見出し画像

ミシュラン三つ星レストランへの挑戦 vol.17

東京・白金のフレンチレストラン「ラ クレリエール」のオーナーシェフ、柴田が日々、何を考えているかを綴ります。

第三章 「料理長」を見据えて

vol.1からご覧いただく場合、あるいは章ごとにご覧いただく場合はコチラからどうぞ
 → 第一章 レストランのシェフになる
 → 第二章 プロの世界へ

17.独立に向けて

いつも店にいるシェフ

僕がシェフになってモナリザ恵比寿本店のスタッフが一番驚いていたことの一つが、僕がいつも店にいることでした。モナリザくらいの規模のフレンチレストランの場合、シェフの仕事はよくオーケストラの指揮者に例えられます。プレーヤーとして細々と手を動かすことよりも、厨房全体のコントロールや料理の最終仕上げが中心になるからです。その上、新しいメニューの構成や料理も考えなくてはなりません。自然と仕込みや片付けはスタッフ任せになり、シェフは店に一番遅く来て、一番早く帰るようになります。
でも、僕はほぼ毎日、朝は一番早く店に来て、夜は片付けや掃除をして最後に帰りました。メニューを考えるのも、家やカフェなどではなく店でやるようにしました。

シェフがいつも店にいる。そのことを僕はとても重く考えています。お客様の安心感や満足感のためという面ももちろんありますが、それと同じくらいスタッフとの繋がりという面でも大事なのです。一緒に仕込みや片付けをする中で自然とコミュニケーションが生まれます。営業中は出てこない一面が見えることもありますし、逆にスタッフが僕の意外な一面を垣間見ることもあるでしょう。また、スタッフにとって、確認や質問をしたい時にいつでもシェフがいる、というのはストレスも減るし、シェフへの信頼感にも繋がると思うのです。
おかげさまで恵比寿本店は、料理だけでなくスタッフについてもお客様から「良くなった」と言っていただけました。当時のスタッフとは今も交流があって、相談を受けることもありますよ。

フィフティ・フィフティ

モナリザは、恵比寿本店も丸の内店も季節ごとにメニューを変えます。恵比寿本店では、4つのコースの内1つを河野シェフが考え、残りの3つを僕が考えていました。もともと僕は一皿に細かいことをたくさん盛り込みたいタイプなので、河野シェフから「盛り過ぎ」とダメ出しされるのもしょっちゅうでした。ただ以前は「自分はこんなことも出来る!」を表現したいという気持ちが先行していましたが、この頃には「料理としてどうか?」を考えるようになっていました。さらに、河野シェフからOKを引き出せるプレゼンテーションも工夫していきました。
実は、恵比寿本店に移った時点で、気持ちの半分くらいは「独立」に向かっていたんです。でも新しい日々が始まれば、知恵を絞り、工夫を重ねることが楽しい。モナリザで学べることがまだまだあることに気づき、夢中になる。その一方で、河野シェフのOKを得られず出せなかった料理も、「独立したら作りたい!」とストックする。心の中ではモナリザと独立が共存している毎日でした。

次に自分を進ませるための独立宣言

そうして2013年、2014年が過ぎ、2015年1月の仕事始めの日、モナリザを辞めて独立したいと河野シェフに話しました。何かきっかけがあった訳ではありません。正月休みの間にふと「もう自分のことをやろう」と思ったのです。しかしモナリザに愛着はある。河野シェフのことも大好きだし、スタッフも皆、一緒に仕事をしていて楽しい。だからこそ辞めると決めて「宣言」をしないと次に行けない、そう思いました。
河野シェフからは「あと1年は残って欲しい」と言われました。夏くらいまでと考えていたので、正直、1年は長いと思いました。でも、シェフの言う「1年」というのも、モナリザのことが分かり過ぎている僕にはよく分かる。そして僕が抜けた後の体制作りの一年が始まりました。

100%モナリザに捧げる一年間

「辞める」と言ったものの、独立後についてはノープラン。そこでシェフをやりながら物件探しを始めましたが、現実は甘くなかった。別のことを考えていることで仕事に支障が出てしまったため物件探しはスッパリ諦め、最後の1年は100%をお世話になったモナリザのために使おうと覚悟を決めました。
先ずは自分の仕事を整理して、5人のスタッフに引き継ぎました。恵比寿本店の後任シェフとスーシェフ、支配人、そして丸の内店のシェフと支配人です。料理のことをはじめ、お客様へのご挨拶で押さえておくべきポイントやソワニエ対応の情報共有、幹部ミーティングでの案の出し方や河野シェフへの通し方のノウハウなどなど、僕が大事と思っていたことを全て伝えました。
さらに丸の内店のコースメニューの引継ぎも。実は恵比寿本店のシェフになってからも、丸の内店のコースメニューを作っていたんです。丸の内店はシステムがしっかりしているため、味のわかるスタッフが3人くらいいれば僕が常駐していなくても大丈夫。僕は2週間おきに丸の内店と恵比寿本店を行ったり来たりしてチェックしてました。さすがに最後の2シーズンは作りませんでしたが(笑)。
12月30日までフル回転で恵比寿本店シェフと引継ぎを行い、2015年を終えました。

明けた2016年1月1日、モノリスの石井シェフからの電話で、今のクレリエールの前のオーナーが後任を探しているという話を聞きました。その翌日の2016年1月2日には契約書に捺印。僕のレストランは、第一歩を踏み出しました。

*******************
このnoteを初めて読んでくださった方へ
*******************
はじめに初めまして。ラ クレリエールの柴田です。
白金でフレンチレストランのオーナーシェフをしています。
2020年のコロナ自粛の間、レストランのあり方や自分が今後進むべき道など色々と考えました。その中で「ミシュランで三つ星を獲得すること」を一つの指標として強く意識するようになりました。
そして、どのようにすれば三つ星を獲得できるのか、三つ星にふさわしいと皆様から認めていただけるのか、日々、考えたことや行動したことを記録に残そうと考えました。
ご興味を持っていただけたら幸いです。

お店の公式Facebook、youtubeチャンネルもご覧ください。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?