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2024年5月9日の政治・時事ニュース どうやらみんな自分の意見を持つのが怖いらしい


最近ある発見をしました。どうも日本人は政治問題について自分の意見を持ったり言ったりするのが怖いみたいなんですよね。いつからこうなるんだろうかと考えてみたもののそれがよくわかりません。

実はこれがテレビなんかにも及んでいます。今日扱ったのは水俣病の被害者団体への対応が酷すぎると言うニュースだったのですが、地元紙が扱うだけで東京の新聞やテレビはスルーしていました。

なぜそうなるかを考えてみたのですが、おそらくは「野党が問題として取り上げる」か「官公庁(この場合は環境省)が動く」まで報道してはいけないと思っているようなんです。自分達で問題提起ができない。怖いと思っている。ですから今回は環境省が謝罪に応じるとなったところでようやく報道が出てきました。

ワイドショーは特に問題提起ができなくなっています。最近「宝島なんとかさん」の殺人事件が多く取り上げられています。他に取り上げることはいろいろあるでしょう?とは思うのですが、殺人事件はいけないことに決まっているわけで勧善懲悪の図式が作りやすい課題なんだろうなあと思います。

例えば国際ニュースだとロシアのウクライナ侵攻は大々的に取り上げられました。あれは専制主義のロシアが悪いと言う図式が作りやすかったからです。ですが、イスラエルとガザの件はあまり取り上げられません。イスラエルとアメリカの方が抑圧者ですから勧善懲悪の図式が作りにくいからだと思います。

もうテレビに依存してニュースを理解するのは無理なんだろうなあと思います。テレビは出来上がったものを右から左に流すメディアであって問題を抽出する機能はありません。

こうした状況は実はコメント欄でも多くみられます。やたらと「報道は見ていないんですが」とか「私は専門家ではありませんが」とか「特定の党派に肩入れするわけではないですが」などと予防線を張ってくる人がいます。芸能人の話題やテック系の話題だとかなり気楽にコメントを入れてくる人が多いので「政治・時事について有権者は個人の意見を気軽に語るべきではない」という人が多いんだろうなあと思います。不思議な現象です。

ただ、こう言う人たちって他人に対しても「それは単なるお前の意見だろ」みたいなこと言いたがりますよね。

今回の伊藤大臣の件でもう一つ気になったのが涙の軽さでした。水俣病の被害者たちの中には国に認定されず痛い痛いと言いながら死んでいった人たちがいます。この心情を3分にまとめろと環境省の役人から申し渡されるのですが、言われた方はなんとか頑張って涙を堪えて話をまとめようとするわけですよね。

今回伊藤大臣は記者たちに囲まれて「水俣病は環境省の原点である」と涙ながらに語ったのですが「次の選挙のためならないてみせるくらい簡単なことなんだなあ」と思いました。

ただこの「国民に寄り添っている演技」をやるのは伊藤さんだけではありません。岸田総理はこの表情ですね。Yahoo!ニュースの記事なので掲載期限が切れると世間からは忘れ去られてしまうと思うのですが、おそらくご本人としてはこれが精一杯の演技だったんだろうと思います。

なんかうんざりしますが、この内閣っていつまで続くんですかね。

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