デジタル全盛のこの時代に印鑑の廃止もできないなら技術革新とか二度と言うなという話

アメリカを見ればシリコンバレーでは年収約2,000万円(20万ドル)でも最下層と言われ、中国の先進都市では顔認識システムが店舗に入って財布どころかカードも持たずにスーパーで買い物ができる状況になっているというのに、日本では経済縮小が地方経済を中心に止まらず進み、地方銀行が支店を閉鎖したいのに地元のお年寄りがATM使えないから町ぐるみで支店を残せという運動が持ち上がるなど、イノベーション以前の問題が報じられたりしています。かわいそうな鳥取銀行。  

ただでさえ人口減少と産業衰退で地域経済がアカン状態になり地方金融の再編も待ったなしのところで、その老いた顧客からの切実な願いを聞き届けられる状況になくなってしまうという。技術革新とか言ってる前に、地域に住んでる高齢者と一緒に地域や産業が死んでいく。死ぬのにもカネがかかるから、中央からカネをぶち込んで一緒に沈もう日本ってな感じです。

町長が発した衝撃の投稿https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190213/k10011812991000.html  
デイケアの施設に連れて行くと、時代に取り残された人々がハイテクの恩恵を蒙ることなくただただ最期の瞬間をゆっくりと老人がテーブル囲んで輪になって、若い人と一緒に歌いながら紙工作やってるんですよ。「老いる」というのはかくも残酷なものなのでしょうか。そういう人たちのお世話で本来は未来を背負っているはずの若い人たちがせっせと働いているのを見ると、日本の退廃を突きつけられた気分になって、アメリカや中国を見習い、最新技術を駆使できる日本社会たろうという掛け声のむなしさすらも感じるわけであります。  

先日も、タクシー業界が経済産業省の進めようとしている「ライドシェア」なる白タク推進の方針に反対して、400台のタクシーが集まって経産省庁舎を囲みデモンストレーションをしていました。人工知能が普及し自動運転の時代になればタクシーの運転手は真っ先に仕事がなくなると煽られ、一方でライドシェアが盛んになればUberや中華系アプリなどでの白タク配車が当たり前になってしまう状況で、タクシー運転手や業界の危機感はそれは凄いものがあるでしょう。  
一方で、白タクであれ民泊であれ、いまの日本のイノベーションは全体的に「そこの業界で働く人の賃金を下げる方向で拡大する」という付加価値の乏しいビジネスばかりが花盛りになり、これって本当に生産性を引き上げるイノベーションなのかと疑問に思う部分もあります。誤解を怖れずに言えば、低賃金の素人をデジタル技術でスキル底上げして、それまで専業でやってきたノウハウのある人たちの稼ぎを下げる仕組みに他なりません。生産性が向上するわけではなく、サービス水準もさほど上がらないのに、これがイノベーションだデジタル社会の新しい姿だと言われてもピンとこねえよというのが正直なところです。  

確かにタクシー業界は規制に守られており、旅館やホテルは旅館業法に縛られているとはいえ、そうであるがゆえに働く単価が維持され仕事に対するクオリティが担保されている面もあったわけです。が、うっかり規制をドーンと緩めたときに、米ニューヨーク市で起きているようにUber、Lyft、Via、Junoなどのアプリ4社の運転手が増えすぎたため、市が運転手の新規雇用を抑制する方針を打ち出すなど混乱が続いていますし、宿泊先を中華アプリ内で決めてしまう中国人旅行者はどこにどれだけ宿泊しているのか分からず民泊地帯の治安が悪化してしまうなどの問題もまた指摘されるわけであります。  確かに世の中は便利になったけど、その便利なツールを巡って「上がる生産性の結果、事業者は利益を出すけれども、働く人の賃金はむしろ抑制されてしまう」ことでイノベーションが社会を豊かにするどころか困窮する労働者を増やす恐れもまたあります。  
さらに、冒頭で取り上げたように、たかがATMならいくら何でも老人たちももう使えるようになれよと思いつつもスマホで決済、QR使えます、顔認証でラクラク取引という仕組みが増えていくと、今度はそこで得られた位置情報や決済情報など個人に関する情報が本当に適切に管理され、みだりに第三者に自分の情報が提供されないで済んでいるか確認するコストも増えていきます。  
その最たるものは、電子署名などで印鑑の捺印が要らなくなるという「押印制度見直し」法案が検討されておったわけですが、危機感を持った印鑑業界の強い要望で一転、印鑑の義務化が残ってしまい、また無駄な印鑑証明を取り書類に添付しなければならないという実に残念な状況が継続することになってしまいました。いったい何を考えているのでしょう。公式文書に時代遅れのスタンプを捺し、日本でしか通用しない元号で書類を管理するという凄まじいコストが特定業界の利益のために温存されてしまうとか、本当にやめてほしいんですよね。  

タクシー業界や印鑑業界は、どうせイノベーションの荒波に飲まれて死ぬのだから、変な抵抗をせず諦めて次の仕事を探しなさい、という乱暴な議論には与しませんが、少なくともイノベーションと規制改革で考えるべき問題は「その技術革新を制度的に取り入れた結果、国民の生産性はどれだけ上がり、全体の賃金がどれだけ確保できるのか、先のある安全な仕組みにできるのか」であってほしいと思うんですよ。  
かつてイギリスで自動車が普及し始めた際に同じく危機を感じた馬車業界が政治にねじ込んで自動車を走らせるにあたっては安全を確保する目的で車の前に赤旗を持った人を歩かせなければならない、という謎の法律ができて、世界的に進展著しかった自動車産業の成長の中でフランス、ドイツの後塵を拝する屈辱をイギリスは味わうことになります。  
この場合、馬車を運転する人たちは自動車を扱えるようにスキルを移行することはできたであろうし、自動車を製造するという産業そのものが生産性を高めることができるという側面があります。翻って、白タクや民泊がどれだけ日本の生産性を増やすのか、技術的に将来価値のある世界を切り開けるのか、労働者の賃金を引き上げることに貢献するのかを考えれば、単にシェアリングエコノミーといっても課題は大きいと感じるわけです。  

つまりは、働く人たちや社会への影響はなるだけ最小限にしつつも、世界的に見て不適切であろう規制は撤廃して適切な競争戦略を導きましょう、という産業と社会全体のグランドデザインがない限り、日本はアメリカや中国をキャッチアップすることはできないということになります。本来は、企業活動が活気づき、多くの雇用を生み、働く人たちが安定して、高い報酬が得られることがイノベーションに求められる作用のはずです。  
しかしながら、実際に起きていることは「法律に違反していなければ何をしても良いのだろう」というような倫理観なき企業活動の活性化であり、働く人の賃金を抑えたいから外国人労働者がやってくるようになり、イノベーションは何故か日本ではより賃金を下げる方向で動いてしまうのが悩ましいところです。技術革新が進んで、取り入れた企業は栄えるのでしょうが、実際にはそこで働く人がより安くコキ使われるような仕組みでしかないならば制度的な面でもう少し補助が必要になるでしょうし、なんかこう、ちょうどいい仕組みを考えることはできんのか、と毎回思ってしまうのでした。

https://bunshun.jp/articles/-/11074