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1996年に小学生のガキがプリント倶楽部をバグらせて遊ぶ話


90年代それは狂乱の時代


1986年1月生まれで、90年代を幼稚園児、小学生、中学生として過ごした。高校に入学したのが2001年だから、本格的な青春時代はゼロ年代ということになる。
なので「90'sテイスト」とか「90年代の熱狂」みたいな記事を見ると「運悪くギリギリで体験し損ねた」みたいな気持ちになるし、本音を言えば高校生や大学生のときに90年代を味わいたかった。
とはいえ生まれるタイミングは自分では選べない。そして小学生には小学生なりの90年代の記憶があるのだ。
渋谷と言ってもセンター街でも109でも無い。ドラゴンボールの映画を見に行く東映の映画館。この話はそんな渋谷の一角から始まる。

渋谷1996

1996年の春。小学五年生の頃だ。母に連れられて渋谷にドラゴンボールの映画を見に行った。現存する宮益坂の東映の映画館だ。
シネコンなんてものが無い時代で、同じビルのマクドナルドでバーガーを買ってから向かうのが定番だった。劇場にマックを持ち込むなんて今やったら顰蹙ものだけど、当時は誰も気にしなかった。なんというか、そういう時代だったのだ。

ドラゴンボールとご近所物語、二本立ての映画を見た帰り、姉がこんなことを言い出した。
「プリクラ撮ろうよ!」
なんのことか分からずに同じビルにあったゲームセンターに行って、母と姉と3人で写真を撮ると、それがシールになって出てくるではないか!
それがプリント倶楽部との出会いであった。

いま見るとレトロというか、昔のスキーウェアみたいなデザインが一周回ってオシャレに見える

全国的なブームの時期だったのだろう、すぐに地元のゲームセンターにもプリント倶楽部が設置された。それまでゲームセンターといえばヤンキーの溜まり場であって、子供が入れる雰囲気では無かったのだ。しかしプリント倶楽部の登場以降、女子供も堂々と入れる空間へと変わっていった。
(女子供。。。そういう時代だったのだ。。。)

そんなとき、姉がプリクラ雑誌的な本を買って来た。一般読者のプリクラが大量に掲載されるという謎の本だったのだが、素人投稿というかストリートスナップというか、そんなノリだったのであろう。その本に気になる見出しがあった。

「発見!奇跡のレアプリ!」

なにやら、何かしらのエラーで通常とは異なる印刷がされる場合があるらしく、それをレアプリと定義して掲載していたのだ。
更に、具体的な条件もいくつか書かれており、その中の一つにこんなものがあった。
「全て赤色だけでプリントされた奇跡の一枚!この作成方法を読者だけに公開だ!」
曰く、通常通り300円入れて写真を撮影する、その後印刷工程に入ったら然るべきタイミングで筐体のコンセントを抜く(!)。その後再度コンセントを挿す。そうすると、あーら不思議、あなたの顔が赤色だけで印刷されたレアプリが完成!

ゲームセンターの筐体のコンセントを勝手に抜く・・・。ある種の破壊的衝動も含んだその行為は、90年代の小学生にはとても魅力的に映った。
現代の感覚で言うと「雑誌で反社会的な行いを推奨するなんてけしからん!」なのかもしれない。繰り返すようだけど、そういう時代だったのだ。

おれは翌日学校でみんなをアジった。
「プリクラだよプリクラ、プリント倶楽部!しかも普通のプリクラじゃねぇよ、レアプリだよレアプリ!コンセントを抜くんだよ!」
早速友人と三人で地元のゲーセンに行き、100円ずつ払い写真を撮影した。そして筐体の後ろに忍び込んで、雑誌の指示通りの秒数を測りコンセントを抜いた。
その瞬間ブツンと電源が切れ、画面が真っ黒になった。数十秒何も反応が無く「これヤバいやつじゃね?弁償じゃね?」みたいになった直後、取り出し口からカタンと音がなった。
おれたちの顔が赤一色で印刷されたシールが出力されたのだ!!

翌日学校にそれを持参し
「やべーよ!レアプリだよ!いや、むしろバグプリだよ!」
それだけで大盛り上がりするには十分なほど、おれたちはコロコロコミックだったのである。

後日、再度バグプリを撮りに行った。
そして印刷工程に入ってコンセントを抜くまでのカウントダウンを開始すると友人が言った。
「この前よりも早めに抜いてみない・・・?」
答えはもちろんイエス。早さは正義。ブチっ。前回同様に電源が落ち暗転する画面。しばし待つと出力されるシール。しかも、今回は黄色一色で印刷されているのだ!
「うぉー!バグプリ黄色バージョンだ!バグプリイエローだ!バグプリレッドじゃねぇよ、イエローだ!」などと大興奮のガキども。

いまになって考えれば理屈は分かる。黄・紅・藍・墨の四色のインキを順番に印刷して様々な色や陰影を表現するので、工程の途中で電源を落とし強制終了させれば、黄だけ、黄と紅だけで印刷されたシールが出力される。しかしそんな仕組みも知らないガキどもは、オリジナルの遊び方を発見したと錯覚し興奮していたのだ。

そしてまた別の日。
「この前よりももっと早く抜いたら、今度はバグプリブルーが出るんじゃね?」そんな打合せをした我々は、印刷工程が始まってすぐにコンセントをぶち抜いた。そしてしばし待つと、真っ白なシールが出て来たのだ!
何も印刷されていない、真っ白なシール!単なる原紙!300円払って何も印刷されていないシールを手にする大いなる無駄!
しかしそこはさすがのコロコロコミックたち。
「やべぇぇええええ!バグプリホワイト来たぁああーーー!!!」
大爆発。行き着くところまで行き着いた。無の境地。

しかし問題はここからだった。再度コンセントを挿しても、プリント俱楽部が再起動しないのである。それまでは、すぐに再起動が入って通常運転になっていたのだが、今回は違う。画面が暗いままなのだ。
異変を察知した店員がやってきた。
「あれー?なんかエラー出てるね。きみたちなんかやった?」
まさか「バグプリ撮るためにコンセント抜いてたら壊れました」なんて言えない。冷や汗をかきながら適当なことを言っていたら「お金を入れたけどシールが出て来ない」という所に着地した。
店員は鍵を筐体に挿してガッチャガッチャ内部をイジって不具合の原因を探っていた。そして問題が解決すると扉を閉じて鍵を締めた。
そして何故か、トイレットペーパー状にロールされたシールの原紙を丸ごと、おれたちにくれたのだ。
「エラー出てそのロール使えないからあげるよ。いま新しいロール入れたから、もう普通に使えると思うよ。一回撮れるようにしといたから、やってみて」

・・・。

そしておれたちは真っ白なロールを持ったまんま写真を撮影し、本来の四色で正しく印刷されたシールが出力された。
そこに写る表情は、先ほどまでの興奮が嘘のように冴えない作り笑いをした三人だった。

帰り道、友人がボソっと言った。
「この白いやつ、誰か要る・・・?」

魔法が解けた瞬間だった。
「やっちゃいけないことをやって手にする何か」それがおれたちにとって重要だったわけで
店員に「はいどうぞ」と渡された大量の白い原紙は、レアプリでもバグプリでもなんでも無く、単なる業務用の何かに変わり果ててしまったのだ。

それ以来おれたちはプリクラを撮らなくなったし、いまはそのゲーセンの跡地にでっかいタワーマンションが立っている。

もしかしたら、あの店員は全て把握していて、その上で注意せずに原紙をくれたのかもしれない。
もしあの日、彼にきちんと怒られていたらどうなっていたのだろう。「お前らー!勝手にプリクラのコンセントを抜くなぁー!」なんて具合に。
きっとコロコロコミックなおれたちは一瞬だけ反省したフリをして、そのくせ翌日には教室で「オマエラー!勝手ニコンセント抜クナー!カンチョー!」とか言ってゲラゲラしていただろう。
そしておれたちの破壊衝動は加速して、一線を越えることになっていたかもしれない。

おれたちの小さな革命は終わった。
家に帰り姉にそれまでの出来事を話すと「ていうか普通にカラーで印刷されたほうが良くない?」と言われた。正論だった。

やっちゃいけないことをやっちゃうギリギリのライン

あのときおれたちは「楽しさのギリギリのライン」みたいなものを学んだのだと思う。
「やっちゃいけないことだけど、誰にも迷惑をかけず、ギリギリのラインで遊ぶ」
このギリギリの見極めが非常に難しいけど、ゲーセンのスタッフに迷惑をかけず、単色印刷を楽しむのはギリギリオーケーだったのではないかと思う。
ミリ単位でラインを超えるとそれはただの迷惑行為になるし、なんと、自分自身もあまり面白くなくなるのだ。
モッシュ・ダイブにしても、レイヴにしてもスケートカルチャーにしても、結局全てはココに行き着くとおれは考えている。
とはいえこの「ギリギリのライン」が個人ごとに違うから人間はおでんをツンツンしたり醤油差しを舐めたりするのであろう。もしくは、彼らは小学生時代に真っ白なプリクラの原紙ロールを手にすることが無かった、もしくはそれに類する体験が欠落しているかもしれない。そしてそれは、とても悲しいことだとおれは思う。

未だにプリクラを見かける度にこの頃の熱狂を思い出すし、それは紛れもなく90年代的な遊び方で、おれなりの90年代の記憶なのだ。

そしてこれに懲りたおれたちは、バグとは無縁な生活を送る、そんなわけもなく初代ポケモンをバグらせまくって152匹目の「けつばん」を生成したりするのだが、それはまた別の話。

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