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僕はもう28歳?まだ28歳?久しぶりの海外ひとり旅で見つめる自分の行く先

7/19、朝6時過ぎに起きて、正常ではない覚醒感を抱いたまま身支度して成田空港へ。

久しぶりの海外ひとり旅。

ZIPAIRが安かったこともあり、世界最凶都市とも名高いフィリピンマニラに飛び立ちました。

飛行機を降りると、そこはもう日本語の通じない国。急に補助輪を取られて慌てて自転車を漕ぐような、そんな心許なさがいつもあるのは僕だけでしょうか。でも、今回はテクノロジーの進歩を凄まじく感じて、ahamoを使ってれば空港についた側から通信できました。海外体験ってもっとヒリヒリしてて良いんだよなあ、とか思ったけど、便利であることは間違いないし、なんだかな。

それから17日間。帰国前のラストナイトに海外で過ごして感じたことを、言葉に落としてみます。

繋がりの生まれない旅はつまらない

この1年間、日本でひとり旅をしてきました。

でも、ひとりではなかった。旅先にはいつも、挨拶を交わして、その町のことを聞くと応えてくれる人がいました。そして、ときには一緒にご飯を食べに行き、お酒を飲み交わすようなことがありました。

海外ではそれができませんでした。これはひとえに、英語への苦手意識が強くあるからに他なりません。(今日もほぼ相席っぽいレストラン、イケメン欧米人と話すチャンスはあったけど、イモってダメだった。)

ホテルで気さくに話しかけてくれる人や、求めてもないのに路上で声をかけてくれる人が日本以上にたくさんいたフィリピンやマレーシア。何言ってるか5割くらいしか分からないし、毎回聞き返すのが心苦しくて、途中からは話しかけられないようにスタスタと歩くようになってしまいました。

「うっわ、これはまずい…」という危険信号が自分の中に強く芽生えた海外生活。

ここでは、もう完全にひとりでした。

ここらへんでおすすめのご飯聞きたいな、とか、タクシーもうちょい先で降ろしてもらえない?とか、これってどこまで食べれるの?とか。

とりあえず「Can I ~~」を頭に標準装備して、日々をやり過ごしました。笑

救世主ジェームス

7/26~29は友人と合流してブルネイへ。半日ツアーも申し込みしていてくれて、そこにやってきたのがジェームスでした。

第一声「どうも、キムタクです。」が決まり文句。少し頭皮が薄くなってきた中年ブルネイ人男性ですが、日本語がペラペラで冗談も通じる気さくな、だけど適切な距離感を保つ方で、すぐに身も心も委ねました。(変な意味じゃありません。)

海外で日本語ツアーを体験するのは初めて。でも、これが良かった。

それまでに感じた「国王って実際みんなどう思ってるの?」「お酒って本当に飲まないの?」など、気になることを質問しました。

すると、「国王はみんな大好きだよ。」とか「イスラム教じゃなければ、マレーシア行ってお酒飲んでたりするね。」とか、リアルな暮らしを教えてくれました。その楽しさって何物にも代え難いものがあります。

異文化だからこそ違いが大きいし、その違いを存分に知ることができるというのは、ダイレクトに身になるもの。そんなコミュニケーションを誰とでも取れるようになれば、人生もっと楽しめます。

それから、「英語」へのアンテナがむくむくと育ち始めました。

「英語」への関心は止まらない

悔しさと楽しさ。この2つの動機から、英語へのアンテナが育ち始めたということがここまでの話でした。さらに英語ができるようになりたいという旅先エピソードを2つ。

①みくさん、カッコいい!

ブルネイでまさか日本人と出会うとは。退職を機に海外を旅していたというみくさん。意気投合して、1日一緒に過ごすことになりました。

現地のサービスを受ける時も、流暢に英語でコミュニケーションを取る姿に感心。さっきまで日本語で話していたところから、急に英語に切り替わると、自転車の補助r…

留学経験もあるということで、英語でのコミュニケーションは難なくこなすグローバル人材。その姿への憧れは印象に残りました。

②ザリッツカールトンで閉店ガラガラ

世界一お得に高級ホテルに泊まれるということでやってきたマレーシア。5つ星ホテルであるザリッツカールトンに訪れました。

高級ホテルだから、というわけじゃなく、海外なら当たり前なんだけど、どこでもサービスは英語。

聞き取りすら難しい僕にとっては、サービスマンの親切心でのコミュニケーションすら一苦労。言葉を覚えることができなければ、最大限サービスを受けることすらできないんだ、という当たり前のことを身をもって知った1日でした。

海外への挑戦を

直近では今年の冬にはケニア、来年はスコットランドとアイルランドに行きたいと思っています。

今回の海外生活は、良くも悪くも日本の旅暮らしの延長戦上にあると感じました。およそ3週間でしたが、滞在期間はもっと伸ばしても問題なく生活できる感覚が芽生えたことは大きな収穫。

でも、そうなったときに言語ひとつで楽しみがもっと広がるとなれば、願ったり叶ったり。

20代のうちは安定は置いて、挑戦を取る。

そう思っていたけれど、28歳になると思うと、自分のことがちょっぴり大人に思えて、ブレーキを踏むことが多くなりました。

でも、28歳なんてまだまだ未熟者。今からだって始められる。

英語は自分の中で少し大きなチャレンジとして、この1年ほどはしっかり取り組みます。将来、珈琲とウイスキーのお店をするのであれば、海外の方にも来てもらいたい。そんなときに英語の話せない店主じゃカッコ悪いし。

そして、せっかく英語をやるのであれば、海外で仕事をつくる、ということにもアンテナを張っていけたらと思います。

翌朝、恥ずかしくても。

勢いで書き殴るTwitterやnote。歳を重ねるにつれて、公開されずに溜まっていく本数が増えていく。

恥ずかしい思いを回避する術は「何もしない」ことだ。誰の目にも触れなければ、傷つくことはない。

それと引き換えに失っているものはなんだろう?

正直なところ、あんまない。だから、次第に下書きのまま葬られる文章が量産されていく。


でも、今回は自分の背中を押すための材料として。3年後、英語へのコンプレックスがなくなって30歳を迎えられるように頑張れ!

noteを出せるうちは、まだまだエネルギーが漲っている証拠なんだろうなと思いながら、懲りずにnoteを書いていけたらと思います。

お読み頂きありがとうございます!まだまだ伸び代なので、ぜひフィードバックなども嬉しいです!