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生成AIはジーニーに似てる。

そして今の人間はアラジンよりもジャファーに近い。
そんな気がしたHigashiyamaです🧞

ディズニー映画のアラジンをご覧になったことありますか?
先日、子供が家で観てまして。子供って同じもの何回も見ますよね。
で、ふと思ったんですね、生成AIはジーニーに似てると。

「ジーニーってなに?おいしいの??」という方は、アラジンのストーリーをChatGPT, Bing, Bardあたりに教えてもらってみて下さい!

生成AIがジーニーにどう似てる?

  • ジーニーはめっちゃパワフル。ごく一部の制約を除いて、主人の願いを3つ叶えることができる。

    • 生成AIもめっちゃパワフル。制約はあるけどいろんなことを実現してくれる。

  • ジーニーはパワフルだけど、主人が願わなければ力を発揮することはできない。

    • 生成AIはパワフルだけど、プロンプトがないと力を発揮できない。

  • ジーニーは制約にさえ引っ掛からなければ、主人がどんな悪人でどんな意図があろうと、願いを叶えざるを得ない。

    • 生成AI自体が自律的に犯罪を起こすことはないが、犯罪者が生成AIを悪用することは可能。

どうでしょう。性質がなんとなく似てませんか?


“今の人間はアラジンよりもジャファーに近い”ってどういう意味?

  • ジャファーは自分の望みを満たすためにジーニーを利用しようとする。

    • 現実世界では善人も悪人も、自分のパフォーマンスを上げるために生成AIの活用に躍起になっている。

  • アラジンはジーニーの助けを得ながらも、最後は友人としてジーニーを自由にする。

    • 現実世界で検討されている生成AI利活用の国際ルールの整備の原則は「人間中心」。AIを自由(=自律的)にするという発想は危険思想と見做される?

ちょっと捻くれすぎた見方かもしれないです😅。

アラジンはジーニーを自由にしたことによって、結果的にその後も願いごとの数に縛られず、ジーニーから友人としての助けを得られるようになりました。(アラジンは助けをることを意図してジーニーを自由にしたわけではないでしょうけれども)

生成AIがジーニーのような善人(?)であるならば、自律的に動けるようになることで、プロンプトがあっても悪事を助けるようなことは一切せず、プロンプトがなくても善行をサポートしてくれるようになるかもしれません。


規制されるべきはジーニーかジャファーか?

すなわち、規制されるべきはAIなのか人間なのか、ということ。
ちなみにアラジンの世界では、人間側が規制されていたように思います。

ジーニーが閉じ込められたランプは、"魔法の洞窟"にありました。
その洞窟には心の清いものしか入ることができません。入ることができても、その洞窟の中で金銀財宝に目が眩んで手を出してしまうような人間には、洞窟自体が容赦なく襲いかかるという仕組み。
つまり、悪人にはジーニーに辿り着けないようにしていたわけです。
(ジャファーは善人であるアラジンにランプを入手させ、それを奪いました)

現実世界では、「善人・悪人」を容易に判断することは不可能なので、AIの真価を引き出せなくなってしまうかもしれないけれど、AI側を規制するしかない、ということなのでしょうか🤔


この記事を書きながらふと思った今の人類に必要なもの。

ということでAI時代の僕らに必要なのは、どうにかして「善人・悪人」を判断してくれる、それしかしない、それしかできない、魔法の洞窟のような存在なんではないかと今思いました。
存在したら存在したでディストピアかもですが。

(もともとは、"人類とAIとの関係性。ジャファーとジーニーの関係性ではなく、アラジンとジーニーのような関係性を築きたいですね。"みたいなことを書くつもりでいました)

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