拝食主義の豚〜僕は鶏皮が食べれない〜

前にブログにも書いたことがあるが、自分の中でも今だに忘れられないことなのでここにも書いておこうと思う。

その話はまだ幼い頃にまで遡る。

保育園に通っていて、それなりに記憶もあるので5歳前後だったと思う。

その日の給食ではスープが出た。

そのスープには鶏皮が入っていた。

噛もうとしても噛み切れない。

だから飲み込もうとしても飲み込めない。

大きなままで飲み込もうとすると、どうしても喉につっかえてしまう。

それを繰り返していたのだが、先生にはどうやら僕が嫌いだからそうしているように見えたらしかった。

結局、皆が食べ終わる時間になっても僕はその鶏皮を飲み込むことができなかった。

先生は僕の手を引き、別の部屋に連れていく。


僕はスープの器を持ったまま、押し入れの中に入れられた。

それはどこまででも続きそうな暗闇の中。

泣き叫びながら、扉を何度も叩く。

扉を塞いでいる先生は、外から

「全部食べるまで出しません!」と怒鳴る。

必死で鶏皮を流し込もうとする。

だが、やはり戻ってきてしまう。

それでも暗闇に一人でいるのだけは、どうしても辛かった。

だからまた扉を叩くけど、一向に開く気配はない。

今思えば、人生で一番泣き叫んだのは、その時だったような気がする。

幼い僕には、それが永遠に続くのかと思うほどの絶望だった。

絶望なんて言葉はその当時、知る由もないが。


無我夢中だった。

孤独で、冷たくて。

何よりも暗い。

何よりも怖い。

その扉は、開かない。


どれくらい、押し入れの中に入っていたか分からない。

先生が扉を開ける。

僕は、さらに泣いた。

そのままそこで死んでしまうのか、そんなことを考えていたからだ。

いつの間にか、僕は鶏皮を飲み込んでいたらしい。

先生は優しい言葉をかける。

「よくたべたね」

「えらいね」

僕はその時、そんな言葉なんか耳にも頭にも入らなかった。

生きて外に出られた、それを実感していた。

そんな褒めるような言葉なんていらなかった。


僕はその時から、鶏皮が食べれなくなった。

見るだけでおぞましい。

そして、あの暗闇を思い出してしまう。



今の時代では考えられないことだろうけど

僕の若い頃には、体罰のようなものがたくさんあった。

だけど、こんな直接的な罰なんて、結局嫌いなものを生むだけじゃないか。

幼い子供の心にトラウマを植え付けるだけじゃないか。

大人になった今では怖くも何ともない押し入れだけど、幼い子供にとっては恐怖そのものだ。


タイトルに拝食主義の豚なんて悪口のように書いたが

日本人の「もったいない精神」は悪いこととは思わない。

そりゃもちろん、ご飯がまともに食べれない国の人もいるし

普通にご飯が食べれない時代もあったのだから。

ただ、その正義を振りかざして強要することが正しいとは、僕には思えない。

昔から「食べ物は残してはいけない」と周りの大人たちに言われてきたし、

僕はそれを愚直にもずっと守ってきた。

前に知人にこんな話を聞いたことがある。

「ご飯を残すな」と教わってきて、それを守り続けてたせいで胃を壊したことがあるらしい。

その言葉は、自分の身体を壊してまで守るものなのだろうか。

「ご飯を残さない」という、その思想は、その思いは素敵なことだと思う。

だけど、それを強要することはどうなのだろうか。

僕がいつも語る『正義の角度』のようなものだ。


僕はあれから鶏皮がどうしても食べれないわけだし、

結局あの時に「好き嫌いをするな」と押し付けたことが本末転倒というか。

あの先生は先生なりの正義を貫いたのだと、そうは思っている。

だから批判もしないし、恨んでもいない。

だけど、その正義を一方的に押し付ける大人が増えないことを僕は祈るばかりだ。

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