見出し画像

17年間のサッカー人生で得た人間的成長は「〇〇〇力」です。

こんにちは、ひがしです!


実は部員ブログを開設すると聞いてからすっと書きたいテーマがありました。

と言ってアナザーストーリーの部分で書いているのですが笑


それは、部活動における、もっと言うと、

サッカーを通して得た人間的成長とは何なのかということ。

サッカーを通して身体的・技術的な面はもちろん成長しましたが、

人としても大きく成長させてもらったなと感じています。


僕もずっと人間的成長について考えてきました。

学生主体である大学サッカー部では、毎年置かれるテーマの1つでもあるからです。

そして自分の中で、現時点での答えが出たので書いていきたいと思います。


*あくまでも、僕自身が感じる「サッカーを通して得た人間的成長」であるので、これが全てであるとは思ってません

*むしろ、人ぞれぞれ異なる人間的成長があると思うので、あなたの思うところも教えてくれたら嬉しいです!


1.「気付く力」


僕がサッカーを通して得た人間的成長は

「気付く力」

です。


これが結論です。


僕は「気付きの瞬間」=「成長の瞬間」だと思っています。

なぜなら、人間は自分のわかっていることしか行動に移せないからです。

自分で認知している選択肢の中からでしか選択をすることができません。


つまり、気付くということは自分の中の引き出しが1段増えるということになります。


例えば、サッカーで言うと…

シュートが上手くなりたい時、シュート練習をします。

当たり前ですが、ただただシュートをうっているだけじゃ成長しません。

そこには気づきが生まれないからです。

最初から上手くは行かないので何本も何本も試行錯誤してシュートをうつうちに気づきが生まれます。

それは、

助走の角度・スピード、足のどの部分に当てるとうまくいくのか・その角度は?、GKをどのタイミングでみるのか、軸足の置き方などなど

簡単に書いてもこれだけの気付きができます。

ここまで言語化できてないにしても、上手く行ったときの感覚、

「あ、こうするとうまくいくな」という感覚も立派な気づきです。


サッカーの具体例を挙げてみました。

これは「今までできなかったことができるようになる時に生まれる気付き」です。


しかし、人間的成長の面でいうと、新たにできるようになるということは実は少ないです。

それはパーソナルな部分は本当に変えるのが難しいことであるからです。

いくら、自分が変わろう!と思っても意志が続かなかったり、

気づいたらいつもと同じなんてことも多いのではないでしょうか。

(ここでも1つの気づきが生まれていますね。自分はそう簡単に変えられないというものです)


とすると、人間的な部分における気付きとして言えるものは、

「だから大事なのかとあとで分かる気付き」があります。

気づきの瞬間は理由を見つけた瞬間とも結び付けられるかもしません。

そして、この瞬間はたいてい後からやってきます。


・何いってんだこいつ

・この人の話よくわかんないな

・なんで自分がこれをしなきゃいけないの?

・これは自分には関係ない話だ

・あの人とはうまくいかない


生きていればこんなタイミングいくらでもあります。

ましてやスポーツの勝負の世界なら、なおさら。

自分がこの感情を抱く時は間違いなく成長のチャンスです。

僕も高校の時に監督が話していたことには、多々ありました。

こんなんただの理不尽じゃんみたいな。笑


点と点がつながる瞬間が来ます。

だからはねのけるのではなくて、自分の胸にしまうことで

いつか、


だから大事なのか、

あー、あの人はこういう意図で言っていたのか、自分にはまだ見えていない部分だったな

確かにそんな考え方もあるな

なるほどね、この状況だとあれが活きるな


と、「あーー!そういうことか!」という気付きが得られます。


2.気付きを得るために必要なこと

たくさんのトライアンドエラー、

それに伴うたくさんの失敗、

これらすべてのもとになるたくさんのアクション


が必要になります。


あなたが思う失敗は失敗ではありません

これでは上手くいかないんだという「データ集め」です。

この気付きの瞬間に前に進みます。


部活で言うと、先輩がマーカーを準備しているのをみて、いち早く動ける人って必ずいますよね。

はじめは動けない側でもいいんです。

「あ、やべ、ここ自分が動かなきゃだった」と気づけた瞬間にその失敗は前に進み始めます。

サッカーでも、ここが危険そうだと危機察知応力に長けた人は気づけているんです。

ここはきついけど自分が頑張って味方をサポートするところだと走れるかどうか。


データが自分の貴重な経験となり、情報として蓄積されていきます。


情報は自分の世界を広げてくれるものです。

本を読むのも、人と会って話すのも、視野が広がり何かしらの気付きが生まれます。


そのうち気付きます、気付きを得るための視点で何事にも向きあっている自分に。

これって、自分の主観がすべて!のときより、1つ上の視点から自分を見れていることに気付くと思います。


きっと僕が気づけていない気付く力もたっくさんあります。

そう考えるとなんだかワクワクしますね。


3.さいごに

鬱陶しいぐらいに気付く気付くと言って来ましたがここまで読んでいただきありがとうございます。笑

我ながらまとまりがなく、とても抽象的な稚拙な文章となってしまいすみません。


今回、あえて抽象的に話し続けたのは理由があって、

自分自身にあてはめながら読んでほしかったからです。

もしその思いが届いていれば幸いです。


僕がサッカーを通してしてきた、

たくさんのパスミス、判断ミス、コミュニケーションのミス、反発、成功は僕に気付く力の大切さを教えてくれました。


まだまだ気づけてないことも多いです。

特に、自分を客観視して自分で自分に気付くことほど難しいことはないなと思います。

まだまだ漸進するのみです。


「気付く力」

これこそ、サッカーを通して僕を成長させてくれたものであり、

これから先も自分を成長させ続けてくれる確固たる力であると信じています。


令和元年 10月5日 東山 裕輝

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?