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旅と「高付加価値」

近年、「高付加価値」という言葉が観光業界のホットキーワードである。地域への消費単価を増加させるためのコンテンツ造成やツアー企画など、国をあげて施策を行なっている。そのおかげで、全国各地で高付加価値な旅行商品が増えてきた。

しかし、「高付加価値」という言葉だけが一人歩きしてややミスリードになっている印象も受ける。"高"という字から「値段が高い=高付加価値」と連想してしまうが、値段が高いければ高付加価値で旅行者が来るということではない。実際に、故郷・栃木県では高付加価値商品として造成した商品が、1年間売れなかったという現実もある。(マーケティングがうまくいかなかったという結論づけもあるが…。)

では、そもそも高付加価値とはなんなのだろうか。

「あなたのために作りました」

高付加価値とは、いかに「あなたのために作りました!」と言えるようなことであると思う。人は千差万別で誰も一緒の人はいない。バックグランドや趣味趣向が違うことが当たり前であるが、その人その人が、これは私のためにあるのか!という体験を作っていくことが高付加価値ではないだろうか。

例えば、僕は株式会社・刀の森岡さんを尊敬している。森岡さんとプライベートで食事をする機会をもらえるとする。これは僕にとってはとてもとても高付加価値な体験である。しかし、森岡さんを知らない人からするとどうだろうか?高付加価値な体験とは言い難いだろう。

前述した栃木県の旅行商品。確かにヘリコプターから奥日光の国立公園にある素晴らしい自然の美を見ることは貴重な体験だが、人々が求めているのは「ヘリの乗って優雅に旅する」という体験ではない。例えば、奥日光の自然の歴史的な話が高付加価値になるかもしれないし、世界的に有名な写真家とのフォトウォークが高付加価値に感じるかもしれない。

つまり、観光における高付加価値とは、地域の観光資源を使い、千差万別の人々の趣味趣向に合わせた「あなただけの体験」を作っていくことであると考えている。

旅は高付加価値の宝庫である

そして、旅という行為は高付加価値に出会いやすい特徴を持っていると感じている。自分が身を置いている環境から一歩外に出て、何かを感じに旅に出る。もちろん、下調べもするだろうが実際に旅先に行くと、思わぬ出会いや感動を感じることが多いのではないだろうか。

これをセレンレピティ(serendipity)とも言うが、旅先でのヒト・モノ・コトとの出会いは、偶然のようであたかも必然である。

今、僕は出雲に来ているが、まずこの場にいなかったら絶対に出会うことがない人たちと出会うことができた。あ、この人との出会い絶対自分の人生に影響を与えてくれるな…。そんなこともしばしば感じる。出雲は特に縁結びの地だから尚更かもしれない。

出雲は本当に「ご縁」の土地。大国主様ありがとう。

だから旅がやめられない

学生時代からライフステージも変わり、旅の仕方も変化している。しかし、その土地での出会いに対する感動はいつまでも変わらない。そして、旅を繰り返していると感性は自ずと豊かになり、嗅覚も冴える。

これからも自ら高付加価値な体験を作りに旅に出る。そして、誰かの高付加価値な体験を作り、あなたのためだけの旅を作り続けていきたい。

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