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文字とハンバーガーを交互に噛みしめる

文字をカバンに入れて連れ出す。カーキ色の斜めがけショルダーバック。助手席に投げ込む。玄関のノウゼンカズラは驚異的に庭に緑を付け足す。昨日のそれとは全く違う。生命力。葉緑体。光合成爆発。からの梅雨。天からの恵。

車で数分、コーヒー。ハンバーガー。無心で貪る。

コロナのせいか、おかげか(物は言いよう)店内はまばら。ぽつりぽつり。静寂。助かる。

文字と仲良くやるために、暮らしの細々したものに邪魔されないように、文字とふたりきり、耳は音楽で栓をした。もう大丈夫。ほら二人きりじゃん。(なんて本当は言ってない)文字に耳はない 聞く耳を持たない。

連れてきた文字をハンバーガと交互に噛みしめる。濁音、半濁音、咀嚼音のビートが絡む。文字とスマホの画面と交互に目に晒す。脳に染み込ませて、通過させて心にしまう。ハンバーガーとともに血肉にする。少し気が散ってき始めたら、もう一つの目的にベクトルを向ける。逆の作業である。

心から取り出して脳でほぐして言語化。口から文字を吐き出すこともあるが今日はライブでもなんでもない。文字の羅列を、言葉を紡ぎに、来たのだからノートに、スマホに、書く。殴り書きとはよく言ったもので半ば殴る勢いで、紙を小さなインク付きのボールでこする(インク付きのボールがついた棒はボールペンと言われ多くの人に親しまれている)紙なんて破ってしまえ。勢い。あまりにテンションが上がりすぎるともう文字が踊り出す。ペンを動かす行為に酔っているように。後で見たら読めないなんてこともざらだ。後の祭りである。祭りなら酒でも飲んで忘れようか。強烈なフレーズはそれでも覚えている。

 そして三つ目の文字との戯れ。好きな英詞の歌を日本語にすり替える。最近やってる。

”自分が喋れない言葉で歌うことを20代半ばぐらいから自分で禁止にしていた。英語を聞き取れない人に向かって英語を喋れない自分が歌うことにモヤモヤがあった。(もちろん音楽は言語だけじゃないのも知ってる)ラフにカバーなどはしていたかもしれない。昔のこと、くっきりはっきり覚えていない。20代の記憶や失敗なんてものはアルコールで少し溶かしたまま。滲んでる。sixでも英語は多分 sixty or seventy over rover(老婆) って歌った 60とか70オーバーの老婆の歌だけだったと思う”

英語で歌いたくなった。好きな歌を書き出す。和訳する。歌詞に出てくる単語くらいならなんとなく分かる。毎日はできないが一日一つ好きな曲を理解する。風向きが変わったら違う場所を歩くために。物理的な話ではなく感覚的に。

計四時間コース。長居しすぎた。脳は疲弊して軽い頭痛。足早に連れて来た文字、捻り出した文字、別々のベクトルの文字をカバンに詰め込みやはり助手席に投げ込んだ。スーパー二軒は時短でしまっていた。三件目で祝杯のビア購入。祝うことなど何もない。何もなくてもいいか。生きてる。今日も生きてる。おれ。読んでるくれてるあなた。おめでとう。プシュっとプルタブに手をかけて炭酸を喉にくぐらす。すっと眠気が舞い降りて来てソファに沈み込んでいった。zzzzzzzz





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