ハレルヤ・チキン・ラン・バンド

この度、めでたくLPとしても再発されるようだしエモい思い出を書き連ねてみようかなって思う。飽きたり疲れたら公開しないでお蔵入りするけど。読んでるあなたがいるということは、飽きもせず疲れもせずだったということだろう。よかったよかった。

さて、あれはかれこれ7年か8年ぐらい前だろうか。

当時の仕事の絡みで赤い疑惑というバンドのフロントマンであるアクセル長尾さんと2人で食事をする機会があった。それぞれ取引先という関係性で、アクセルさんが当時在籍していた会社を退職されるということで律儀にも一度会って挨拶をさせて欲しいと言ってくださったんだと記憶している。

その当時、私はそれまで愛聴していたスカやロックステディ、レゲエから、そのルーツでもあるカリプソやメントへと食指を伸ばしていて、よりパーカッシヴな音を求める傾向から、サルサのルーツとされるボンバやプレーナ、クンビアなどにも興味を示していたところ、それを知っていたアクセルさんがオススメのクンビアのコンピを教えてくれたのだった。

その時、当時赤い疑惑が主催していたイベント『東京チムレンガ』の話になり、"チムレンガ"とはジンバブエの言語であるショナ語で"反逆"って意味だということを教えてもらった。そして、その言葉を提唱したのが"ジンバブエのライオン"ことトーマス・マプフーモだということも。

当時から、なによりもアティチュードがパンクにおいては大事だろ、という思想を持っていた私はその"反逆"というキャッチーな響きに色めき立ち、トーマス・マプフーモという人に俄然興味を持ち始めた。アクセルさん曰く「レコードなら多分安く見つけられるよ」とのことだった。まだ、昨今のようにアナログ・ブームが到来する前夜のことで、CDの需要はまだまだ健在だったのである。

当時の私のメインのリスニング・フォーマットもCDだったため、まずはマプフーモの新品CDを探した。諸事情があって中古よりも新品のほうが買いやすかったのである。ところが、CDはなかなか見つからない。そんな中で、マプフーモが在籍していたバンドということで引っかかったのがハレルヤ・チキン・ラン・バンドだったのである。

とにかく節操のない私は在庫があったZOOT SUNRISE SOUNDSのオンラインショップで購入。どれどれ、といった心持ちで聴き始めてみたところ、冒頭1曲目、イントロのギターリフで脳天をぶっ叩かれた気分になった。なんて澄み切った音を出すんだ!そう思ったのである。

当時の私の中のアフリカの音楽に対するイメージは酷いものであった。奇妙なリズム、民族的に過ぎるチャント、呪術的なメロディ…。具体的にそう思っていた訳ではないけれど、言語化するならばそんなところだっただろう。いわゆるアフリカ大陸に対して差別的な眼差しを持つ人が考える前時代的なイメージと同じようなものだったのである。

2曲目を聴く頃には、そんな己の無知さ、無教養さ、愚かさに対して心から恥じるようになっていた。それぐらいに彼らの演奏は洗練されていて、秩序立っていたし、コンテンポラリーとして成立していた。今聴けば、それらに通底している強烈なグルーヴに気付くこともできるが、当時はそんなことはわからなかった。それがわからなくても、メロディの美しさ、シンプルだけど強度の強いリズム、テクニカルなギターなどは十分過ぎるほどに魅力的だったのである。とりわけ、メロディのキャッチーさ、取っ付きやすさは衝撃的だった。

以来、私の考え方から前述の愚かなステレオタイプは消えた。考え方が一変した、と言えばそれは嘘になる。ただ、愚かな偏見を持つことはなくなった。例え少ない範囲だったとしても、ある程度アップデートはされたんだと思う。もちろん、ハレルヤ・チキン・ラン・バンドはとりわけキャッチーな方でもあったし、アフリカと言ったって国や地域によって音楽性は全然違うこともあって、その後に買い漁った他の音源でうまくハマらない物もあった。我慢して聴き続けて、ある日良さが染みてくるものもあれば、ずっとそうならないものもあった。それは単純に好みの問題でしかなかった。少なくとも、私の中ではアフリカの音楽が、欧米や中南米の音楽と比べて劣ることも、遅れているとも考えることはなくなったし、一つの確立された素敵な文化として受け入れることができていったように思う。

そう言う意味では、アフリカ音楽に興味を持ち始めた頃に出会ったのがこのアルバムで本当に良かったな、とつくづく思う。このアルバムがとてもキャッチーで、内容が良いものでなかったとしたら私は我慢強く聴いてもいなかっただろうし、アフリカ音楽に対するイメージもまた違っていたかもしれない。その後、セネガルやガンビアの音楽を通してハイライフに出会うのだが、一番最初にオールドスクールなハイライフとして聴いたレックス・ローソンやヴィクター・ウワイフォ、セント・オーガスティンを、スカやロックステディ的な解釈で偏見なく聴くことができたのも、ハレルヤ・チキン・ラン・バンドがあったからだと私は思うのである。


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