に小玉弘道シェフがシュマンを独立してお店を出すという話を聞き、すぐに小玉シェフに連絡して3か月後のオープンから加わるということに決まりました。それまでの間は、モナリザの先輩の伝手でホテルメトロポリタン丸の内で3カ月間アルバイトできることになりました。本来はそんな短期でのバイト採用はないところを、その先輩の人間性と料理のおかげで「モナリザ出身なら」とOKいただけたのだそうです。人のご縁というのは本当にありがたいものだと思います。

ホテルでの仕事は主にソーシエでしたが、全般的に色々やりました。朝・昼・夜の3シフト制で、朝シフトの時は4:30始業のところを4:00に行って、こっそりコーヒーを飲みつつ上階からの東京駅の眺めを楽しんだりしていました。もちろん、仕事もきっちりやっていましたよ。モーニングでは、みそ汁や焼き魚、スクランブルエッグやパンなど200人前を一人で用意していました。

ここで一番勉強になったのは、「業者さんと料理長の会話」です。値段交渉は言うに及ばず、「余っているから買ってくれ」と言われた物をどう買うか、どういう風に話すと良い物が仕入れられるか、等々。クレリエールで業者の方々と良い関係が結べているのも、ここでの経験が大きかったと思います。仕事がシフト制だったおかげで岸本シェフと市場通いもできましたしね。

料理長だった岩崎均シェフにも、とてもお世話になりました。フランスで日本人シェフとして初めてミシュランの星を獲得した中村勝宏シェフの下で働いて、一緒に洞爺湖サミットの晩餐会の料理を作ったりもされた方で、様々なことを勉強させていただきました。岩崎シェフは、今はホテルメトロポリタンエドモントの総料理長を務められています。

「間近で見て学ぶ」を第一条件に

小玉シェフが恵比寿にオープンした「レストランヒロミチ」にはスーシェフとして入りました。厨房は、シェフを入れて4人。小規模店の場合、2番手はシェフから一番離れた場所で前菜とデセールを担当するのが定番ですが、僕は「小玉シェフの横で働くこと」を第一条件としました。

シェフの料理を間近で見て。脂や内臓の扱い方、素材を使いきる知識と技術などシェフの内蔵・肉料理を隅々まで学びました。一番印象に残っているのは、液状のものへの味の付け方です。グーっと煮詰めた出汁に少しだけ塩を加える。見た目は色が濃くて味も塩気も強そうなのに、食べてみると軽いんです。日本人に分かる旨みの出し方ですね。しっかり塩をする料理をずっとやってきたこともあってなかなか感覚が掴めず、働き始めた最初の1ヶ月くらいは何度も「塩が強い」と言われました。この「濃い出汁に塩はごく少量」は今のクレリエールの料理にも生きています。

レストランヒロミチも働いたのは1年くらいでした。調理場で倒れて救急車で運ばれたんです。新店オープンでずっと忙しかった上に、僕はつい動いてしまうので「アレも出来る、コレも出来る」という具合にやることがどんどん増えていってキャパシティオーバーになってしまいました。精神的にもちょっと参ってしまっていたので、これ以上続けてもお店に迷惑をかけると思って辞めました。

帰国後すぐにモナリザの河野シェフにはご挨拶していましたが、また改めて連絡し、モナリザで次のステージに進むことを決めました。

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このnoteを初めて読んでくださった方へ
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はじめに初めまして。ラ クレリエールの柴田です。
白金でフレンチレストランのオーナーシェフをしています。
2020年のコロナ自粛の間、レストランのあり方や自分が今後進むべき道など色々と考えました。その中で「ミシュランで三つ星を獲得すること」を一つの指標として強く意識するようになりました。
そして、どのようにすれば三つ星を獲得できるのか、三つ星にふさわしいと皆様から認めていただけるのか、日々、考えたことや行動したことを記録に残そうと考えました。
ご興味を持っていただけたら幸いです。

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