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コント作りにおいて考えたこと Part1

今日みたコント、千原兄弟のタイピングのコント、巨匠の学校のコントなど。
まず、コント作りにおいて始めに(始めにじゃなくてもいいかもしれないけど)考えるべきは、前提となる状況、フリの部分で、そこが決まればその逆のオチを考えることで骨組みは出来上がる。今書いていて思ったのは、コントならではの強みというか醍醐味は、複数の人間による(ひとりでもいいけど)やりとりが作り出す”状況の面白さ”であるということ。(そう、まるでセザンヌの静物画に描かれる物と物との絶妙な関係性のように!)
つまり状況そのものを面白くしていかないといけなくて、状況が面白くなるということはつまりどういうことかというと、変化していって、次にどうなるかわからない、ということだと思う。(ただ、同時に大方の人間の予想の範疇である必要もある。そうじゃないとシュールな尖ったものになりすぎてしまう)まぁ、つまり論理として通っているものである必要があるということで、基本的にはそうやって作った方がいい。(もちろん、そんなことは全て無視して作ってもいい)
ここで、最初に重要となる、設定、フリはどんなものであるべきかということを考えていきたい。まず思い浮かぶのは、わかりやすいこと。オチとのコントラストが際立つことが大事なので、なるべく極端に良い人か極端に悪い人、みたいにイメージしやすい像(ステレオタイプ的な)があった方が、その後のオチを考えやすい。


例えば、千原兄弟のコントは最初に提示される人物像として不器用だけど真面目で人情味のある壮年の刑事という、頑固そうな硬めのイメージ、ちょっと渋くてカッコいいみたいな”良い寄り”のイメージから、タイピングによって無意識に性癖が露呈し(ここが見事!)どんどん変態的なイメージへと変わっていく様が面白い。
オチは、正直タイピングが早くなった最初のタイミングで訪れているともいえる。だからオチは最後だけにあるわけじゃなく、前提となる状況を続けながら、変化をつけながらいくつか連発で落としていくものだということ。千原兄弟のコントの場合、変化の付け方にも工夫があって、最初はブラジャーやパンティから始めて、どんどん少女趣味の男性であるという、より気持ち悪い方向に性癖がバレていくという流れになっている。

なので、定石としてフリの人物像はなるべくステレオタイプ的な極端さがあった方がいい。そして、もちろん設定は人物像だけで完成するわけではなく、その状況、人物たちの関係性、目的、どういうやり取りの場面なのか、など複合的に組み立ていくことになる。そして、フリとしての設定ができたらそことミスマッチなものを探すなどして、オチとなる設定を考えていく。(つづく)

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