見出し画像

伊丹十三の事も時々でいいから思い出してください



伊丹十三」と聞いて、「あ!あの!?」と反応するのは30歳以上の人になるのだろうか。

たぶん、20代までの人は「名前は聞いたことがあるかもしれないけど、よくわからない」というのが正直なところだろう。

彼が活躍したフィールドは多岐に亘る。もっとも有名だと思われる「映画監督」の肩書はもちろん、俳優、エッセイスト、商業デザイナー、TVディレクターなど様々な肩書を持つマルチクリエーターのはしりと言っていいだろう。

64歳で飛び降り自殺を遂げてから早くも20年が経過したが、彼の残り香は今でもいろんな場所に散見される。今日は、自分の中にある「伊丹十三」を少し辿ってみたい。


私が彼を最初に知ったのは、俳優として「コメットさん」のお父さん役を演じていた時の事。大場久美子版ではなく、その前の九重祐三子版にて。その時の印象は、日本人にしては長身でスラッとした、かつての「お父さん像」ではなく、「現代風のパパ像」だなあという印象だった。

その後、中学生になってから読んだ「ヨーロッパ退屈日記」で、すっかり彼のファンになってしまった。寒いロンドンでのシャワーの浴び方など(今でも役立ってます!)、興味深い話が盛り沢山なのだが、中でも印象に残っていたのはこんなジョークだ。

ある紳士が汽車に乗り込むと、向かいに座った身なりの整った紳士の耳にバナナが一本刺さっている。半分皮を剥いた状態のほうが刺さったままの紳士を眺めながら、しばらく考えるが、きっとこれは何かの事情で本人は気が付いていないに違いないと思い、思い切って声をかける。
「ちょっとよろしいですか?」
「はい?なんですか?」
開け放った窓から入ってくる車輪と風の音でうまく伝わらないらしい。
「あの...耳にバナナが刺さっていますよ!」
「なんですか?」
「ミミニバナナガ!ササッテイマスヨ!!」
「すみません、全然聞こえないんです。なんせ耳にバナナを刺しているものですから」

これは私の勝手な要約Verで、本来は紳士がいかに貴族的な身なりか等ディテールが詳細に書かれているが、内容はだいたいこんな感じだった。

それまでに知っていた日本の笑い(ドリフターズや吉本新喜劇など)とは全く異なる海外のジョークに初めて触れて、とても新鮮な感動を受けたのを今でも覚えている。

ちなみにジョーク本と言えば、開高健の「水の上を歩く?酒場でジョーク十番勝負」やアレンスミスの「いたずらの天才」も素晴らしいので、機会があればぜひ読んで頂きたい。

話が逸れたが、彼との接点はこの「ヨーロッパ退屈日記」から始まり、その後に「女たちよ!」「日本世間噂話体系」等を読んで、独特な切り口のシニカルな視線に魅了されたのだった。

私は常々、中学生の頃に読んだ本がその後の人格形成に大きな影響を与えると思っているが、自分の場合はベースにあるのが「筒井康隆」と「片岡義男」と「レイ・ブラッドベリ」で、更にそこへ「伊丹十三」と「景山民雄」が加味されて、仕上げに「ポパイ」「ホットドッグプレス」「ブルータス」をパラパラと振り掛けてレンジでチンしたのが今の私の原型だ(笑)。

映画俳優としても独特の空気感を持つ役者だった。キネマ旬報で助演男優賞に選ばれた「家族ゲーム」や、桃井かおりを相手にダメ男を演じた「もう頬づえはつかない」、制作総指揮も行ったホラー映画「スウィートホーム」では当時まだ日本では遅れていたSFXに凝り、「徹子の部屋」にゲスト出演した際に見たのだがまるで子供のように特殊メイクを楽しんでいたのが可愛かった。

徹子の部屋に出演当時の彼の年齢は56歳で、今の私よりも一つ上だったのかと思うと、まだまだ私は無邪気さが足りないと反省する。

映画監督としての彼に初めて触れたのは、札幌の狸小路の映画館で美和さんと見た「お葬式」。初監督作品だったが、シュールなドキュメンタリーのような作品で、要所要所に凝ったつくりがちりばめられ、とても楽しめた。

この作品で日本アカデミー賞を始めとした各賞を総なめにし、亡くなるまでの十数年の間に「マルサの女」「ミンボーの女」「マルタイの女」などエンタテイメントな作品を産み出し、映画界における立ち位置を盤石なものにしたと感じる。

そして、謎多き死について、少しだけ触れておきたい。

1997年12月20日に事務所マンションから転落死した際、ワープロ書きで残された「死をもって潔白を証明する」という内容の遺書で、老人性うつも併発しての自殺だと断定されたが、当時から違和感を強く感じていた。

確かに当時、不倫やSMクラブ通いなどの不名誉な情報が写真週刊誌によって流布してはいたが、そんな程度の内容で果たして死を選ぶのか?という点や、そもそも自殺の方法に「転落死」というダンディズムの欠片もない手段を選ぶのか?という部分だ。神経質なまでの美意識やこだわりが強い彼が、転落死によって自らの頭が砕けるような行為を行うのか?

ましてや、次回の映画のために「医療廃棄物問題」や「新興宗教とヤクザの関係」について取材を行っていたといわれていたので、彼は虎の尾を踏んでしまったのかもしれない。

彼の死にまつわる謎は、きっと永遠に解けないものだと思われるが、彼の残した多くの作品群も永遠に残ってほしいと心から思うのだ。

愛媛県松山市には2007年に開館した「伊丹十三記念館」がある。一度足を運んで、彼の軌跡をゆっくりと辿ってみたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?