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【2回目の】 文明の無い森の中で覚醒する体験記

森の体験記。2度目の境地、如何程か。

ようこそ、あなたに戻る、美しい世界へ。



2022年 11/25 1日目 晴れ

斜めに刺した日に照らされた蜘蛛の糸は虹色でなびいている。
倒木やツタなどの森の素材だけで、0円で作った窓も無く隙間だらけの小屋からは、いい具合に朝日の登りを味わえ、小鳥の音にも包まれる。腕の中には、なめらかでふわりとした毛を持つマルチーズの愛犬ルチが、何だか幸せそうな寝息を鳴らしている。

この文明の無い森の中で30日間
・森から一切出ず
・人と一切会わない
・スマホ等デジタルを使用しない
・毎日焚き火
・歯磨きしない
・服着替えない
・風呂に入らない
・毎日同じ味を食べる
・夜はひたすら瞑想
etc
というこの生活が、今日の逞しそうな朝日と共に始まった。

2度目を迎える今年は一体どれ程研ぎ澄まされるのか。。。


因みに,4週間ほど前からこの森に篭って生活しているのだが、森という無限アスレチックを駆けずり回るマルチーズの筋肉は既に巨大化している。笑

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森に3週間篭り、6日ほど文明で過ごしたのちまた森へ戻り生活しだしたわけだが、6日ほどの文明生活で早速驚いたことがある。寒さについてだ。6日間過ごした文明地は雲仙温泉街という所であり標高が600mほど。避暑地であり真冬は-10℃まで下がる寒所だ。そこで暮らす方々は寒さに強い。なのだが、そこに住まう方々が「暖かい」と言う中で自分は「暑い!」と感じ、「寒い...」という中で自分は「まだ暖かいなあ」と感じる様になった。
その理由は森での生活にある。森は日陰なので日中もそれなりに寒く、じっとしていたら手足は冷える。多少寒くても気にせず過ごしていたし、窓無しの自作小屋という、常に冷気で満たされた場所で寝ていたという事も寒さに強くなった要因だろう。
耐寒力が大幅に上がったが、他人への共感力は大幅に下がってしまった。笑
そんな出来事があったことで「自分は寒さに強くなったんだなあ」と、より強く意識しだしたからだろうか、現在夜の森でも薄いシャツ一枚でこの日記を書いている。人間本来の体温調節機能が整ってきたのだろう。
試しに服を脱ごうと思い上裸になってみた。これで10分程じっとしてみよう。
...10分後。体の表面が冷えた。それなりにバードスキン。
例えば呼吸法や瞑想なんかをすれば冷えてもすぐ暖かくなるだろう。しかし、それでは本来の自己機能とは関係ない気がして。なので時々、こうやって服を脱ぎ、特に何もせず、ただ「寒い」を味わう時間を作ろうと思った。
30分ほど経ち、そろそろ寒くなったのでシャツを着た。着てすぐさま体の表面がブァーっと暖かくなった。人間って凄いな。

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11/26 2日目 晴れ

小鳥が小屋に入って来た。「トントントン」と柱を突く可愛らしい音で目が覚めた。
小屋の前に椅子を置き、ぼーっとしていた所、遠くの方に海が見える事に気が付いた。見えると言っても木々の隙間から辛うじて海日の輝きが見える程度だが、その辛うじて感と遠さが、何だか幻想的な魅惑めいた、秘密にも感じる。
日が上に有る時、森の樹々たちの葉が日光で透けて見えるのだが、それは緑のステンドグラスの様である。日光は更に、蜘蛛の糸も虹色に輝かせ、マルチーズ特有の白い毛を、何だか神々しい別の生き物に見せるような輝きを送っている。
今日も朝から美術館にいるみたいだ。

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11/27   3日目 晴れ

今回の食について話したい。前回は玄米を主食に、調味料から何まで全てオーガニックな物を食べたお陰か、宿便も剥がれ身も心も随分と軽くなった。
しかし、何だかそれでは食に人生を左右されてるみたいで、そして健康の為に食をしているみたいで...
オーガニックという、いわば母の腹にいるような安心感だけでは逆に弱くなるのでは?などと思い、なので今回は主食をオーガニック玄米から変更し1キロ200円で買った超格安な小麦粉のパスタにした。恐らく農薬まみれで化学肥料の楽園で作られたであろう人体に悪影響を得れそうな物だ。「小麦粉は食べるな!」なんて言う医者も沢山いると言うのに。
しかし、もはやそんな事は量子の力、つまり思考の力でどうにでもなる事は知っているし、ストレスも無く、具合が悪くなれば何時でも休めるこの空間にいるわけだから特に問題は無いのだろう。
この「楽園パスタ」を食べだしてから実はもう1ヶ月経っているが、特に問題は無し。しかし前回の玄米食と比べると身が重く感じる。それをいかに思考で軽くできるかが今回の課題だろう。常識なんて自分で作り、塗り替えれば良い。
因みに味付けは醤油、味噌、黒糖、カツオ節、あとは近辺で取れた野草を入れて食べている。佃煮風 野草パスタだ。調味料も前回とは違い、特にオーガニックでは無い。あぁ、野草はオーガニックか。笑
野草は主に カラシ菜、イヌビユ、ミツバ、ほとけのざ草、ヨモギなどが近辺にあるので、それらをパスタと一緒に茹でて食べている。
これを毎日食べている。味付けも毎日一緒だ。マルチーズはそれの味薄いバージョンに塩分抜いたニボシを加えたのを食べている。
(ミツバやギシギシ、カタバミなんかのシュウ酸が多い系の多色は一応控えている)
(オーガニック界隈でよく言われている「買い物は投票だ」と言う事とは真逆なことを行っているが、今回はチャレンジということで。)

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11/28   4日目 晴れ

朝日で目が覚め、そのまま太陽と共に三度寝する生活。「今日はなんだか暖かいなあ」と思いながら起き上がり、相変わらずの薄いシャツのままぼーっとしていた。そしたら驚いた。吐く息が白いのだ。「薄着」「白い息」なのに「今日は暖かいなあ」だ。良い意味で体が可笑しくなっているらしい。笑
基礎体温も上がっているのだろうか。毎日それなりに体を動かしてるので筋肉がついたからだろうか。
因みに子供の頃は平熱35.2℃だった事もあり月に一度は風邪をひいていた。大人になってからも風邪をよく引いていたが、サバイバル的な生活をしだしてから平熱36.5℃になり、最近では風邪は全く引かなくなった。
今の平熱は何度なのだろうか。37℃に近いのかもしれない。勿論、風邪を引かないからとか、平熱が高いから、という事が健康に良いと言うだけではない事は知っているが、昔の自分と比べたら現在の健康は著しく良くなった。
手洗いうがいなんて事も一切しないし、勿論、薬等も飲まず、消毒なんかも一切しないという事もあり、そりゃ人間として強くなるわなあと。
現代社会での当たり前とされている健康法(予防法)と真逆をすれば体は生き生きする、という事はこの体を持って証明されている。

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11/29   5日目 嵐

日の出頃まで酷く嵐だった。窓無しの小屋に対しての横殴りの風はとてもスリリング。布団は濡れ、雨水が顔面目掛けて邪気に飛びかかる。
と言っても、こんな事は何度か経験している事なのでそれなりに良くは寝れた。窓を塞げば良いのだけど、なんだかそういうスリリングにも愛嬌みたいな事を感じるので、大した対策は今だにしていない。野生動物達の方がよっぽど大変だろう。それに比べれば楽な方だ。勿論、森での初嵐は寝れたもんじゃなかった。小屋は今よりも不安定な作りで、布団にかかる雨水の量も、顔を濡らす量も凄かったし、何より風音の強さが不安をより一層、掻き立てた。
しかしまあ、布団は体温でいずれ乾くし顔への雨水も気にしなければ良い。と、呑気に思っているので良く寝れる訳だ。
因みに、嵐の森は危ない!と思う方がいるかもしれないので一応補足しておくが、まず森なので防風林になる。何が飛んでくるかわからない文明地よりマシだろう。但し、大きな枝が落ちてこない場所かどうか観察しながらサバイバルする事をお勧めする。
アクシデントも、慣れてしまえば良い遊び相手となりうる。

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11/30   6日目 曇り

酷い嵐の次は酷い寒さが来た。吐く息が真に白い。昨夜は逆に真夏と感じる程の暖かさに感じ、布団を跳ね除け寝ていたというのに。
この寒暖差には流石に堪えた。なので今日は冬眠する事にした。
1日24時間の内23時間程をベッドの上で過ごした。食事時とトイレ時以外は何もせず、ただ、じっとしている。
大半を何か思考しているのだが、この脱文明生活のお陰もあり、過去の出来事が鮮やかに、繊細な事まで思い出せる様になる。「あの時あの人に良くして頂いたなあ」「あの味は美味しかったなあ」「あの景色は凄かったなあ」等など...
それは過去の自分が何か行動したから出会えた事であり、なので過去に自分に「ありがとう」と感謝をしたのだが...
そこで気が付いた。という事はだ、過去の自分は今現在の自分に感謝されている。過去の自分を感謝する習慣は今後も続くだろう。つまり今現在の自分は未来の自分に感謝されている。という事に気付いた。
そう考えると何だか有り難くも嬉しくも思いパワーと益々の安心感が頭上のチャクラ通して降り注いできた。
更に、現在の自分に感謝してくれている、そんな未来の自分にも感謝し出すわけで、過去現在未来と、太いエネルギーの柱が通り、それは何だかフリーエネルギーの様にも感じる。
更に深掘りしよう。過去出会った人に対して現在の自分が感謝しているわけだから...。過去体験した美しさ、場所、景色、空気、水、天気、生物、植物、海、愛...現在の自分はそれらに対しても感謝しているわけだから、他者にも感謝のエネルギーの柱がフリーエネルギーのように通り...。
感謝のエネルギーが宇宙の様に果て無く広がる事を知った時、今見える全ての物が何か別次元の異なる存在に見えだした。

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12/1   7日目 晴れ

朝、湯を沸かし、水筒にお湯と黒糖を入れ、アウトドアチェアを持って日向へ行き、道中摘んだヨモギとほんの少しのセイタカアワダチソウも水筒に加え、海と岳を同時に望めれるこの美しく素直な場所に広げたアウトドアチェアはやはり輝いて見える。この輝きに座り、美しい景色を見ながら黒糖ハーブティを飲むその味は、隣にいるマルチーズをより一層、輝きとして見せてくれる。
小鳥のさえずりが尚、美しい。白い息にも思いが込もる。

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12/2   8日目 雲と晴れ

過去と未来について、一つ面白いエピソードがある。昔知り合った人の実話であり、とても不思議な話でもある-----

子供の頃、姉と自然の中を散歩していた。途中、大きな岩があり、今にも転がりそうだった。
姉がその岩を通り過ぎようとした時、その巨岩が動きだした。このままでは巨岩に引かれてしまう!そう思った瞬間、遠くの方から大声で「危ない!避けろ!」と、大人の男性の声がした。それを聞いた姉は無事巨岩を避け助かった。その大人に礼を言おうと思い周囲を探したのだが、その人は何処にも居なかった…

それから数十年経ち、ある時、大人になったその人は瞑想をしていた。すると、自然の中を歩いている子供が2人見えた。背格好からして姉と弟、という関係そうだ。そのまま2人の子供を眺めていると急に大きな岩が転がりだした。このままでは子供が大変な事になる!そう思い、思わず「危ない!避けろ!」と、瞑想中に叫んだ。それに気づいた子供は巨岩を避け無事に助かった。というヴィジョンが見えたのだが、これは正に、子供の時に体験したあの出来事であり「危ない!避けろ!」と言う大人の男性の声は正に、今の自分の声だった...!

と言う話である。過去と未来が繋がり危機を救ったという不思議な話だ。
しかし これ、自分にも思い当たる節がある。
今の自分は過去の自分に対して良く感謝していて、それはかなり破天荒でイバラな人生を勇気をもって行動し続けてくれたからだ。
(過去の経歴については「文明の無い森で生活するに至るまでの人生経歴」を読んで頂くとその破天荒さが良くわかると思います)
過去の自分はどんなに危なげな道でも「なんか知らないけど大丈夫」という自信があった。その自信は一体どこから来るのだろうかと、いつも疑問だったのだが、それはもしかすると現在の自分が過去の自分に対して感謝しているエネルギーが過去の自分に伝わり、それが自身のエネルギーと成っていたのではないだろうか。この推測が正しいかどうかはどちらでも良いが、現在から過去にエネルギーを送れているのだとしたら、なんだかロマンチックではないだろうか。過去にも送れるなら、未来にも送れるのだろう。
あぁ、過去の自分、現在の自分、そして未来の自分。全てありがとう。

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12/3   9日目 曇りのち晴れ

去年発見した野生のミカンがある場所までの道のりが草だらけだったので草刈りし道を整備した。草にはダニがついていたりするので、草を刈り草と服が接触しない様にしなければ毎度この道を通る時にダニに怯える事になるのだ!
去年20個ほど実っていたミカン。今年はどれくらい実っているのかと、ウキウキしながら道を整備し、30分程で道が開通した。「これで心置きなく毎日あの美味しいオーガニック野生ミカンが食べれるぞ」と思ったのだが、なんと...1個しか実っていない。なんということだ!どうやら今年は不作のようだ。側に有るキンカンの木には1個すら実ってない。
という事で暫くショックを味わっていたのだが、地面を這う様にして生えているミカンの木があり、今にも倒れそう...というか倒れている木なのだが、なんとその木に一個だけミカンが実っていた。地面スレスレで生えるミカンの木なんて初めて見た。これが野生の力という事なのだろうか。破天荒に見える。
このギリギリ生きているような破天荒ワイルディーミカンは一体どんな味なのか?期待と不安と不安と不安を背負い、ギャンブル感覚で食べてみた。今にも倒れそうなギリギリな味なのか、果たして...
食べた。めちゃくちゃ美味かった。甘味と酸味が見事にバランス良くマッチ。味だけではない。ギリギリを生きる者の最後の創造物っぽいそのミカンの実は、何か人間の心をとびきり満たすようなエネルギーだった。火事場の馬鹿力的な事だろうか。そのようなエネルギーを纏いしミカンを喰らう事ができて光栄であり誠に感謝申す。あなたの人生が詰まった、とびっきり美味しいミカンでした。ありがとう。
去年20個ほど実っていたが今年は一個しか実っていないミカンは、明日食べてみよう。一個しか実っていないということは、うま味もエネルギーも凝縮され美味なのだろうか。
一個だけでも、十分ありがたい。

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12/4   10日目 曇り

1つ疑問を得た。それは、天気によって果物の味が変わるのでは?という事である。森での生活では毎日ガマズミという、赤くとても小さな果物を食べているのだが、晴れの日は美味しく感じ、曇りなんかの日は、美味しいが何だかエネルギーにキレが無い様に感じる。体に入るときのエネルギーも違う気がする。単なる気のせいか、プラシーボ的な事なのか。
昨日書いた1個だけのミカンの木を、曇りである今日食べたのだが、やはりキレが無かった。(それでもジューシーで美味しかった!)
実は昨日、そのミカンから「今が食べ頃だよ!」というテレパシー的な事が送られて来ていた。しかし別のミカン(地を這うミカン)を食べたので、理性的に考えて「明日の分として今日は食べずにおこう」と思ってしまったのだった。その瞬間食べたかった。
そして今、あのミカンは昨日食べるべきだったと後悔している。
こういった野生的な生活では理性的に生きるより、テレパシーや直感といった感覚を重視して生きた方が豊かになる気がする。例えば「今日は1個食べたのだから、明日また食べよう」というよりかは「目の前にあるこの果物を今食べたいと思ったから今食べる」といった具合だろうか。後先考えずに。
(「昨日ミカン食べれば良かった」と後悔するのは理性的な考えだけど笑)
という事で早速、「本能的に生きよう!」と思い、何となく「散歩しよう!」と思ったので歩いた。そしたら10歩ほど歩いたらなんと巨大なキノコを発見した!(ちゃんと食べれるやつ)相変わらずの引き寄せの速さだ。我ながら驚く。笑
さて、今日はキノコパスタだ。

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12/5   11日目 雨

雨なので今日は1日冬眠する。野生動物が雨の日は洞穴などでじっとしているのと同じように、自分も自作した丸太のベッドの上でじっと過ごす。
特にやることもないので暇なのでは?と思われるだろうが脳は常に何かを考え、意識エネルギーで遊び、何かのビジョンを見たりと遊んでいるので何もせずともそれなりに楽しい。それは去年と引き続き変わらない。寒さも相まる今日みたいな雨日は絶好の冬眠日和である。
1週間ほど前から急に寒くなったからか、森のダニたちもすっかり冬眠し働かなくなったようだ。ダニのいない、快適なシーズンが始まった。
森生活初心者だった去年、200〜300箇所は刺された。全身隈なく痒かった。それがなんと今年は20箇所程しか刺されていない。1/10である。これがどんなに楽なことか、お分かり頂けるだろうか?笑
1/10になった理由は
・去年良く行っていた「素足で森の中を歩いてアーシング♪」なんて、ダニにとっては格好のブッフェ的行為を今年は辞めた。
・木の表面や背の低い草にダニは潜み待ち構えているので、そういった所に服などを擦らないように歩いた。
・一緒に寝るマルチーズにダニがつかないようオーガニックのペット用ダニ避けスプレーを使用した
・服にダニがついていないかこまめにチェックする
これだけで1/10になった。
この日記を読んで森などでサバイバルをしたいという方、ご参考までにどうぞ。

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12/6   12日目 晴れ

待望の晴れである。気温は低いが、火が有るだけでとても過ごしやすい。
何だか今日は小鳥が近くに来る気がしたので、ミカンの木がある日向エリアでぼーっとする事にした。日陰な森の中に比べこの日向エリアは、まるでストーブの前でぬくぬくするのと同じ様な暖かさと感じる。
そんな感じで暫く日光の恩恵を堪能していたら、やはり近くに小鳥がやって来た。2m以内だ。緑と白をした体で、目の周りが白い。メジロだ。なんとも可愛らしいその小鳥をうっとりとした目で見つめていたら、フンをした。何か運を落としてくれたのだろうか。フンが地に落ちた音さえ可愛かった。去年は自分の意識エネルギーが上がるにつれ、小鳥たちが群れでやって来る様になったが、さて今年はどうなるか。

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12/7   13日目 曇り

昨夜、ナイトサファリだった。
小屋で寝ていた所、重量感ある足音がした。猪である。そしておそらくこの森の主である。近頃、野生動物たちとのテレパシー力が高まって来たと感じているので、早速試してみた。
「猪さんこんばんは。もっと近くまで来てくれないか?そして、うねり声で挨拶してくれないか?」と、日本語に訳すとこの様なテレパシーを送った。するとやはり、小屋に向かってどんどん足音が近くなる。足音から推測するに、小屋から20mほどの所まで来てくれたみたいだ。しかもその重量感ある足音は3つ程聞こえるではないか!(去年その猪は独り身だったが、今年結婚してしかも子を3匹授かっている!)
家族を連れて来てくれたみたいだ。そして「うねり声をあげる挨拶を」とテレパシーに答えてくれたのか「ヴィーン!!!」という猪特有の荒々しいうねり声を上げてくれて、そしてスタスタと帰っていった。感激である。美しいうねりだった。光栄だった。
「猪や熊などの野生動物は危ない」と、色々な方法で洗脳されている現代だが、そんな事は無いと言いたい。勿論、人間側が攻撃的、又は恐れのエネルギーを出しているのなら話は別だが、彼らを尊重し、穏やかで優しいエネルギーを出していれば問題無いはずである。実際、北海道のネイチャーガイドも同じ様な事を言っていた。
そして逆の立場で考えて頂きたい。彼ら野生動物からしてみれば人間の方が怖いはずだ。科学的な、わけわからん匂い、不健康なオーラ。これほどホラーな生物もなかなかいないだろうし、その様はゾンビ映画さながらに映っているのではないだろうか。
なので、「野生動物は危ない」という前にまず人間側を改めた方が良いのではないだろうか。人間が人間に成れている時、日々善良なエネルギーでいる時。彼ら野生動物たちはきっと答えてくれるだろう。

今日の一言
「何か特別な能力に目覚めたとか、悟りを開いたとか、高次元だとか、そう言ったことも良いとは思うが、それよりも、日々楽しいとか、嬉しいとか、感謝だとか、そう言った目の前にある当たり前の事をよっぽど大切にして生きたい」

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12/8   14日目 晴れ

昨夜は野生のアナグマが小屋に近づいて来た。暗くて姿を確認できなかったが、足音からしてアナグマだろう。その穴熊は人間に興味があるのだけど、まだ警戒している、という様な足取りであり、しかしゆっくりと、着実に近寄ってくれている。自分のエネエルギーが野生動物たちに受け入れられ始めた様で嬉しく思いながら、せっかくだからもっと近寄ってくれないかとテレパシーをした。
そしたら足音がすぐそこまで、5mほどまで来た時、マルチーズは我慢できなかったのだろう。小屋から勢い良く飛び出してしまい、その音にびっくりしたアナグマは逃げてしまった。あと少しで仲良く成れそうだったのに!何て事をしてくれたんだマルチーズ!笑
そのアナグマは良く小屋付近までやって来るのだが、その度にマルチーズは吠え、追い払っていた。しかし最近はそれが吠えなくなった。アナグマが近寄って来たら毎度小屋を飛び出すのだが、そこから小屋に戻るまでの時間も日に日に長くなっている。きっと遊び合っているのだろう。その姿を想像すると、これ可愛いなあ。

今日の一言
「ダニに刺された所を掻きむしってしまった。掻きすぎて血が出た。その血は太陽に反射し光り輝き、綺麗だった。それが何だか嬉しかった。優しかった。自分は人間で有るという事を再確認した。」

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12/9   15日目 晴れ

昨夜は月光を浴びすぎた。森の隙間から投げ出された月光の揺らめきが何とも幻想的で、更にはその揺らめきの主である月本体に額を向け、見つめ合う様にして寝ていたら急に目眩がしだした。何か強いエネルギーが額を抜け、松果体を揺らした。すると自分の中にあるネガティブなエネルギーやビジョンが流れ出した。
「これは月からの挑戦か?それには負けぬぞ」
と思いそのネガティブを受け入れ浄化した。
しかし月も更なる攻撃を仕掛けてきた。「このネガティブエネルギーはどうかな?」「この醜いビジョンはどうかな?」という意地の悪そうな攻撃に対し、何とか精神力で乗り越える。そんなやりとりを5ターン程行った後、月からの攻撃は終わった。
そんな事をした翌日である今日、とても頭がぼーっとし、なぜか視力も低下していて遠くがぼやける。雲ひとつない快晴なのにも関わらず、気分は長時間テレビゲームをした後の様な疲労感だった。
「月を見過ぎると狂う」「月を見ると狼になる」「月には魔力がある」と、世界には月に関する様々な伝承が有るが、昨夜は正に、それだった。狂った。
しかしこの「狂う」を悪く捉えず別の捉え方をするならば、「月を見て狂い、己の精神力を鍛える」という考え方も出来るのではないだろうか?という事で、また気が向いた時にでも「月との精神バトル」を行ってみよう。別の言い方をするのならば「月からの挑戦」「月の試練」「月の...」何だかRPGのゲームの様である。

今日の一言
「小鳥の鳴き声が立体に″見える″」

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12/10   16日目 晴れ

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ある悪い男がいた。その男は、とある村を滅ぼしたかった。そこで、まずはそのとある村を観察する事にした。その村では人々が野草を楽しげに摘み、ハーブティやサラダにして美味しそうに食べて暮らしている事がわかった。それを見て、その悪い男は、とある村を滅ぼす方法を閃いた...
その悪い男は賢者を装い、その村へ行き「我は世界を旅して来た博識ある賢者である。あなた達にさまざまな知識を与えよう」と言った。
その悪心の賢者の知識は たちまち人気になった。中でも野草を楽しげに摘み美味しそうに食べる村の人々にとっては「この野草は心臓に効くぞ」「これは胃の調子を良くするぞ」「これは不治の病であっても60%の確率で治るぞ」などといった野草への知識の話は大変人気があり、村の人々は熱心に学んだ。
やがて、その村の人々は野草を見るたびに、病についてフォーカスする様になり、そしてその村は滅びた
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これは今自分で考えた一つの例え話だが、こういった危険性もあるので野草の薬効なんかは一切覚えないようにしている。食べれるかどうか、美味しいかどうか、といった具合のシンプルな思考で野草を楽しんでいる。

今日の一言
「気付けば今日で16日目、残り半分である。昨日も月とバトルしたので今朝から頭がぼーっとし、特に眠気がある。しかし何故か気力に満ちている。月の魔力を浴びて自分のMP(マジックポイント)的な何かが上がったようだ。自信も上がった。」

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12/11   17日目 晴れのち曇り

最近、夢がとてもリアルだ。食感、味覚、温度、匂い、音質、舌触りなど、夢の中での感覚が鮮やかすぎて夢と現実の区別が付かなくなっている。そんな深い夢の世界にいたのに急に現実世界に目が覚める訳だから、起きた時に「あれ、ここは何処だ?自分は何をしているんだ?」と成り、5秒ほど経ってから「ああ、森で暮らしているのか」と気付く。一時の記憶喪失状態になる訳だ。
それがもう三日程、続いている。記憶が無いという事は何かこう...新鮮味があるというか、新しい人生が目覚めたというか、記憶が何も無いから、何でも出来るというか...だから赤ちゃんは生まれる前の記憶を消してから生まれるのかなと思った。生まれた時から賢者だったら、この地球で遊ぶための新鮮味が無くて、それはさぞ退屈な人生と成るのだろうか。

今日の一言
「ある不食家(何も食べずに生きている人)が言った強烈な一言 
「人は食べても死なない」」

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12/12   18日目 晴れ

松の葉で炭酸水を作れる、という事をご存知だろうか。作り方は簡単で、松葉を砂糖水に漬けて数日置いておけば炭酸水になる。以前一度やった事があるのだが、こんな手軽に炭酸の爽やかさを喉にハジけさせる事が出来るという喜びと、松葉特有の爽やかメンソール感のダブル爽やかさを味わえ、そのダブル爽やかさは遥か昔のあの爽やかな青春時代の記憶にもリンクしている、かもしれないと思わせてくれるというトリプル爽やかさなのである。もはや何が言いたいのか不明だが、まあ、爽やかなのである。
という事で、森の中で爽やか炭酸水を作り、あの頃の青春時代に浸ろうと思ったのだが、しかし森近辺には松の木が無い。困った。
そこで閃いた。松以外でも、例えば野草でも炭酸水は作れるのではないだろうか?と。
という事で今回はヨモギをベースにして試してみる事にした。予想では95%の確率で炭酸にはならないと思うが、残りの5%という「もしかして成功するかも感」というワクワクがあるので、失敗と解っていても決行する事にする。皆さんも子供の頃に行っていたであろう「変な実験」をする時の、あのワクワクと似ている感情である。童心100%である。
ヨモギだけでは単色でお洒落さに欠けると思い、赤い椿の花も入れた。ヨモギの緑、椿の赤、砂糖水の黄色。見事に、小洒落たトリオとなった。
お洒落にフォーカスしていたら、スミレ花の紫、カラシ菜花の黄色も加えたくなったので入れた。
緑、赤、紫、黄、黄。こうして、黄色が2ついるタイプの5レンジャーになった。
現在、ただの野草砂糖水。数日後に炭酸水になる事を祈り「シュワっち」と名付けた。戦隊モノとウルトラマン系の見事なコラボレーションである。
数日後に炭酸という仮面を被り我が胃腸環境の更なる平和の為に戦ってくれ。
頑張れ!野草戦隊シュワトライダーマン。

今日の一言
「ガマズミの実の赤も新メンバーに加えた。赤と黄が2人ずついるタイプの戦隊モノになった」

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12/13   19日目 晴れ

最近、海と山を望めるこの場所にて、朝日の御来光を見るのが日課となっている。去年は外気の寒さや森での暮らしに慣れていなかったからか、大体いつも12時〜14時まで深い眠りに付いていたのだが、森の生活に慣れた今年は、去年と比べ随分と早起きになった。
去年、森篭り26日目に「チャクラがバスケットボール程の大きさになった」と書いた。膨れ上がった自分のエネルギーにその時は大興奮だった。人間って凄いなあと。
しかし今年はその様なエネルギーにも慣れ、特に気にしなくなった。それが普通と成っているから。
直感や五感、自己ヒーリング能力なんかも、初の森生活な去年ではメキメキと成長し、その成長加減に対して大興奮だったが、今年は良い意味で落ち着いており...
勿論、まだまだ上達の余地なんて沢山有る。成長できる点も沢山有る。しかし、上を目指すばかりではキリがない。ならば成長欲なぞといったインスタントな快楽なんてのは程々にし、目の前の幸せに深く気づき、そして長く浸れる人生にと趣を置こう。そういった思いが今年は有るので、美しい朝日を見たり小鳥のさえずりを立体に感じたり、森の色彩にうっとりしたり、月とバトルしたり(笑)と、目前の幸せを深く抱きながら生きているのかもしれない。
さて、そんな目前の幸せに更に深く浸れるように成ったであろう来年は一体何処でどう過ごし、どんな事に趣を置き生きているのだろうか。いやしかし、本当に現在幸せであり、有難い環境に身が有る事に感謝が溢れる。

今日の一言
「地球は遊園地に似ている。メリーゴーランドや煌びやかなショーといった幸せそうな世界もあれば、お化け屋敷やジェットコースターの様にスリルを味わえる世界もある。どの世界で過ごすかは、人それぞれ。その人の魂が体験したい事をすれば良いし、しなくても良い。何でも良いし、何でも良くないでも良い。善も悪も無いし、善や悪を作ってスリルする事も出来る。そんな人間達の行動を暖かくも冷たくも、有でも無でも、見守ってくれていても見守ってくれていない、そんな無限的存在が宇宙なんじゃないかなと思う。」

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12/14   20日目 曇りのち晴れ

昨夜、足を挫いた。さほどの挫きではなかったが、2日くらい傷みそうな奴であった。
2日痛みと過ごすのは体験しなくていいやと思ったので、とっととヒーリングして治す事にした。患部に意識を送り細胞を活性化させる。たったそれだけで、時間にして20秒足らずで痛みは消えた。それだけでは面白みに欠けるので、一応足をキラキラ光らせるイメージをして幸運っぽい足にして寝た。
その翌日である今日、痛みはさっぱり無く、森の中を元気に散歩出来た。
と、「そんな事出来て凄い!」と思われるかもしれないが、人間の意識が高まればそれくらい容易い事である。スマホもテレビもまだ身近でなく、自然と近くして生きていた昔の人の「痛いの痛いの飛んでけ〜!」は効果絶大だったではないか。ヒーリングという、横文字を使うから何やら難しく感じるが、こんなの昔の人は自然と行っていた普通の事である。少し練習さえすれば、これくらい簡単に出来る様に成るはずだ。全て意識のエネルギーである。
因みにヒーリングを他者に施す事は依存が生じるから基本的にやらない。やればとっても儲かるだろうけど。笑

今日の一言
「まあ、宇宙に善悪は無い。」

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12/15   21日目 晴れ

森に籠って3週間。情報を遮断し、人と語らず、毎日同じ味付けのパスタを食べ、日の影響で寝起きし、自然を傍らとする事を常とするこの生活での3週間というのは、長いようで短くもあるような、相変わらず良く解らない時間軸の日々であった。社会の騒ぎが入らず、森の中でひたすら幸福を吟味する様は、竜宮城へ行った浦島太郎のそれと同じ様だとも思える。
今日の日記では、森に篭り3週間が経過した体の変化、心境、マルチーズの様子などについて伝えたい。

・身体の状態・
人と会わないので歯も体も洗ってないが、特に問題は感じない。菌は本来の衛生的機能を取り戻している様に感じるし、冬の乾燥した環境でも体表は自己オイルで保たれていて、大袈裟に言うと子供の肌のような潤い、とも感じる程だ。
服もずっと同じだが、特に着替えたいと思わない。去年は靴下が臭かったが、今年はそうでもない。
体力、心身共に元気である。やはりこの生活スタイルが自分に合うようだ。
常に外気を浴び生活しているので、寒さに強く成った。風を感じ情緒を味わえる様に成った。

・食について・
農薬、化学肥料の楽園であろう1kg200円の激安パスタを毎日同じ味付けで食べているが、特に影響は無さそうだ。初めは小麦特有の、胃にのしかかるような違和感を感じていたが、今は問題無く食べている。体は小麦粉への対処をマスターしたようだ。
農薬、化学肥料等の「体に悪い」とされる事へ思考エネルギーを注がなくなったから、という事も大きいと感じる。全く気にしなくなった。「病は気から」という言葉その通りである。毎日野草を食べている事も大きいかもしれないが。
因みに、月の食費は3,800円程度で済む。

・心境・
日に日に幸福度と感謝のエネルギーが高まってゆく。ご多幸すぎて、うっとりする時間が増え、新たな次元へと行けそうだと感じている。

・マルチーズ・
いくら室内犬の代表格と言われているマルチーズでも、やはり犬である。森では生き生きだ。目の色も深くなった。森生活2年目の今年は、去年と比べ随分楽そうである。

・去年と今年のテーマの違い・
何かテーマを決めて森に籠った訳では無いが、去年は「人間としての本来の能力を取り戻す事」だったとしたら、今年は「目の前の美や幸を深く感じる事」といった感じであろうか。
美や幸にフォーカスしているので、自然の見え方がまるで美術館の様になった。
カメラの機能で言う所の彩度や感度、つまり画素数が高まり、より鮮やかに美しく、目や六感で捉えられるように成った。これは自己のオーラやエネルギーにも深く関わる事だろう。この能力を大切に、じっくりゆっくり育みながら今後の人生を味わいたい。

今日の一言
「森の中を速く強く走り出すマルチーズはまるでシベリアンハスキーの様な、みなぎりの眼だった。」

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12/16   22日目 晴れと曇り

森ではトイレ掃除をする必要がない。楽である。小については言うまでもなく、思い立った所でかませば良い。その際、木に直接かけると枯れてしまう可能性があるので、少し木から離れた所で放物線を描く事をお勧めする。人間の小は栄養豊富であり、2度の小でその木の1年分の肥料と成るそうだ。周囲の木たちは、己の小水と共に有る と考えると共存感が増し、森への貢献度も増し、心と自信がみなぎるだろう。
大については、くの字型の倒木にまたがり踏ん張っている。くの字というのは90°くらいだが、30°くらいのくの字型倒木和式トイレである。大についても掃除の必要がない。なぜなら、森の野生動物たちが勝手に食べてくれるからである。故、その倒木和式トイレに大は溜まらない。(冬眠期は除く)
動物たちからしたら、人間の大は大好物だと聞いた事がある。海や山や滝や森や川地など、様々な場所でサバイバルをしてきたが、大概、翌日には大が無くなっている。周囲の猪やアナグマたち野生動物は己の大魂で育っているのだと思うと何ともファミリー感であり、1っ歩、いや、500っっっ歩も譲ればロマンティックである。
昆虫たちにとっては大きなビュッフェ会場だ。己の大魂に群がる彼らを愛おしくも思う。
これを汚い話と捉えるか、ロマンなティックと捉えるか、自然環境にとって大切で有ると捉えるか、はたまた現代社会の非循環型トイレシステムを地球環境破壊だと発展型で捉えるかはお好きにすれば良いと思うが、これを普段一緒に抱き合い寝ている愛犬マルチーズが食べてしまった日の口周りの汚臭は我々の友情を一時的に破壊する。

今日の一言
「今年は学習したのか、まだ一度も大を食べていない。一緒に寝る毎日がさぞ平和である。去年は...」

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12/17     23日目 雨

雨。それは、この生活での「冬眠」を意味する。1日のうち23時間以上をベッドの上で過ごすという、もはや修行のような1日である。スマホもテレビも無い、且つ薄暗く冷えた森の中で1人で過ごさなくてはならない事を想像して頂きたい。貴方にとってそれは苦痛であるか、否か。恐らく99.99%の人間が苦痛と感じるのではないだろうか。
残り0.01%の否人で有る其処の貴方。自分と同じ超変人な同種である。おめでとう!勝手に祝わせて頂く。ようこそ。
...こんな感じで、例えば傲慢な王にでも成りきって脳内で会話をしていれば、森で何もせず1人でも、時間なんてあっという間に過ぎる。自分の脳を、常に自分で動かせているから頭も良くなる。脳内で将棋を指せる様にも成った。思考がクリアに成るので、自己ヒーリング能力も益々高まった。
ただし!脳を1人で動かさせすぎて傲慢になる事には注意を。相手を良く観察し、相手の意見をしっかりと聞き、肯否のジャッジもせず、森羅万象を捉え受け入れる能力は欠けてはならぬ。基本謙虚で有りたい。
さあ諸君、我を見習い世の為人の為に修行したまえ!エコに生きろ。サスティナブルしろ。ビーガンでいろ。オーガニックのみで生きよ!

今日の一言
「上から目線や支配は臆病と不安から来る非循環型の非フリーエネルギ。まあ其れもある意味、シゲキテキ。」

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12/18   24日目 雪

朝起きると白い世界だった。初雪だった。吐く息の白深さに魅了される。
マルチーズがあくびした。その際に口から出た白い息は、何だか氷を操りそうな鋭いモンスターに見える。
窓無しの小屋から舞って来た雪で、靴下が湿っていた。替えの靴下は無い。故、サンダル素足で森を歩いた。日陰の冷気が溜まるこの森の気温は0℃前後だろか。足先でクギが打てる程、深く冷えた。とりあえず内臓を温めようと思い湯を沸かした。その湯には、最近森で拾っていた柚子を入れた。黒糖も加えた。寒さと雪景色という粋な白もが加わったその味は、天昇な深みの極み、故に時が止まるかと思った。いや、止まっていたのだろう。雪の静けさが、孤独な生き様が、更にそう思わせる。
昼、日が顔を出した。森の静白をみるみる細くしてゆく。水の節約になると思い、雪を鍋に集め火で溶かし、その雪水でパスタを作った。まだ大地で磨かれていない、赤子の様なその水はやはり、まだまだ柔らかく、パスタも何時もより柔らかい気がした。好意的なパスタだった。
焚き火で体の表面を、パスタで内側を温めたら、本日も冬眠すべく布団に潜った。布団の中も外も鋭く冷たく、再び体を温めるのに3時間程かかったが、3時間経った頃の暖かい布団の中と外の冷たさは、例えるなら真冬の野外でコタツに入っている様な、温と冷を一度に味わえるあの矛盾的背徳感だった。
ふと、コタツでアイスを食べるという、人間ならではのあの極上な矛盾的背徳感を味わいたく成った。雪というアイスが周囲にはまだ沢山有るので、集めて黒糖まぶして暖かい布団の中で喰った。想像よりずっと美味しかった。普通に黒蜜かき氷だった。胃が冷えた。超低コスト背徳プレイ。幸せだ。
寒くても冬眠してても、毎日同じ味のパスタ食べようとも、自分はとっても幸せである。沢山の幸せに気付けるのである。生きているというだけで感謝が湧き、感動のあまり涙した。それは何よりも温かかった。

今日の一言
「手先の感触が無くなりそうな寒さの中で執筆頑張ってます笑」

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12/19     25日目 晴 後 雨 後 晴

さて皆様。お忘れでは無いだろうか。「シュワっち」の存在を。こちらは忘れていない。毎日同じベッドで寝ていたのだから。毎日毎日「おはよう」「おやすみ」「美味しくなあれ」「ありがとう」などと言ったテレパシーで会話していた。「言霊で水の結晶構造が変わるから!」とかいう意味合いを持って行ったのでは無く、無意識に、自然に出たテレパシーで。
そんな感じでシュワっちと過ごす時間が早1週間経った。ので、今日飲んでみる事にした。一体どんな味なのか。(全っったく炭酸気は無さそうだが)もしかして炭酸水に成ったか?美味しいのか?まず匂いを嗅いでみた。
...臭い。黄色として入れたカラシ菜の花の大根臭が強い。腐った大根の香りだ。いやいや!匂いは臭くても愛情持って共に時を過ごしたのだ、味はきっと美味しいはずだ!と、少し飲むのが億劫になった自分を無理やり鼓舞し飲んだ。
...ん?アルコール?おおお!お酒に成っているではないか!お酒といっても度数1%未満で有ろうが、この森での生活でアルコールを摂取して無いという童人的な無邪気さ有るこの舌の前では、例え微量で有ろうと感じ獲れる。そして酔える。そして味も思った程悪くない。野草たちの効能がしっかり出ていて健康に成りそうな感じもする。(既に十分健康だが)もしかしたら、もう少しアルコール度数が上るかもしれないので、最終日辺りまでこのまま置き、最後有終の美酒として味わおうと思う。ありがとうシュワっち。

今日の一言
「晴れたので冬眠終了。久々に体動かせ、心地よき。」

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12/20   26日目 晴れ

一昨日のクギが打てそうな寒さから一転、暖かい日差しと共に森の気温が心地良くなった。吐く息は白く、最初と比べたら随分寒くなったが、あの日の寒さを乗り越えた今はとっても暖かく感じる。小鳥たちも元気良く飛び回る。彼らもあの寒さを乗り越えた同志である。小鳥だけではなく、猪やアナグマ、虫たちに植物たちも、共に乗り越えた同志だ。そう思考したからか、森の一体感を以前より増して感じる。
そんな事を考えながら森近辺を楽しく散歩していたら、すごく個性的な木と出会った。枝が真横に生え、そこからさらに垂直気味に上へと生えている。何とも座り心地が良さそうだ。そして腕相撲、強そうだ。
「前世はアームレスリング世界王者でして、周囲からチヤホヤされていましたが、それに飽きたので、来世はゆっくり、じっくり、生きたいなと。そう思い私は今世、木に。成りました。」と、喋ってくれそうな木だった。優しく逞しく健かなこの木を撮った写真を、今回のこの日記のサムネイルとさせて頂く。この木の様に大きく優しく逞しく健やかに、この日記が伸びますように。

今日の一言
「あの寒さに耐えた己の体の対応力に感謝したい。」

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12/21   27日目 雨

一日中雨だった。雨の時は食欲が減る。何故かと思考した。もし自分が野生動物で有り、雨の時でも食欲が出るのなら、雨でも食を探しに森をうろつくだろう。そして体毛は濡れ、冬の寒さと共に体温が奪われ命の危機だ。特に人間という動物には、雨水を弾く体毛なんて無い。だから防衛本能として、雨の時は食欲が出無い様に成っているのではないだろうか。文明で暮らしている時は、雨の日だろうが何だろうが食欲出るから、この森暮らしで野生としての本能が高まっているのだなと、感じた。
という事で今日はそんな本能に従い、一日断食する事にした。水も飲まない。雨の時に飲まず食わずで巣穴にてジッとしているであろう猪やアナグマたちの断食パーティーに自分も参加させて頂く、という事で、またしても森の住人としての一体感が上がる様に感じた。自然界で生きる上での雨日は「そろそろ断食でもして胃腸を休めなされ。そして益々健康になり今後の生活を、地球環境を潤しなされ」という天からのプレゼントなのかもしれない。

今日の一言
「雨なので1日のうち23時間と50分以上をベッドで過ごす。それは、ひたすら己と対話する、という事。この生活でイメージ能力が格段に上がっている今、何となくイメージでショートケーキを食べてみた。毎日同じ物を食べている舌には、まるでこの世の食べ物と思えない程の美味さだった。本当に美味しすぎて涙が出た。なんて幸せなのだろう。イメージだけで。」

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12/22   28日目 晴れのち雨

昨日の雨が嘘だったかの如く晴れた。待望だった。何とも心地よい。一緒に断食したマルチーズの目が大きく成っている。そしてスッキリした顔付きだ。体も随分軽く成ったそうで、ウサギの様に森を駆け跳ねている。ニボシを食べる速度も尋常じゃない。尾の横振りの速度も尋常じゃない。お互い雨を乗り越えた事、そして森の生物たちへも「乗り越えたね」と挨拶して回った。それは何とも心地よく、清々しい朝に成った。
そうそう、最近小鳥との距離が近いのだ。気付くとすぐ近くの木に止まっていたり、小屋に入って来てくれたりと。そして何度か、小鳥と激突しそうになった。自分の真横や顔面スレスレを飛行してくる。それは自分を自然の一部だと思ってくれているからだろうか、危害と思わず飛び来てくれるのがとても嬉しい。いつもありがとう。
さて、計48時間程の断食の後の回復食をどうしようかと考えていた。断食経験者なら良く解って頂けるだろうが、パスタでは胃が重い。と、思いながら森を散歩していたら都合良く野生の大根を見つけた。大根の味噌汁にしよう。良い回復食だ。しかしまあ、雨の日は都合良く食欲が出なかったり、回復食をと思えば都合良く大根を見つけたりと。これは運的なのが良いのか、はたまたそういった宇宙のプロセスなのか。どちらにせよ、何にせよ、ロマンティック。人間という思考エネルギーが強い生き物は、自然の理に沿って生きれば、本来何も困る事無く生きてゆける存在なのかもしれない。
思考エネルギーが強い人間という生物から出る喜びや愛や感謝といったエネルギーは、自然界に絶大な効果をもたらすという事はよく知られている事だ。例を上げると、植物に良き言霊を聞かせると良く育つ、水に良き言霊を聞かせると綺麗な結晶となる、といった様に。つまり自然界からしたら、人間を喜ばせるという事はエネルギー的に都合が良いわけだから、自然界は常に人間を喜ばせようと懸命に振る舞っているのではないだろうか。あとは人間次第。自然界からのそのエネルギーに如何に気付くか、愛を受け取れるか、感謝できるか、といった所が試される様に思える。
そんなこんなで自然界と人間との間に一体感が生まれ、自然体で絶妙な加減で愛や感謝のエネルギーが、まるでフリーエネルギーの様に循環していったらと考えると...
ああ、この世界は何でこんなにもロマンティックに溢れているのだろう。

今日の一言
「寒さに耐えるべくか、肌(特に手)がキュっと成っている。お陰か、以前より寒いと感じなくなった。どんな状況が来ても、人間の体というのは、それにしっかり対応してくれる。そう考えると益々心配事が減る。あるがとう身体機能さん。」

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12/23   29日目 雪

朝起きたら、またしても雪だった。前回より深い。気温も前回より低い気がするが、体が慣れたからか大丈夫だ。相変わらずマルチーズは雪をウサギの様に飛び跳ねながら駆けている。駆け時に舞う雪の小ささが何とも可愛らしい。
雪の純白さに比べたら、サバイバル仕様の毛色なマルチーズの黄汚れさが目立つ。本当に、この子は逞しくなった。全くもって、室内犬のポテンシャル外だ。
そんな超人...超犬マルチーズとの出会いは2年前。彼女がまだ生後2ヶ月半だった頃。HPに載っていた動画を見て、即、引き取りたいと連絡した。そして初対面日、その日も雪だった。会った瞬間、寄り着いて来た。ブリーダーさんからは「あら、もう懐いていますね、早い!」と。何か運命的というか、必然的というか、そんな出会いだった。(占いという物の本質を理解しているので、全く当てにしていないが、後にマヤ暦で自分との相性を調べた所、自分にとってのガイドkin(レアな相性)だった)
今はもう大人に成り大きく成ったが、初対面時、彼女はリアル手のひらサイズだった。そんな小さくて白くてモコモコで目がクリクリした生物がトコトコと歩き回る様はもう...。
「家に向かい入れたら1週間はゲージに入れてあげてください。ゆっくり人間社会に慣らしてあげてくださいね。」と仰るブリーダーさんからの助言を右から左へと受け流し、初日から抱き合って寝た。そもそも、ゲージなど用意する気は無い。
「おうちに向かい入れてから2週間くらいしたら、少しずーーぅつ、お外で散歩して大丈夫ですよ。」に対し「了解です」と、愛想良く返事をしながら、またしても右から左、いや地平線の彼方へと受け流し、翌日から外で沢山散歩した。ブリーダーさんの仰る事は深く理解出来るが、それは室内犬界の常識であって、決して自然界の本質では無いので、まずは野を自由に駆けさせた。
それから山へ、滝へ、海へ、森へ、と...色々な場所で共にサバイバルを行った。車で車中泊しながら日本の様々な場所を巡った。(距離でいったら日本一周は軽く行っている)
沢山の人間とも触れ合った。自分の職業の一つでも有る″珈琲屋″をする時は、超絶客引き上手な看板娘として大活躍する。招き犬である。そしてこの、電気もガスも水道も家も無いこの森でも悠々と過ごせてしまう対応力。
生まれてこの方、リードをした事が無い。何処へ行ってもリード無し散歩した。シャンプー等も一切した事無い。なのに「犬っぽい匂いがしない!」と、よく言ってもらえる。(そもそもマルチーズはあまり臭わないという説もあるが。)それはドッグフードは滅多に与えないと言うのも大きいかもしれない。基本手作りのご飯を食べてもらっている。もちろん、″あれ″等もして無い。去勢手術も勿論して無い。
犬の飼い主としての、この現代社会での当たり前とされている飼い方は全くしてい無い訳だが、それは前例が無い分、勇気の居る行為だった。批判も有った。沢山迷惑も掛けた。笑
だが、そうやって社会のルールに反して育った愛犬はとても賢く、強く逞しく、体も丈夫で身体能力も凄く筋肉隆々、コミュニケーション能力高く愛嬌豊富、様々な愛をもたらしてくれるスーパードッグに成った。本当に頼もしい。本当にありがとう。
今日は、この1ヶ月森籠り生活の最後の夜。なので最後に一つだけ、この日記の読者の皆さんに伝えたい事があるので、聞いて頂きたい。

「人間である自分の人生も、犬である愛犬の人生も、この社会という支配的なマトリックスから勇気を持って脱出したら、素敵な世界を切り拓けました。きっと大丈夫。きっと上手く、ゆく。」

今日の一言
「最夜と言う事でシュワっちを飲んだ。なんと微炭酸に成った!まさかの成功した!しかも美味い(今思はパラダイス酵母やシュワさかさん、といった物も同じ製法で作られてるだろうから、成功したのは当たり前なのかもしれない)
ああ、幸せだ、こりゃ。」

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12/24   30日目 雪晴

素晴らしい30日だった。充実の達成感。頬や口角も自然と上がる。この森で野生的な生活が出来た事に感謝。ありがとう、森。ありがとう、動物たち。ありがとう、植物たち。土、火、木、日、月...ありがとう。感謝が尽きない。本当に幸せだった。ありがとう...
と、このまま良い感じのエンドロールで締めくくりたい所であるが、今後も引き続きこの森で生活をする。笑 これが、日常である。森の外へも出歩ける様に成ったというだけで、然程変わらぬ日々が今後も続く。(この生活が日常というのは世間からしたらヤバい事なのだろうが)
だから あらためまして、森の全てに、今後とも宜しくお願い致します。いつもありがとう。

さて、この後文明に行く予定が有る。しかも某大都会へ向かう。文明の無い森から、文明超最先端である地へと。いやいや、月よりも狂ってしまうのではないか?刺激が多過ぎる所ぞ?森から遥か遠くで光って見える信号機というLEDライトですら目が痛いぞ?笑
この30日間、自然の匂いのみを嗅いできたが、文明の匂いは如何程ぞ?
人々のエネルギー状態はどう成っているのか?味覚は?聴覚は?本当に色々な意味でヤバいと思うが、この高低差を体感してみたかった。誠に変態の極みである。
「そんな状態で挑む大都会での冒険は果たして如何だったか!?」という事などは、今後各地で開催させて頂くであろうトークイベントやサバイバルイベント等にて、面白おかしく話が出来たらと思います。ご機会ご縁のある方、お会い出来る事を楽しみにしております。

よし、締めよう。
ここまでこの日記をお読みくださり本当にありがとうございました。森で過ごした感動や美しさ、幸福感などが少しでも、必要としている多くの方に伝わると幸いです。
「現代社会の破壊的な、そして支配的な世界」に気付き出す人が増え、「自然と寄り添う循環型な暮らし」がブームに成りつつ有る現代において、この日記がきっかけで更なる後押しと成れたら。あば良くば、森等でガッツリと例えばアマゾンの先住民原住民的、脱文明的に暮らす人口が増えたら地球は更に美しく...
そうで有っても無くても!この日記をお読み頂いた方に少しでも何か良い発見や、きっかけ何てのが有れば、そりゃもう幸いです。
こちらスマホ持って無く、Wi-Fiが有る所でのパソコンからでしか投稿できないので、引き続き超スロー投稿ではありますが、引き続きインスタ、Facebook等でも引き続き宜しくお願い致します。
それでは皆様、また何かしらで!

今日の一言
「30日間飼い主と同じで、同じ味付けを食べ続けたマルチーズに例えば、チュールとか与えてみたとする。その際の目の輝きは如何程なのだろう。なんちゃって。」

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