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武器屋より道具屋の店主になりたい

「所詮お前は人生の主役になれない人間だ」という言葉が嫌いだ

というか意味が分からないのである。視点はどこからの話なのだろう、としばし悩むのである。この言葉を発する人間はきっと自分こそが人生の主役だと言いたいのだろう。そりゃそうだ、自分の視点からでしか理解できていないからだ。自分の生き様に合わない人たちはすべて脇役にしたくなるだろうし、自分の主義主張に反する人ならば端に追いやって村人Aとかを演じてもらっているだろう。まるでRPGの世界である。

ドラゴンクエストというRPGは自分が勇者であるので自分視点で物語がすすむのは仕方ない。しかしドラゴンクエストには素晴らしいモブとしてそれぞれの村や町に住む住民たちがいて、その醍醐味として彼らとの会話がある。あの村人たちは、話しかけると非常にいきいきとそれぞれの人生を生きていることを実感させてもらえる。あの人達は勇者でもなんでもないけれどそれぞれの一生の主役であると話しかけるたびに思っている。それを否定することは私にはできない。敵の悪役キャラでもそうだ。ゴーレムなんてそれこそ主人公になってもおかしくないエピソードがある。

ワンピースという説明も必要もないすばらしい漫画を読んでいてもわかる。主人公の麦わらの海賊団のメンバーだってそれぞれ主役になれるエピソードがある。敵対して戦った悪役もいつの間にか仲間になっていたりする。あの漫画を読んでいるならそれこそ人生の主役になれない奴なんて言えないと思う。それぞれの生き様を否定することはできない。

自分を同じ土俵に立たせないで相手の話を聞いて理解すると自分を俯瞰する材料にもなる。何がそんなに嫌なのか、相手の何が気に食わないのか。大抵自分に返ってくるし自分の偏りさえも気づくことがある。それをモノにしない手はないと思うんだけどなあ。

私はそれぞれの人生はその人の好きなように生きる権利があると思っているのでそれを否定するような「人生の脇役」のレッテルを貼る行為が好きでないだけなのだ。
本当に大っ嫌いなんだな。
多分私がそうやって生きていたいんだなと思う。
相手の生き様を見つめていれば確実に自分の心の中を、着実に、ステップアップしていける、そう繋がっていくと思っている。