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10/28天忠組義挙160年記念天忠組シンポジウムin大和第3段②

2023年10月28日(土)なら歴史芸術文化村で開催された天忠組シンポジウムin奈良の後半部分のレポートです。
前半はこちら

パネルディスカッションの後、天忠組四市町村協議会から父に感謝状をいただきました。贈呈は水本東吉野村長から。


体調不良でイベントを欠席してご迷惑をおかけしているのに、こんなに嬉しい舞台をご準備してくださり、本当にありがとうございます。
父は長年天誅組に人生をかけて取り組んできましたが、きっと今までやってきて良かったと心から感じたと思います。

その時の父の感謝の言葉 Instagramリール動画はこちら

そして岡本彰夫先生(奈良県立大学客員教授)と父 阪本基義(元東吉野村教育長)の対談。
テーマは「天忠組への想い」

なぜ天誅組に取り組むことになったのか?

一つは高知大学へ進学したこと。高知県には明治維新に向けて活躍した志士が多くいた。
その後東吉野村小川小学校に勤務することに。
近くのお墓には高知県で名前を聞いたことのある志士達が葬られていた。

もう一つは母方の先祖に天誅組に参加した者がいたこと。
橋本信衛(のぶえ)といい、高野山で僧侶の修行をしていた。
天誅組の変の後、高野山に協力を求められた。
橋本信衛は道案内を兼ねて天誅組に加わったということを父は聞いていたそう。
(父は高校時代、吉野町の橋本家に住んで高校へ通っていました。その時、天誅組の中心人物たちからの手紙を見たそうですが、その手紙は現在残っているかどうか不明です。)
橋本信衛は親類の協力を得て菟田野町佐倉の蔵で明治になるまで隠れて追手から逃れた。
その後吉野町で土地を買い、高利貸しをして財を築いたそう。
(橋本家には子どもがいなかったため、父の弟が養子になり橋本姓になりました。信衛のことがあるからか、父の弟も熱心に天誅組のイベントに参加しています。)
橋本信衛は偽名を使っていた(朝野信衛)。
天誅組の志士の中で偽名を使っていた者は多い。
(史実に残っている志士の他にも関わった者が多くいるかもしれません。その志士たちがどのように参加し、その後どのようになったのか興味があります。)

「草莽ノ記」を書くにあたり、現地を歩いたのか?

(「草莽ノ記」は父が自費出版で最初に手がけた書籍です。現在は東吉野村役場が管理してくださっています。) 

教員の同僚や友人が各地にいたので、現地を回るのにかなりお世話になった。
(楽しい思い出がたくさんあるとのことです。)

現地取材によって新たな事実は出てきたのか?

出版のもう少し後に書いていたら違うものになっていたのかもしれない。
(「草莽ノ記」の出版から現在までかなりの年数が経っています。父は「あわてんぼう」と自分のことを言っていました。その性格は確実に娘に遺伝しています。)

天誅組は歴史の物語としてだけではなく、人間がどんな風に生きたのかを学んでいきたい。

今回のイベントが奈良で開催されるにあたり、東吉野村を訪れる人がいるかもしれないと天誅組のお墓を掃除してくれている方がいた。志士ではなく、その方に手を合わせた。

岡本先生は、「歴史は人間が紡いでいったもの。歴史によって心が動かないといけない。」とおっしゃり、柳沢家の女中が六義園に子どもと遊びに行ったことが記録されている資料を例にあげられました。
(私はどこかへ出かけるたびに天誅組の史跡の近くを通ります。幕末、ここを志士たちが通っていたのかと毎回感じます。東吉野村は終焉の地なので、道半ばにして倒れた者が多くいます。戦死地も各地にあります。とても不思議な気持ちになります。慣れて今の気持ちが薄れていかないようにしたいです。)

東吉野村を訪れる修学旅行生などから感じることは?

松本奎堂出身の愛知県刈谷市は東吉野村と友好市町村となり、毎年1校16校、16年かかって来てくれた。
松本奎堂のことをかわいらしい男の子というように感じてくれた。
東吉野村で命を落とした人のことを思って愛おしく感じてくれている。

東吉野村民以外にも、資料を几帳面に整理して収集しておられる方、史跡の植木の剪定をしてくださる方など、いろいろな方と会うのが楽しみの一つ。
(父が天誅組に関わる中で出会った方はものすごい数で、皆さん父のことを大切に思ってくださっています。そのことは父の生きる糧となっています。本当にありがとうございます。)

明治維新に向けて、天誅組は東吉野村で早く潰れていった。
京を守ろうとした十津川郷士は東吉野村とは全然違う。

父はただ今抗がん剤治療終盤で、12月に一か月間放射線治療で入院します。
10/28のイベントの後、もう一度高知県に行きたいと言っていました。
それまでも何度も家族が「元気になって高知県にまた行こう」と言っても曖昧な返事しかしていませんでした。
イベント参加にあたり、家族は感染症などかなり心配しましたが、今回の参加でものすごい力をいただきました。
もちろん注意すべきことは必要ですが、人間にとって生きる意味、精神的支えがどんなに大切であるか、本人、家族一同が痛感しました。
父が今後どんなことをしてくれるのか楽しみです。
きっとこのまま終わらないと思います。
皆様どうぞよろしくお願いいたします。

龍馬のかばんとともに皆様と。

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