秋山板金工場 2017/3/8
東神楽町には、大小さまざまな法人が存在します。それらの会社が多く集まるのが「東神楽工業団地」です。その中で長きに渡って、連絡協議会の会長として全体を取りまとめていらっしゃる、株式会社秋山板金工場の秋山雅章(まさあき)社長にお話しを伺ってみました!
―――今日はリラックスした感じで結構ですので、どうぞ宜しくお願いします!さて、いつもお忙しそうな秋山社長ですが、お休みの日はどうやって過ごしていらっしゃいますか?
(秋山社長 以下秋)魚釣りです!ここから自転車で5分の忠別川!そこが僕の遊び場なんですよ。ニジマス、アメマス、山女魚もいるし。サクラマスも戻ってきたし、なんでも釣れます!
―――綺麗な川だとは思っていましたが、そこまでいろいろ釣れるとは知りませんでしたよ。
(秋)上流にダムができてから大雨が降っても濁りづらい川になったので、釣りには良い川ですよ。72センチのニジマスが過去の最高記録です。鮭と同じレベルの大きさでしたからね。主にフライで釣っています。少しでも時間が空いたらフッと一人で行っちゃいますね。
―――それだけ大きいと、食べても美味しいでしょうね♪
(秋)いや、全部キャッチ&リリースですよ!それでなければ資源が無くなってしまうじゃないですか。翌年以降も楽しむために、ね。
―――あら!それはもったいない感じが。でも、川をずっと楽しむ為ならわかります。
(秋)この川は私の子供時代からずっと遊び場で、昔は川を堰き止めてプールにして遊んでいました。水はキレイだし、魚はウジャウジャいるし。手づかみで山女魚(やまめ)とか取っていましたよ。大雪山峰の恵みで地下水も豊富だし、水の美しさは町の自慢ですから。
―――忠別川の奥とか、熊も居そうで怖いですね。。。
(秋)熊なんか何回も会ったよ(笑)。僕の母親の実家が志比内(※)なんだけど、たまに居たんですよ。田んぼの用水路にも鮭が上った時代です。この付近や森林公園のあたりは有名な釣りのフィールドですよ。昨年も、東京から二泊三日の予定で知り合いが空港から川に直行して花神楽に泊まり、三日間釣りだけで楽しんで帰りましたよ。
※「志比内」・・・東神楽町において最も旭川市から遠くに位置する古き良き農村地帯。春の菜の花畑はとても美しい。東川町と美瑛町を結ぶ道路がある為、東神楽町を知らない人でも知らぬ間に通っている可能性大。光回線が未開通の為、インフラ整備が望まれる。
イトウとかも泳いでいるしね。そうそう!イトウはうちでも飼っていたんですよ。
―――イトウを自宅で飼っておられたんですか??それは凄いです!
(秋)水産試験場から50個ほど卵をもらってきて、そのうち46個を孵化させました。部屋の半分ほどの大きさの水槽に飼っていて、当時はテレビ局や新聞社が珍しいと取材に来ていました。僕がまだ20代の頃です。
その頃はカヌーも作ったし、いろいろやっていましたよ。高校の頃からヨットの底についている舵の形が好きですっかりハマってしまって、木で作ったりして。
―――カヌーを手作りって、すごいですね!
(秋)全部で16艇ほど作ったら友達に「くれ~くれ~!」と言われて最初はあげていたのですが、そのうち販売するようになりまして。昔あった「大雪工芸」という会社のおやじさんに頼んで、道産アカマツ使って一緒に作ったりしてね。今のようにパソコンの図面とかないので全て手書きで設計図書いて、作ったカヌーで友達とあっちこっち行っては釣りして。
そうやって二十代を過ごしていました。ブツけて何艇もバラバラにしちゃって「海の藻屑」じゃなくて「川の藻屑」だね(笑)。今はもう年に一回乗るかどうかですけどね。
―――そういう趣味って、ほんとイイですよね!私も以前は組み立て式のカヌー担いで川の上流まで行ってキャンプで一泊して、翌日ビール飲みながら下ってくるなんてやっていましたけど、自分で作って遊んでって、本当に良い趣味だと思います。
(秋)昔はそんな事位しか遊ぶものが無かったのですよ!今でも2、3艇ありますから、もし欲しいなら1艇上げるよ(笑)。
―――それはありがとうございます!二人乗りならサイズは結構なものですか?
(秋)全長5.5メートル。作るのに三か月かかるよ。含水量を20%あたりにしておいてFRPで固めちゃうと、形はどうにでもなるからね。山で木を切ってきて、木こりから始めるんです。家も自分で建てちゃったくらいだから(笑)
―――なんでもこだわっちゃうのですね(笑)
(秋)志比内にまだ当時の家の残骸が残っていますよ。それ以前は公営住宅に住んでいましたが、親父に「自分で建てれ!」と300万円ボーンと渡されて。基礎も自分達でブロック組んでね。でも、道道の拡幅に引っかかってしまったから、たったの3年で壊さなきゃならなくなってさ。勿体なかったよね・・・。
―――それはモッタイナイ!それにしても、志比内っていいところですよね。
(秋)ホントいいところ。特に「南の沢」とか良いですよ!あそこにはうちの山があるのですけど、春先に間引きして切った木も家の材料にして建てたんですよ。水も無いし発電機も無かったので、それが大変だったけどね。
―――基本的に秋山さんは「ものづくり」がお好きなんですね!
(秋)うちのじいちゃんも先代も、みんな「ものづくり」の人だから。農家の人が使う道具も作っていましたし。石炭ストーブのロストルの石炭を振って落とす仕組みを考えたのはうちのじいさんなの。
元々はブリキ屋で、昭和二年に秋山板金工場として会社になって今年で90年だから。僕なんかも小さい時はブリキの手裏剣作って遊んでたね。魚を突くヤスとかね。五寸釘を木の棒に打ち込んで、頭の丸い部分を叩いて尖らせて、それ持って忠別川でよく魚取ったね。
―――私も奈良の田舎町育ちなので、子供時代は田んぼや池で遊びまくっていましたが、流石にそこまではやれていませんね(笑)
(秋)昔はホントに田舎でしたから。ほら、最近テレビで「ライバルは1964年」とか言っているじゃないですか。物はなかったけど笑顔は溢れていた時代ですよね。あの頃は一番楽しかったのですから。
昔、自宅の隣の隣が町長さんの家でね、いざ選挙だ!となったらうちの自宅が選挙事務所になるんだけど、何か月も人がしょっちゅう出入りしてさ、タバコの煙はモクモクでね、窓やドアも開けっ放しで。
当時、我が家でインコを飼っていたんだけど、開けっ放しの窓から入ってきた猫に食べられちゃってさ・・・。もう悲しくてね。
妹と二人の中では「食べられたのは、町長のせいだ!」ということになって、憎いものだから役場に通う道に落とし穴を作ってね、もう何回落としたか!(笑)
―――ワハハハハ!町長も災難ですね。秋山兄妹の仕業だってわかっていたんですか?
(秋)わかっていますよ。ヒドい時には穴の中に腐ったスイカとかメロン入れたりしてさ。本当に恨んでいたからね。友達もみんな手伝ってくれてさ、「よし!今回はデカい穴で一発落としてやるべ」とか言ってね。小学校5、6年生の頃だよ。
―――面白い話をありがとうございます。ところで、「板金」というお仕事って私の場合、車をぶつけた時にお世話になる程度にしか正直言って接点がないのですけども、お仕事の内容ってどのようなものなのでしょうか?
(秋)うちは「建築板金業」なんですよ。住宅や公共設備の屋根が主な仕事です。屋根に関する全てをカバーしているから、屋根のプロ集団ですよ!特許商品をいくつも持っているので、商品の卸し業務もしているからね。会社の名前が秋山板金「工場」なので、ものづくりが基本なのですよ。「世の中にないものを形にして、それに値段をつけて、必要な方々に販売しよう!」というのがテーマです。それで周りの人達が潤えばいいなと。
―――秋山社長ご自身が、人とやり取りしながら仕事をするのがお好きなのでしょう?
(秋)なにかが原因で悩んでいるんだよね~という人がいたら、一緒に考えて必ず形になるまでやらないと気が済まないのよ。例えば、屋根の雪が落ちてきて怪我をした、じゃあ屋根に雪がたまらないようにしなきゃダメだよね、屋根の上で雪かきして落ちて怪我することもあるわけだし。自然に雪がとける方法はないだろうか。。。
そうやって、どんどん解決していく方法を追い詰めていってようやく「ものづくり」は進んでいくんです。時間はかかるけどね。最初からいいものなんて出来ないから。
―――深いですね。お仕事で難しい点、やりがいのある点をお聞かせいただけますか。
(秋)難しいのは神社仏閣のお仕事だね。神社の場合、一番目を引くのはどこか?って聞くと、皆さん「屋根だ」っておっしゃるんですよ。やっぱり屋根が一番目立つんです。旭川に「北海道護國神社」があるのですが、平成20年から5年掛けて本殿の葺き替えを全部させてもらっていて、今は社務所をやらせてもらっています。そういう難しいお仕事をやらせてもらえるところは、周りではうちだけしか残っていないんです。
同業者がどんどん減少しているからね。建築板金は旭川周辺で140ほど有ったのが、今では38しか無いからね。更にそこから4つ減ると聞いてますから。夏は暑い、冬は寒い。高い場所で危険だし、覚えることも多いし簡単な仕事じゃないよ。
―――でも、逆に御社にとってみれば、ライバルが減るということは、商売がし易くなるのでは?
(秋)いや、量が手に負えなくなっちゃうのですよ。自分達が可能な商売のパイとして最初からどれくらいの件数をこなすかを決めていますから。人をどんどん増やして、なんて考えていませんし。ゼネコンさん相手がどうしてもメインになりますから、隣町にまで行って業務するのは厳しくなってしまいます。
―――そういう意味では一緒に仕事をしておられる息子さんの林士さんへの期待も大きいですね。
(秋)建築二級の免許がこの前にやっと取れたのですよ!二回目でやっとね。でも資格だけではダメで、現場で肌から実際に経験を積み重ねていかないと仕事は取れませんから。僕のように「屋根のプロです!」って言いきれるようになるには、まだまだですからね。今は北海道からの仕事も頂けていますし。
現場で張り切る息子「林士」さん
―――さすがですね~♪。ところで秋山さんは社長になられたのは何歳の時でしょうか?
(秋)僕は32歳で社長を任されました。父親が60の頃でしたね。バブルが弾けて大変な頃だったので、営業活動とか含めて全部自分でやることにしました。新しい考えも当時からもっていましたし、2000年頃には借金も全部返して、工業団地へと広げてイチから頑張りましたね。
職人の数も倍にして、とにかく仕事を外からどんどん取ってくるぞ!という形にして、ようやく売上を三倍から四倍に出来ましたよ。専務と一緒にいろいろ知恵を絞って、ゼネコンさんとの信頼関係もきちんと築けた結果が今に至る、という感じです。
(特許を取得されている商品の卸し販売も実施されている)
―――ご自分が経営者になる以前と、なった後で心境の変化はありましたか?
(秋)いや、きっと変わっていないです。任された時はもうガムシャラでしたからね。特に天狗にもなりませんでしたし。
人から「社長ってなに?」と聞かれたら「用務員みたいなものです」って答えます。社員の為の用務員ね。なんでもやらなきゃ!ってこと。掃除だってするし、トイレだって洗うし。それらも含めて僕の仕事なのです。「社員のみんなが仕事をやり易い環境を作ってあげる」というのが社長の大切な仕事です。
(秋)この工業団地は、他と較べても働く環境がとても良いのですよ。グリーンベルトに囲まれていて、ゆったりした道路があって。他の工業団地と比べると、看板もドーンとしているし。規模も20社程度で大き過ぎず小さ過ぎず、ちょうどよいですよ。「この場所で仕事がしたい!」というのは、ずっと僕の夢でしたから。
―――では逆に、もっとここを充実させたいという点はいかがでしょう?
(秋)工業団地内では管理人を除いて人が住んではいけないという決まり事があるので、以前はセコムも無くて時々泥棒が入るほど治安が悪かったのですよ。うちも何回か荒らされたりしてね。でも、最近は治安も良くなってきたし、工業団地の一角に交番ができると決まったのでとても有りがたいですね。15年ほど会長をしていますが、さすがにそろそろ会長を代わってもらいたいと思っているのですよ。
―――最後にお聞きしたいですが、東神楽町が今後どのような町になれば嬉しいと思われますか?
(秋)さっき言った「1964年」じゃないけど、せめて向こう三軒両隣くらいはお互いに理解していて、普通にお付き合いができる町であってほしいな、と思います。町内でもエリアによってそのあたりが上手く出来ているところとそうでない場所があると思うのです。お互いに気持ち良く挨拶し合える田舎の良さってものが残っていて、おじいちゃんおばあちゃんから子供たちに至るまでお互いがカバーし合って暮らしていける、いつまでもそんな雰囲気の町であって欲しいな。
盆踊りや花祭りやお神輿など色んな行事を、若い人達もみんな手伝ってくれますし、役場の人達も積極的にお手伝いしてくれる。こうやって根付いた環境や雰囲気を、いつまでも大切にしていきたいですね。
―――その良さをいつまでも残せるよう、私も精一杯お手伝いさせて頂きたいと思います。本日はどうもありがとうございました!
子供時代のイタズラ小僧っぷりもお聞きでき、秋山社長のフランクな雰囲気にすっかり魅了された感じがしました。人間としての魅力は、いくら勉強しても簡単に身につくものではないので、それを沢山の遊びや苦労の中から自然と会得されたのは素直に凄い!と関心致しました。
株式会社 秋山板金工場
〒071-1511 北海道上川郡東神楽町北1条西3丁目250−76
Tel 0166-83-2732
【告知】お会いいただける方、大募集♪
東神楽町内で頑張っておられる会社、及び個人事業主、ユニークな活動をされている方などいらっしゃいましたら、ぜひご連絡くださいませ。
いろんなお話しをお聞かせくださいね~♪♪
(記事:小島茂)
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