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百年の泉/平芳幸浩,京都国立近代美術館

「とはいえ、本書は、「《泉》とは何か?」という問いに対して正解を出すものではありません。男性用小便器が、なぜアートとなるのか。《泉》の何が後代のアーティストや研究者や批評家、あるいはアート好きを魅了してきたのか。その謎に触れてもらうためのケーススタディ集なのです。さしずめ『《泉》過去問題集2017-18年版』といったところでしょうか。答えはまだ出ていないかもしれませんし、とっくに出てしまっているかもしれません。あるいはデュシャンなら、こう言うでしょう。「答えなんてないさ。なぜなら問題がないから」。」(p.17)
「それゆえ、《泉》としての男性用小便器は、ヨーロッパのダダのように現在が過去に突きつけた決別ではなく、未来を作ろうとしている現在の者たちの輪の内部に胚胎したものなのだ。表現における自由と平等を過激に突き進もうとする者たちと、前衛の顔をしながら旧弊な価値観を擁護する者たち、アレンズバーグ・サークルに集った両者をふるいにかけ、連携すべき者と切り離すべき者を選別する装置、それがニューヨーク・ダダにおける便器の機能であった。」(p.35)
「デュシャンは常に、自分とは違う何かへ変身することに取り憑かれていたかのようだ。1921年には、化粧をして帽子をかぶり着飾った女性の姿をマン・レイに撮影してもらっている。ローズ・セラヴィ(Rrose Selavy)の誕生である。」(p.50)
「工業製品を買ってきてサインを入れるだけ、あるいは言葉を書き込むだけで、まったく手を加えずに作品にする「レディメイド」をデュシャンが始めたのが1914年です。その50周年記念に、デュシャンのレディメイドを再制作するプロジェクトをシュヴァルツ画廊が行いました。そこで8セット販売されたうちの一つが、この京都国立近代美術館に収められています。現在、アメリカのフィラデルフィア美術館には何点かのオリジナルのレディメイドが所蔵されています。レディメイドとは「既製品」という意味ですので、工業製品を美術品とすることです。しかし、ここに展示しているものは「再制作品」なので、実は「レディメイド」ではなくて「オーダーメイド」の作品です。美術館にあるものはすべてオーダーメイドのはずなので、オーダーメイドのものを観にきているつもりが、便器が置かれていて、「これはレディメイドではないか」と憤慨する人もいます。しかし、実は目にしているのはオーダーメイドであるという、屈折した状態がここに生まれているわけです。」(p.62)
「デュシャンはこれを展覧会に出して、いったい何がしたかったのか。この点についてもさまざまな解釈があります。一般的には、美術品が並ぶ展覧会に便器を出すということはーーーそれもモダン・アートの最先端の表現をやろうとしている若い連中たちが作品を発表する場所に、便器を投げ込むわけですからーーー、美的な価値を頭ごなしに否定する行為の象徴として見なされてきましたし、いまもそのような解釈が一般的だろうと思います。」(p.63)
「スティーグリッツとデュシャンがタッグを組んだ理由のひとつが、数年前に北米の研究者から提示されました。
それは次のようなものです。ロバート・コーディーという人物が、美術批評誌「ザ・ソイル」を1910年代にアメリカで出しています。「第1回アメリカ独立美術家協会展」が開かれる直前に刊行された「ザ・ソイル」で、コーディーは徹底的にスティーグリッツの悪口を書きます。ギャラリー291を舞台としたスティーグリッツの活動のひどさを攻撃する批評文が載せられます。その号ではスティーグリッツに対する攻撃文と併せて、巨大な蒸気ハンマーの図版と、ニューヨーク・セントラルパークのコロンバス・サークルにある巨大な噴水(fountain)のモニュメントの2点が並んでいます。その2点が並ぶと、実はかなり似た形状をしている。巨大な機械とモニュメントとしての噴水を並べて比較しつつ、記念理とはいったい何かということを問うています。デュシャンが選んだ便器の形状が、そのハンマーの形状に酷似しているわけです。その研究者は、噴水の水盤の部分の形状を上から見るとそっくりだとも言っています。果たしてデュシャンが、上から見るというーーードローンでも飛ばせば見られるんでしょうけれどーーー当時は見られなかったその角度からの形状を、どれほど把握していたかは疑問ですが。
さらに興味深い符合は、デュシャンが《泉》を「アメリカ独立美術家協会展」に出して展示拒否に遭い、『ザ・ブラインド・マン』2号に載せた抗議文の中で「アメリカ社会と配管」を論じる際の言葉遣いが、コーディーが雑誌「ザ・ソイル」の中でモダン・アートを攻撃するときに、機械と配管器具とアートの関係を語っている論調の完全な裏返しになっている点です。
ですから、スティーグリッツが撮影した《泉》の写真を見る人が見て、「ザ・ブラインド・マン」の抗議文を読む人が読めば、コーディー批判になっていることがはっきりしているということらしい。スティーグリッツとデュシャンがコーディー批判で共鳴し、タッグを組んで攻撃する。この観点では、なぜ便器が選ばれたのか、なぜスティーグリッツが撮影したのか、なぜ「Fountain(泉/噴水)」と名付けられたのかについて、かなり説得力のある説明が成り立つと、私は思っています。」(p.66)
「《泉》は「何かを壊そう」というよりも、「なにか新しいものをニューヨークで作っていこう」とするためのひとつの布石だと見ることができると思っています。」(p.67)
「おまけに、かなり露骨な話ですが、デュシャンは便器を女性器に見立てていた可能性が高い。つまり、男性器から出される液体を受ける場所として理解をしていたわけです。あれは男性の象徴ではなく、デュシャンにとっては女性の象徴だったのです。」(p.68)
「はじめに、マルセル・デュシャンがいろいろとインタビューを受けたときの言葉をいくつかご紹介します。まず、アートとは作り手だけのものではないということです。つまり、アートには二つの極があるという。一つの極には、作る「アーティスト」がいる。もう一つの極には、それを鑑賞する「鑑賞者」がいる。この両方がないとアートは成り立たないと言っています。むしろ鑑賞者、作品を観る人にもそうとう重要な役割があると、彼は言っています。別のインタビューでは、アーティストは自分の作品を完成させることはできないと言っています。何を作ろうとしているのか、何を意味させようとしているのか、自分ではよくわかっていない。だから、半分しか作ることができません。作品を完成させるのは鑑賞者。作品をどう扱うか、どう観るかという鑑賞者の役割が非常に大事だと言っています。」(p.81)
「リチャード・マット事件
(独立美術家協会展は)6ドルを払えばどんなアーティストも作品を展示できるという。リチャード・マット氏は《泉》を送った。しかしなんの相談もなく、この作品は姿を消し、決して展示されることはなかった。マット氏の(泉)は何を根拠に出品が拒否されたのか。
1.ある者は、《泉》は不道徳で、卑俗だと主張した。
2.別の者は、《泉》は剽窃にすぎず、ただの水回り品だと主張した。
さて、マット氏の《泉》は不道徳ではない。浴槽が不道徳でないのと同じであって、こんなことはばかばかしい議論である。水回り品を売る店のショー・ウインドーで日々目にする、ひとつの住宅設備である。マット氏が自らの手であの《泉》を作ったか否かは重要なことではない。彼はそれを選んだのだ。彼は平凡な日用品を取り出し、新しい題名と観点の下に置くことで、本来もっている実用的な意味が消えるようしむけた。すなわちあの物体に対して新しい思考を作り出したのだ。
 排水設備だったとしても、だから何だと言うのだ。アメリカが生んだ芸術品といえば、排水設備と橋しかないではないか。」(p.87)
「デュシャンがのちのインタビューで、アートとは何かということを説明しているんですよ。これが絶妙です。「アートとは、もともと語源としては『作る』ということを意味しています。したがって芸術とは手で作られたもの、また一般に、個人によって作られるものすべてです」って、マジで言うんですよ。ここでびっくりしちゃうわけです。本当は「芸術とは、手で作られたすべてのものである」というほうが常識なんですけど、レディメイドを作品だって言っている人が「手で作られたものがアートだ」って言うから、「えっ?」となるんです。ここからデュシャンはすごいことを言っています。「じゃあ、『作る』とはなんでしょうか。例えばキャンバスに絵を描く場合。それはすなわち、絵具のなかから、青の絵具のチューブか赤の絵具のチューブかを選ぶことです。選んできた絵具をパレットの上のどこに置くかも選びます。さらに、筆に絵具を付けて、キャンバスのどの位置に絵具を付けるかも選ぶ。絵を描くとはそういうこと」だと。だから、「画家はいつも選んでいるんだ」という言い方をする。何かを作るということは、実は青や赤の絵具を選んでいるということになる。そして、このあとがまた飛躍するのですが、「絵具や筆を使うことも「作る」ことだけれど、別に絵具を使わなくても、筆を使わなくても、なんでもいいじゃないか」と。既成のなにか、つまり出来上がっているもの、レディメイドでもいいじゃないか。人が作った物でもいい。それを利用してもいい。「なぜならば、選ぶことが問題だからである」と。」(p.90.91)
「結論として、「芸術は作ることであり、作ることは選ぶことである。すなわち、芸術は選ぶことである」と言い切っているわけです。これは晩年の発言です。」(p.91)
「デュシャンがニューヨークで小便器を弄んだ1917年から死去する68年までの約50年間に、本人が意図的に行ったとしか思えない相矛盾する証言の数々、そして今日まで続く時限解除鍵を組み込んだかのような間歇的な(新資料の発見)などを考え合わせると、《泉》に関わる謎のすべては、あらかじめデュシャンが設計していたのではないかと思われます。その企てとは、近代美術史の物語(進化とオリジナリティを礼賛します)の中に、無意味で無趣味で空虚なレディメイドの《泉》を「20世紀で最も重要な美術作品のひとつ」に変貌させる「言説の迷宮」を建設すること、しかもその構築を他人任せにするという狡猾なプログラムであったような気がします。結局のところ、物理的にも概念的にも、《泉》のオリジナルとはなんだったのでしょうか?それは私たちの脳の中に居座ってしまった幽霊なのでしょうか?この問いにデュシャンはたぶん、彼が1917年に多用したフレーズでこう答えるだろうと想像できます。「それはどうでもよいことなのだよ(Celan'a pas d'importance)」と。」(p.121)
「いちどこの疑問を持つと、「実はデュシャンは、一連の事件のなかで数個の便器を用いていたのではないか」という結論に直結します。冒頭の話につなげると、デュシャンがいろいろな《泉》の行方について語っているけれども、彼は何も嘘を言っておらず、事実のすべてを語っていないだけだと仮定するならば、会場でなくなったというのも事実かもしれない。スティーグリッツが撮影し、ギャラリー291のゴミとともに消えたかもしれない。」(p.150)
「つまり、われらが《泉》の現存する唯一の画像として信じているスティーグリッツ撮影の写真は合成写真であり、厳密な意味での被写体/実体は存在しないという可能性があります。」(p.152)
「何が言いたいかというと、《泉》の、常套的な意味でのオリジナルは「なかったのではないか」ということです。デュシャンは複数の《泉》を操ったのかもしれない。さまざまな人が語り、研究し、記述してきた総体が《泉》という作品を作り上げているわけで、オリジナルというかたちで《泉》の実体を探求するのは無意味な気がするのです。」(p.154)
「では、デュシャンの《泉》はどういうものだったのか。大量生産の既製品を本来の文脈から引き抜いて別の文脈に放り込み、それがやたまたま美術の文脈であった。それゆえ、便器自体は美術的になんの意味もない。しかし、美術の文脈に放り込まれたら、鑑賞者は戸惑いながらも何かを語り、意味を探らなければ落ち着かない、ということだと思います。デュシャンがやったのは、作者がその思想を基に記述し、読み手がその思想を忠実に再現するという古典的で決まった方向性がない、そんな創作と鑑賞のかたちを示したのだと思います。」(p.154)
「すべての美術作品は作者の意図とは無関係な書き込み可能なオープンテクストであるということ、そして、美術作品の解釈は誘導された方向性以外のすべてに可能であるということかもしれません。」(p.154)
「私には、彼の家族こそが《泉》、つまり彼の創造の「源泉」であったように見えます。《泉》の形に肖像画を切り取る、つまり《泉》の中に家族を入れたということは、家族がデュシャンのインスピレーションの「源泉」にあることを意味していると読みました。」(p.188)
「でも、明らかにそういうヒントがここにはいっぱい入っていて、それをあえて無題で発表するのが、非常にデュシャンらしいと思います。そうやってヒントをいっぱい与えて、「どうぞ、この謎を解いてごらん」というのが、彼の観客とのコミュニケーション・スタイルだと思っています。」(p.188)
「彼は男性側、女性側ではなくて、あくまでその「真ん中」にいて、そこから社会を見渡したり、社会を風刺したりしようとしていた人なんだと思います。」(p.194)
「ひとつだけ言えるのは、「われわれアーティストはみな、デュシャンが散種した精子による子どもである」ということではあるのだが、男の子っぽいデュシャンには、クイアの要素こそあれど卵子の要素がないような気も、私にはするのです。」(p.201)
「デュシャンが便器を美術の文脈に持ち込んだ時、実は彼はそこには何の思想もメッセージも込めていないのではないか。(中略)要するに、デュシャンのレディメイドには解読すべき内容はもともと何もない。鑑賞し解読する人がそれについて語り、記述する、言説を重ねることで作品が内容を獲得し豊かになっていく。」(p.243)

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